2022年最後の映画になりました。ガブリエレ・ムッチーノ監督です。ウィル・スミス主演の「幸せのちから」などタイトルに記憶しているものは多いのですが、どうやら初めて見るようです。
年の最後に見るにはいい映画だと思います。映画の中にも Happy New Year シーンがありますし花火も上がります。ただ、中盤以降はちょっとつらい場面が多くなります。
人生最高の日々
この映画、日本では、タイトルにしても、メインビジュアルにしても、予告編にしても、男女の愛と別れの純愛映画として宣伝されていますが、たしかにその要素はあるにしても、全体としては男3人女1人の愛と友情の40年の物語です。
1982年、16歳のジュリオ、パオロ、リカルド、そしてジェンマが、
40年後にこうなるという映画です。4人の後ろの男性はジェンマの息子です。
振り返ればあらゆる瞬間が人生最高の日々だったけれども、その時その瞬間は目の前のことがすべてで、楽しい時もあったけれどもつらい時のほうが多かったと人生を振り返る映画です。こうした感覚はおそらく多くの人が自分の人生を振り返るときに感じるものじゃないかと思います。
描き方はリアルタイムに人生を追っていく40年ではなく、回想に近く、若い頃のシーンにはそれぞれ当人がカメラ目線でこの時僕はこうだったみたいに語りを入れて進められています。また、その時代その時代の社会情勢をトピックのように入れていますので、同時代の人には、ああこの時代の話なんだなあと感慨深く感じられるようにつくられています。
つくりはイタリア映画王道の印象です。それを意識してつくられているのかも知れません。音楽のニコラ・ピオヴァーニさんのオリジナルスコアもニーノ・ロータ風の哀愁ただよう曲想ですし、映画の展開も物語はすっ飛ばしているのにどこか情感が漂ってきたりとイタリア映画特有のものがあります。シリアス場面でも暗くはなりませんので見ていて楽な映画です。
パオロとジェンマ、そして裏切り
1982年ごろのイタリアは「鉛の時代」と呼ばれる社会的政治的混乱時代の後半にあたります。映画でも3人が暴動に巻き込まれてリカルドが撃たれて負傷します。
始まってしばらくは矢継ぎ早に3人の紹介やら生活環境が紹介されていきますので誰が誰やわからないままに進みますし、それに負傷して病院に担ぎ込まれたリカルドがその後どうなったかは一切忘れ去られています(カットされています(笑))。まあ要はこんなこともあったくらいの感じで、特に16歳の時代はあっという間に過ぎ去ります。
パオロとジェンマの出会いと別れもあっという間の出来事です。一瞬で恋に落ち、もう他には何も目に入らない日々を過ごし、そしてジェンマの母親が亡くなり、ナポリの叔母のもとに引き取られていきます。男たち3人はローマです。
月日は過ぎ、この後は何年後とも入りませんので具体的な時代はわかりませんが、4人共に16歳の思春期の俳優から大人の俳優に変わります。パオロ(キム・ロッシ・スチュアート)は正規雇用の教師を望むものの臨時雇用を続けており、リカルド(クラウディオ・サンタマリア)は作家なのかジャーナリストなのか執筆活動を始めますが満足な収入は得られません。ジュリオ(ピエルフランチェスコ・ファビーノ)は弁護士となりますが国選弁護しかなく、本音かどうかはともかく、貧しい人たちの力になりたいというようなことを言っていました。ジェンマ(ミカエラ・ラマツォッティ)は叔母との折り合いが悪く、家を出て、生活は荒れ、男に依存して暮らすようになっています。
パオロとジェンマが再会します。ジェンマが男とともにローマに遊び来たのでしょう、町なかで偶然出会います。それを機にジェンマは男のもとを去り、パオロとともに暮らすようになります。男が眠っているすきに荷物を持って飛び出してくるシーンだけです。男との間でなにか起きるわけでもなく簡潔でいいですね(笑)。
でも、ふたりの関係は長くは続きません。ジェンマが母親との同居は嫌だと言い出します。同じ頃、リカルドが結婚するのですが、そのパーティーでジェンマがしきりとジュリオに色目を使います。
このシーン、いくら何でもやりすぎです。ジェンマがジュリオに媚をうるカットが何カットもあるんです。演出過剰といいますか、ムッチーノ監督になにか女性への偏見があるんじゃないかと思うくらいです。
