時々、私は考える

オレゴン州アストリアのロケーションが映画にぴったり…

時々何を考えるのかと思いましたら「About Dying」だったんですね。邦題は「Sometimes I Think About Dying」から「About Dying」が隠されていました。

時々、私は考える / 監督:レイチェル・ランバート

時々「死」を考えることを知って見るべき…

何も知らずに(読まずに…)見ましたので、しばらくはフラン(デイジー・リドリー)のキャラ設定がよくわかりませんでした。死の空想(妄想?…)に囚われている人物と知って見たほうが面白いと思います。dying ですから「死」というよりも「自分が死んでいく状態」みたいな感じかもしれません。

フランは大雑把にコミュ障と言われてしまうキャラには見えても、対人恐怖症ではありませんし、引っ込み思案ともいえませんし、男性恐怖症でもなさそうでしたので映画のポイントがどこにあるのかはっきりしないまま進みます。

結局、フランは他人とコミュニケーションをとることが下手だということで、それをまあいいっかと受け入れてだらーとした妄想にふけって現実逃避しているのかなと思ってみていたんですが、あの森の緑や海辺の流木に抱かれて横たわるシーンは「死」の空想だったようです。

ただ、フランの表情には生きているのが嫌という印象はなく、どこか心地よさを感じているようにも見えます。その意味ではややダーク系の妄想ではあっても結局ところメルヘン映画なんだろうと思います。

実際、フランが変わるのはロバート(デイヴ・メルヘジ)の登場によるものですので、言ってみればフランは眠り姫ということなんでしょう。ただし、ロバートは王子さまでもありませんし、白馬にも乗ってきませんが。

映像センスも音的センスもとてもいい…

それはそれとして、映像センスも音楽を含めた音に関するセンスもとてもいい監督です。

フランが働く会社が一体何をやっている会社かよくわかりませんが(港湾関係かな…)、従業員たちの雑談がとてもうまく使われています。それもその映像があったり、フランを撮った画のバックでかわされていたりといろいろパターンを変えていてそれだけでも見られます。

同僚たちは皆フレンドリーです。かと言って、その中に入ろうとしないフランを特別視する者もいなく(というよりそう描いているということ…)心地よさそうな職場です。フランの日常はそんな会社と自宅を往復するだけで暮れていきます。

オレゴン州アストリア、ウィキペディアを読んでいましたら地名の由来が毛皮貿易商のジョン・ジェイコブ・アスターからということらしく、オレゴン? 毛皮? で思い出しました。ケリー・ライカート監督の「ファースト・カウ」がこのあたりの話でした。ただ、映画の内容は全く関係ありません(笑)。関係のある映画としては「グーニーズ」「キンダガートン・コップ」の舞台となったところだそうです。他にもここでたくさん映画が撮られているようです。

確かに魅力的なところです。港湾都市のようで、冒頭のシーンで職場の窓から港が見え、同僚たちが大きなクルーズ船が邪魔で山が見えないとか言っていました。入り江の港ですから対岸はありますが山なんてないでしょう(笑、あったらゴメン…)。

とにかく、人口1万人くらいの田舎町です。誰も歩いていない街の風景やポツンと一軒だけイルミネーションが光る映画館をスチル写真のようにとらえたカットが美しいです。

ロケーションがメルヘンです。

映画はロケーションの良さでもっている…

定年退職する女性の送別会があります。フランは贈るカードにもお疲れさま程度にしか書けませんし、皆がワイワイやっている最中、ケーキだけ持って自分の席に戻ってしまいます。

後任のロバートがやってきます。初めてのミーティングの前に自己紹介として好きな食べ物を言いましょう、なんてやっています(笑)。フランはカッテージチーズと言っています。ロバートがなんて言っていたかは忘れました。このシーンのジョークはよくわかりませんでした。

ロバートから映画に誘われます。といっても特別なことではなく、君も行く? 程度の感覚です。見終わってレストランに入り、ロバートから感想を聞かれたフランは、全然良くなかったと答えます。一時が万事こんな調子で会話がはずみません。ただ、ここでは次のドラマ展開が用意されており、そのレストランのオーナーから週末のパーティーに誘われます。その夜はロバートが家まで送ってくれます。

あの坂道の家、フランにぴったりの家です。2人はどちらともなく求めあってハグします。

そして週末のパーティー、何をするのかと思いましたら、殺人事件ゲームとでも言いますが、鬼ごっこのように犯人を決め、皆が隠れます。犯人は家の中を探し回り見つけた人にタッチします。その人は殺された死体役になります。その死体役がどうやって殺されたかを語ることがそのゲームのポイントのようです。フランが死体役になります。そして見事な殺され方を語ります。そりゃそうでしょう、毎日死を妄想しているフランなんですから。

ということがあれば、フランも打ち解けてもいいのですがなかなかそうはいかず、後日の週末、フランから誘い、ロバートの家を訪れ、食事をし、映画を見て、フランがロバートにあなたのことが知りたいと言いますとロバートはバツ2だと言い、結婚生活がなかなかうまくいかないと言います。

その夜だったか(忘れました…)、ロバートが車で送ってくれて、君のことを知りたいと言います。フランは自分には何もないなどと言い会話が進みません。ロバートがやや責め気味に言葉を荒立てますと、フランはそうだからあなたは結婚生活がうまくいかないのだと言います。ロバートは降りてくれと突き放します。

週末を悶々と過ごすフランです。

フランを演じているのはデイジー・リドリーさん、スターウォーズで紹介される俳優さんのようですが、私は「カオス・ウォーキング」しか見ていません。あまり印象に残っていませんし、この映画でもメリハリの効いた演技をする俳優さんではなさそうです。

月曜日、フランは職場にドーナツを差し入れようとドーナッツ屋さんに寄ります。そこには退職した女性がいます。その女性は世界一周(だったかな…)の旅に出るといって辞めていったのですが、夫が脳梗塞で倒れてその介護をしていると言います。

そのことが特に影響したわけではありませんが、フランのちょっとした心の変化の描写だと思います。

フランが皆に差し入れを持っていくことは珍しいことだと思いますが、誰もそのことを特別視するわけではなく喜んで食べています。フランはロバートにちょっと来てと言い、ふたりきりの場で、ごめんなさいと謝り、わたし、あのクレーン(港湾クレーンが窓から見えている…)に吊り下げられている夢(じゃなかったかもしれない…)を見るのと言います。

ふたりはしっかりと抱擁します。

レイチェル・ランバート監督の才能を感じる…

映画づくりのセンスはいいのですが、さすがに大人の映画としては小品過ぎますし、寓話がおとぎ話から抜け出られていません。レイチェル・ランバート監督のインタビューを読んでいましたらシナリオは短編だったようなことを話していました。

でも、才能を感じるレイチェル・ランバート監督です。アメリカにはこうした才能が大きく花開く環境がありそうですので期待したいと思います。