シスター 夏のわかれ道

ラストシーンのアン・ランの迷いの長さが映画のテーマそのもの

突然の両親の死でそれまで離れて暮らしていた幼い弟を引き取って育てるか、医師を目指す自らの将来のために養子に出すかの選択を迫られる20代の女性アン・ランを描いた中国映画です。

内容はおおよそ想像はつきますが、宣伝コピーに「中国で2週連続興収入No.1」とありますので、アン・ランが最後にどういう選択をするかということも含め、多少なりとも今の中国のリアルがわかるかと思います。

シスター 夏のわかれ道 / 監督:イン・ルオシン

一人っ子政策

なぜ、アン・ランが6歳の弟と離れて暮らしていたかは、中国の「一人っ子政策」という人口増加抑止政策のためです。ただ、現在20代なかば(といっていたか…)アン・ランの過去はあまりはっきりしません。

アン・ランの両親は男の子が欲しいがために、女の子アン・ランには障害があると偽ってもう一人子どもを持とうとします。映画にはこのシーンはあるのですが、結局それはバレて許可されていませんので最終的にどういう経緯で弟ズーハンを生んだのかははっきりしていません。

両親が交通事故で亡くなったところから始まり、葬式に親族が集まる中でアン・ランを取り巻く状況が説明的に語られはしますが、それでもあまりはっきりはしません。

両親のどちらかの兄弟姉妹として叔父と叔母がいます。アン・ランは叔母のもとで育っています。叔母には息子がいるようですがあまり登場しません。叔母のもとで育ったわけも、養子に出されたのか、障害者と偽って二人目を生んだがために家に置きづらくなったのか、そうしたこともはっきりしません。叔父にはアン・ランと同年代の娘がいます。叔父は遊び人で離婚しているようです。

という設定で、両親の家はアン・ランのものらしく、アン・ランが暮らすことになり、弟をどうするかということが映画の主題として始まります。

さほど気になることではありませんが、アン・ラン、叔母、叔父ともに頻繁に会える環境にいるのに、なぜ今までアン・ランと弟ズーハンが会ったことがないのか不思議ですし、アン・ランにしてもそれまで叔母の家で暮らしていたという生活感があまりなく、さらに両親が亡くなったからといってそれまで長年立ち入っていない家に自然に収まるというのも奇妙な感じがします。

そうした設定の細部が置き去りにされている映画ではあります。映画手法も、長回しなどという手法とは正反対の、小刻みにカットを割っていく手法でつくられています。テーマ的に適切な手法かどうかにはやや疑問を感じます。

ところで「一人っ子政策」というのは単純に子ども一人に規制されているだけかと思いましたら、この映画のように一人目に障害があれば二人目が許されるといった例外もあり結構複雑な政策のようです。

描かれる中国の諸問題

ということで、映画はアン・ランが最終的にどういう選択をするかに向かってその心の揺れを描いていくわけですが、その中で現代中国のひずみ(のようなもの)がいくつか現れてきます。

アン・ランは看護師です。医師になるために北京の大学院への入学を目指しています。その理由は、医師たちが看護師を雑用係のように見ているからだと言います。そのひとつが女性医師との言い争いで表現されています。アン・ランが電話で薬の量が間違っていますというシーンがあり、ん? と思っていましたら、後にそれが女性医師の間違いであり、それを発端に言い争いになっていました。女性対女性にしていることにもなにかありそうです。

そして、もうひとつ、アン・ランは同じ病院の男性医師と恋人の関係にあります。二人で北京へ行くことを約束しているのですが、男性は両親にそのことを言えないでいます。この映画、全般的に男性は奥に追いやられているといいますか存在感が薄いです。

エリート主義、一人っ子政策の悪影響による若い人たちの自立心のなさがあるのだと思います。

叔母の存在がかなり大きく描かれています。アン・ランとの会話の中で頻繁に男性優位主義社会の現状が語られます。

叔母は、自分の弟(つまりアン・ランの父親)のために進学をあきらめさせられたり、モスクワへ働きに行ったときも弟のため(何だったか忘れた)に引き戻されたと語ります。その叔母がアン・ランには自分の弟を育てるのは姉の役目だと迫らなくてはいけない現実ということです。ただ、その点はあまり深く叔母の苦悩として描かれているわけではありません。こういうところを丁寧に描けば映画が一段と深まるのですがそこまではいっていないということです。

こういう社会だからしかたないんだよと(言葉では言っていないが…)いう叔母に、アン・ランは、息子(叔母の息子)は自分をよく殴っていたし、叔父(叔母の夫)には着替えているところ覗かれたと捨て台詞のように残していきます。

基本は現状肯定の人情ものか…

というように社会の矛盾、とくに女生の置かれている社会状況が否定的に描かれてはいるのですが、基本的には人情ものの映画ですので皆いい人ばかりに描かれます。

たとえば、叔父さんは賭け事(麻雀)ばかりやっている遊び人で、アン・ランの両親が死亡した原因の交通事故の相手を脅してお金をせびったり、自分が弟を育ててやるといって連れていきながら麻雀ばかりやっているために弟まで賭け事を始めたりします。でも悪人とは描いていません。娘の結婚式に、アン・ランにお金(麻雀で勝ったお金だよ)と手紙を持って行かせて娘に涙を流させていました。

アン・ランが病院をやめる(理由ははっきりしていない)ことになる際には、女性医師の挫折感を描いたり、アン・ランが恋人と分かれる際には、男性に両親を裏切ることは出来ないと言わせて涙を流させたりしています。

おそらく今の中国ではあからさまな社会批判は難しいのでしょう。

そして、アン・ランの選択は…

アン・ランは弟を養子に出します。養父母は裕福なようです。アン・ランが弟のおもちゃや家を売却したお金の一部を養育費として持っていきますと、養父母は今後弟とは会わないで欲しいと誓約書にサインを求めます。

はいと言ってペンを持ったアン・ランのシーンはかなり長いです。誰にも決断できないということがそのまま現れた長さだと思います。

結局、アン・ランは弟を連れて帰ります。

社会状況として可能であれば、家を売ったお金がありますので北京に出て弟を育てながら医師への道を目指せばいいですし、看護師の職を見つけて叔母の手を借りながら弟と二人で暮らす道も悪くないでしょう。それに成都(映画の設定場所)にだって医学の大学はいっぱいあるでしょう。人口1600万人の都市です。

ところで、アン・ランを演じているのは岩井俊二監督の「ラストレター」の中国版「チィファの手紙」で過去のチィファと現在のサーランの二役を演じていたチャン・ツィフォンさんです。現在21歳くらいです。うまい俳優さんです。