そもそもこの映画、女性に対して差別的です。男3人は、社会的に成功するかどうかは別にして皆知的職業を目指しています。なのにジェンマには私は読み書きが出来ないと言わせているように、馬鹿だけど(ペコリ)女性としての魅力はあるみたいな人物にしてあります。男に依存して生きていく存在になっています。
リカルドの妻となる女性もいい人物にはなっていません。リカルドの稼ぎがないからと、結婚式のシーンを除いていつも怒っているシーンばかりです。後に子どもを連れて出ていってしまいます。
こうした男女観が批判的に描かれているわけではありませんので、きっとムッチーの監督の価値観なんでしょう。まあ保守的であることは間違いないですね。
で、結局、ジェンマとジュリオは関係を持つようになります。そして後日、ジュリオはパオロに話があるといい、ジェンマとのことを話します。
このシーンもおもしろい、と言っていいのかどうかわかりませんし、イタリア人の感覚なのかも知れませんが、ジュリオがジェンマとともにパオロに相対することにもへぇ~と思いますし、話した後に、ジュリオがパオロに、このことは大きく考えよう、逆の立場なら僕は君をゆるすなどと、すまないと言う前にマジで納得させようとするのです。もちろんパオロに納得など出来るわけはないのですが、それでも暴力沙汰になることもなく(笑)、ひとりにしてくれと言い、大きく考えろ、大きく考えろと独り言を言って自分を鎮めようとするのです。
かわいそうではありますが、きっとジェンマは戻ってくるよと思える映画ではあります。
ジュリオの出世と虚飾の家族
時は1990年代に入っています。ベルリンの壁が崩壊し(映像あり)、イタリアでは汚職がはびこっていたらしく、その摘発捜査が進みます。「マーニ・プリーテ(ウィキペディア)」と言うそうです。
ジュリオがチャンスをつかみます。国選弁護の活動が評価され有名弁護士事務所に雇われることになり、大物政治家の汚職事件の弁護の補助を担当することになります。裁判の日、主任弁護士が交通事故で出席できずその代理を努め無罪を勝ち取ります。
このあたりもトントントンと進み小気味いいですね(笑)。
これを機にその政治家に気に入られ、同時にその娘と関係を持ち、そしてジェンマに別れを告げ、娘と結婚し、社会的成功への道を歩み始めます。
ジェンマとの別れの言い争いでは、たまには知的な話がしたいんだ!などと侮辱的な言葉を投げつけていました。その時だったか、ジェンマも指摘していましたが、ジュリオは貧しい人の力になりたいとか言っていたんですけどね。人は変わるということでしょうか。ただ、最後にはそんなことも忘れて皆笑顔で再会できるのがイタリア人気質ということかも知れません。
リカルドとそれぞれの家族のかたち
リカルドには男の子が生まれています。でも執筆活動はうまくいかず、生活は妻の親からの援助に頼っています。ついに最後通牒を突きつけられ、妻は子どもを連れて去ってしまいます。
時代は21世紀に入り、911アメリカ同時多発テロ事件が発生します。映像が入りますが特別映画に関わってくるわけではありません。
リカルドの生活環境は最後まで好転はしません。妻からは養育費が何ヶ月か滞っていると言われ、息子とも電話で話をすることしか出来ません。その後、妻は再婚したらしく裕福に暮らし始めています。リカルドが息子の誕生日に会おうとしても会わせてもらえません。
三人三様の人物として描く意図なんでしょう。リカルドは最後まで社会的には(あくまでも社会評価として…)ダメな男として描かれ、パオロはまっとうに生きようとし、そして最後に望み通り教師となります。ジュリオは自らを偽って(かどうかははっきりしない…)社会的成功をおさめます。
リカルドは妻に捨てられ、子どもにも見捨てられ(一見だが…)、家族というかたちを持てないでいます。ジュリオは資産家の妻を持ち、娘も生まれ、幸せな家族を持っているようですが、その実妻は浮気を重ね、ジュリオはそれを見てみぬふりをする虚飾の家族です。
そしてパオロとジェンマはバスの中で再々会し、再び一緒に暮らし始めます。その時、ジェンマには6、7歳くらいの息子がいます。父親が誰かはわかりませんし、そのことはどうでもいいことのようです。
ジェンマはオペラ座でカフェをやっていると言います。後日、パオロはジェンマの息子とともにオペラ座で「トスカ」を見ています。カヴァラドッシのアリア「星は光りぬ」が印象的です。
そして2018年(製作年からそれくらいじゃないかと思う…)の年明けの日、4人は一同に会します。
その時イタリアは「五つ星運動」という新しい波が生まれ、何かが始まろうとしています。