男の意地の後始末をするのは、あるいは、させられるのは女の意地…
スペインのロドリゴ・ソロゴイェン監督です。前作の「おもかげ」を見たとばかり思っていましたので目についた映画ですが、見ていませんでした。きっとチラシの画像が印象に残っていたんでしょう。ですので、ロドリゴ・ソロゴイェン監督、初めてです。
ちょっともったいぶり過ぎ…
ちょっともったいぶりが過ぎるかなあという印象です。サスペンス風につくられており、殺人も起きますし、その犯人もわかっているのですが、映画はそんなところに興味はないよと言わんばかりに、映画中頃、ああ、殺されてしまった…どうなるんだろう? と思っていましたら、いきなり時間を一年も(多分…)すっ飛ばしてしまい、なにー?! 状態に置き去りにされてしまいます(笑)。
基本の物語は、フランス人夫婦が自然とともに生きる生活をしようとスペインの片田舎に移住したところ、人生観や生活感の違いにより隣人との間にトラブルが発生して殺人事件に発展するという話です。
前半は夫と隣人との言い争いや隣人の脅しが続き、ついには夫が殺されてしまいます。そして、後半は妻が行方不明となった夫を探すシーンが続き、娘との言い争いや和解、そして、妻が殺人犯である隣人兄弟の母親を脅して(言葉は悪いがそういうこと…)終わります。
この映画には物語のベースにしている実話があるとのことです。
実話サントアラ事件
実話ではフランス人ではなくオランダ人夫婦です。夫婦は1997年にスペインガリシア地方のサントアラに移住したのですが、2010年に夫が行方不明になり、その4年後に遺体で発見されたという事件です。その地域には住居は2軒しかなく、そのうちの1軒がオランダ人夫婦、もう1軒には夫婦と息子二人が暮しており、当初は良い関係を築けたものの共有林の所有権や金銭トラブルで争いになり、息子の兄のほうがオランダ人夫婦の夫を殺害、弟とともに遺体を隠したということです。(以上、スペイン語の記事の Google翻訳からの要約ですので正確でない可能性があります)
という事件で、夫を亡くした妻は現在もサントアラのその家で暮らしているそうです。
なお、この事件は2016年に「Santoalla」というドキュメンタリー映画になっています。この夫は映画と同じように動画を撮っていたらしく、その映像やその他アーカイブ素材を使ったドキュメンタリーだそうです。トレーラーがあります。本人の映像は映画のような事件性を感じさせるものではなく記録用として撮っていたんじゃないかと思います(未確認…)。
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男の意地の張り合いは破滅にいたる…
この映画、トラブルがあり、殺人事件が起き、犯人が逮捕され、はい終わりという映画ではないことは明らかなんですが、じゃあどんな映画と言われても答えようがないという映画です(笑)。
まず、よそ者に対する村八分ものではありません。実話と違い映画では10軒ほどの住居がありますが、対立関係は一対一です。
アントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)とオルガ(マリナ・フォイス)は古民家を改修して移住し、有機農業で野菜をつくり、町のマルシェで野菜を販売しています。また、別の古民家の改修をして村への移住者を増やそうともしています。
対立関係が生まれたのはすでに半年くらい前の風力発電を誘致するかどうかの投票でアントワーヌが反対したからです。映画はその経緯を描いていませんし、反対もアントワーヌひとりというわけではなく、映画としてもそのことを問題にしているわけではなく、あくまでも対立は隣人のシャン、ロレンソ兄弟とだけのものです。映画は始まったときからもう険悪です。
いわゆる村八分ではありませんが、都会から来た知識人対田舎の無知な人物という対立、そして、現在ではグローバルな対立軸にもなっている環境対利益といったものも描かれます。アントワーヌは執拗に続く嫌がらせや脅しに対して兄弟に話し合いを持ちかけます。兄弟は風力発電の誘致に対して支払われる補償金が欲しいと言っています。それに対してアントワーヌは一時的な補償金を得てその後どうするつもりだと言い、さらに得をするのは風力発電の会社だけだと口角泡を飛ばして主張します。その際、アントワーヌは兄弟に対して何の知識もないのにということまで言います。
といった感じで、この映画は、一見、隣の兄弟の田舎者の野卑さを悪のように見せつつ、次第に人を見下すようなアントワーヌも同じように悪であるとも描いていきます。
ただ、結局のところ、映画が前半で描いていることは、たしかに若干村八分的なことを含んだ都会対田舎の対立や環境対利益のような価値観対立ではあるのですが、ただ、そうしたものがベースにあるとはいえ、いつ果てるともなく続く対立関係をみていますと、その裏にある本質的なことは男の意地の張り合いではないかと思います。
後半になりますとそれがはっきりしてきます。
女の意地は愛なのか…
アントワーヌは海外版のチラシ(ポスター…?)のように兄弟に絞め殺されます。
原題は、邦題のようなあまいニュアンスのする「理想郷」ではなく「As bestas(The Beasts, 野獣たち)」といった荒々しいものです。アントワーヌのこの殺され方は冒頭の馬のシーンと対になっています(馬は殺しているわけではありませんが…)。
そして後半は、そのアントワーヌがすでにいなくなって1年後のオルガの物語です。
アントワーヌがいなくなって(見ているものには殺されたことがわかっている…)いるのに、オルガの混乱や悲嘆も描かれることはありません。オルガは野菜の栽培を続け、アントワーヌが提案していた羊の飼育も始めています。同時に辺り一帯を区分けしてアントワーヌの捜索をしています。隣の兄弟に殺されているだろうとわかっているのだと思います。
後半はそのオルガの強固な意志を描いていきます。
フランスから娘がやってきます。娘はフランスに帰るべきだと主張します。母娘の凄まじい口論シーンがあります。見ているときはその激しさにかなり違和感があったのですが、考えてみれば、これが見せたかったのではないかと思えてきます。口論の内容自体は、帰れ、帰らないの繰り返しですが、とにかく口角泡を飛ばす勢いの口論です。
前半のアントワーヌと兄弟の口論と対になっているのでないかという気がしてきます。
オルガはなぜ帰らないかをはっきりとは答えていません。もちろん生死のはっきりしない夫をおいてこの地を去ることはできないのでしょうが、ただ娘の言うように殺人犯と思われる隣人がいるにもかかわらずひとりで暮していくことは尋常なことではありません。
これをどう見るかがこの映画の鍵かも知れません。愛と言えなくもありませんが、映画的に言えば、結局、男の意地の後始末をするのは、あるいはさせられるのは女の意地というということじゃないかと思います。
ラストシーンは、オルガと隣人の母との関係を強調して終えています。アントワーヌの遺体が発見された後、オルガはわざわざ隣人の母親に、あなたの息子たちは刑務所に入る、あなたは私と同じようにひとりで生きていくことになると脅しともいえるようなことを言いに行きます。そして、アントワーヌの遺体確認に行く途中、車の中からその母親を見つめて映画は終わります。
という映画ですが、つくりとしては繰り返しが多く、物語に進展がありませんので見ていておもしろく感じる映画ではありません。