パニックものでもホラーでもなく、フランス映画っぽい親子ものでした…
「人間が動物に変異する奇病が蔓延する世界」を描いた映画ということであれば、パニックものか、クリーチャーものか、ホラーか、まあそんなところだろうと思い、またもアメリカ化するフランス映画かとスルーしていたんですが、あまりにも見る映画がなくなっている洋画ですので思い切って見てみましたら…。
家族もの、親子ものだった…
思いっきりフランス映画っぽい家族ものでした。
映画は、すでにフランソワ(ロマン・デュリス)の妻ラナが動物に変異して隔離されているところから始まります。フランソワと息子エミール(ポール・キルシェ)が面会に行きます。隔離といってもほぼ病院の病室ですし対面して話すこともできます。その後の医師との面談でも緊迫感はありません。フランソワは隔離は望んでいなかったのに医師(側ということ…)が隔離したとやや抗議口調です。
つまり、映画の設定は、パニックもののように動物に変異した人間(以下、動物…)が人間を襲うということでもありませんし、COVID-19のような感染症ということでもありません。人間が動物に変異していくことが一定程度許容されている社会ということです。
ということであれば、映画のテーマはおのずとわかってきます。人間は動物を含む自然と共存できるかということになります。
もっとも、映画がそのテーマで貫かれているかと言いますと、たしかに全体としてはそれが感じられるものの、映画の軸となっているのは個人主義の国(思い込みです(笑)…)らしく、個々の人間関係、この映画で言えばフランソワとエミールの親子関係、そして最後にはそれを越えた一対一の人間関係でまとめられています。
映画始まってしばらくはフランソワとラナの物語かと予想していたんですが、映画中盤からはエミールの変異が始まり、結局、後半はほぼエミールの物語になります。
いずれにしても、思ったよりも面白く見られる映画です。え? その編集、変じゃないの? といったことも含めてです(笑)。
ロマン・デュリスさんに頼りすぎ?…
監督はトマ・カイエさん、1980年生まれの44歳の方です。IMDbでは2010年くらいから監督やライターとしてのキャリアがあります。2014年に「Les combattants」という長編映画がクレジットされています。
ですので長編二作目となるんでしょうか、この「動物界」ではセザール賞の12部門にノミネートされ、Best Visual Effects、Best Costume Design、Best Original Music、Best Sound、Best Cinematography を受賞しています。賞が映画の評価と一致するわけではありませんが、作品賞や監督賞を受賞していないことからも、この映画に足りないものがよくわかる結果かと思います。
基本はエンターテインメントですので惜しいなあと思うのは、物語の語り口があまりうまくないことと軸がしっかりしていないことです。
最後まで面白く見られることを前提に気になることを書いておきますと、結果として(かどうかはわからないが…)エミールが動物に変異していくことが映画の軸になっているわけですから、それをもう少し分厚くすれば、つまりもっとしっかりした物語にすれば映画に厚みが出るように思います。言い方を変えますと「動物界」が描ききれていないということです。
鳥に変異したフィクスとのシーンはとてもいいわけですからそれをもっと生かすことと母親ラナとの関係ももっと前面に出せばよかったのではないかと思います。
動物への変異はどんな動物になるかも決まっているわけではないようです。こういうところはフランス映画っぽくて面白いと思いますが、せっかくいろんな動物を出しているんですからもう少し生かす方法もあったのではと思います。
ロマン・デュリスさんに気を使いすぎましたかね。あるいはその名前に頼りすぎたのかもしれません。主演ということになると思いますが、フランソワが映画を引っ張る役柄になっていないです。憲兵隊の隊長ジュリア(アデル・エグザルコプロス)との関係を想定していたのかもしれませんが、ほとんど進展させられずに終わっています。
後半になりますと編集がぎこちなくなりますのでかなりカットされているんじゃないかと思います。カットされているとしますとエミールのシーンですので何らかの決断によるものなのでしょう。
映画のテーマは車の中に…
ラナの南仏への移送が決まり、フランソワとエミールも一緒に引っ越すことになります。移送の途中で移送車が事故にあい、死者が出たり、森に逃げ出す動物も出ます。ラナも見つからずフランソワは生きていると信じ森の中を探し回ります。
と、映画は始まるのですが、実のところフランソワがラナを必死に探し回るというつくりにはなっておらず、フランソワが映画を引っ張るのは始まってしばらくだけで、その後はエミールが鳥に変異していくことが映画の軸になっていきます。
エミールの学校生活のシーンも結構多いのですが、自らADHDを名乗るニナを登場させるためくらいにしか活用されていません。エミールが変異のせいでニナの手を舐めたりと奇妙な行動を取るのですが、それによって生徒全体から奇異な目で見られるとか虐められるシーンもありません。後半になりますとエミールの変異を知った男子生徒が高周波の音を出してエミールを攻撃するシーンがあり、やや唐突に感じるくらいです。
エミールの変異は鳥のようです。爪が伸び始め、羽が口の中から出てきたり、背骨が浮き出てきたり、毛深くなっていきます。
あるとき、エミールは森に入り、鳥に変異したフィクスと出会います。フィクスの手はすでに羽根に変わっており、鳥が飛べなくてどうやって生きていくのだと必死に飛ぶ練習をしています。土の上に長いくぼみがあり羽根が落ちています。しばらくは何なのかわかりませんでしたが、飛べずにずり落ちでできたくぼみということでした。
親近感を持ったエミールは池で魚をとってフィクスに与えたり、池の中の木々を取り払い、フィクスが飛ぶための練習場にしたりします。こうした友情(的)関係をもう少し描けば面白くなったように思います。フィクスが大空を羽ばたくシーンは結構感動します。
そして村のカーニバルの日、事件は起きます。その前にエミールとニナが森の中で愛し合う場面があります。編集がぎこちないというのはこのあたりのことなんですが、とにかくその場面を見ていたという男子生徒がすでに書いたように高周波でエミールを攻撃します。エミールは反撃し、森に逃げ込みます。
いきなり大捜査線が張られます。軍隊まで出ていました。いくらクライマックスにするにしてもいきなり過ぎるでしょ(笑)。とにかくこの終盤は展開がぎこちないです。
結局、森に逃げ込み追われるエミールをフィクスが救おうとしますが、逆にフィクスは撃ち落とされます。その後エミールはフランソワのもとに逃げ帰り、フランソワはエミールを伴い、車で非常線を突っ切って森に入り、エミールに降りろと言い、とまどうエミールに「生きろ!」と言います。エミールは森の中に消えていきます。
という、人間と自然的なるものの共存、異なるものへの差別や排除、人間性を失うことへの恐れなどなど、現実社会でも多くの局面で問題にされるテーマを薄っすらと感じさせながら、結局のところ、フランソワとエミールの父と息子の関係が主要なテーマの映画ということになります。
車の中のフランソワとエミールのシーンが何シーンかあります。冒頭の渋滞のシーンではエミールの反抗心が描かれ、中盤の森の中をラナ!ママ!と叫びながら疾走するシーンでは協調と融和が描かれ、そしてラストのエミールを森に送り出すシーンではフランソワがポテトチップを口いっぱいに頬張ることでエミールへの変わらぬ愛情を描くということになっています。