イスラム国モロッコの同性愛と夫婦愛とカフタン愛
マリヤム・トゥザニ監督「モロッコ、彼女たちの朝(Adam)」に続く長編二作目です。昨年2022年のカンヌ国際映画祭「ある視点部門」で国際映画批評家連盟賞を受賞しています。
ミナとハリム
少ない台詞と抑制された演出は前作「モロッコ、彼女たちの朝(Adam)」同様です。俳優の存在感を最大限活かそうとするところもそのままです。ですので最後まで張り詰めた緊張感が漂っています。
ただ、なぜかもたもたした印象が拭えません。なぜなんでしょう?
モロッコのサレでカフタンの仕立て屋を営む夫婦と新しく雇うことになった若い職人の3人の話です。ほとんど室内のシーンで進行しますが、ラストシーンは石畳の街並みをうまく使い、静かな感動シーンで終えています。
ミナ(ルブナ・アザバル)とハリム(サーレフ・バクリ)はミシンを使わず昔ながらの伝統的な手仕事でカフタンに刺繍を施す仕立て屋を営んでします。仕立てるのは夫のハリム、ミナは接客とハリムのマネージャーのような立ち位置で店を仕切っているということのようです。
ハリムを演じているサーレフ・バクリさんの印象がとても穏やかですのでやや伝わってくるものが弱いのですが、おそらくハリムの人物像は、常に不安感を抱えており、それが手仕事に没頭するという寡黙さにつながっているという設定なんだろうと思います。
それに反してミナはとても強い人物であり、職人としてのハリムを大切にし、客の要望をはねつけてでもハリムの仕事を守ろうとします。
このふたりの関係がとても重要な映画だと思うのですが、それがもうひとつうまく出ていない印象です。
どういうことかと言いますと、かなり早い段階で明らかになるのですが、ハリムは自らの性的指向が同性に向いていることを自覚しており、実際にハマム(公衆浴場)の個室で性行為におよぶシーンもあります。
ミナにもそれをわかっているのです。それでもミナはハリムを愛しており大切にしたいと考えています。後半にミナが自分からハリムにプロポーズしたのよと話すシーンがあります。同じく後半にハリムがミナに涙を流しながら押さえきれなかった、君に恥をかかせた(子どもを持てなかったという意味か…)と苦しい気持ちを吐露するシーンがあります。
このミナとハリムの人間関係がこの映画の重要ポイントです。つまり、イスラム社会にあっては、同性愛は禁じられているということ以上に、当事者にとっては自らの存在そのものに関わることと思われます。つまり自分自身を否定しなくては社会的存在として認められないことを常に自覚せよと求められ続ける状態ということです。
そして、そうした人物を愛してしまったミナもまた苦しみ続けてきているということであり、それがミナの社会的な強さとなって現れているのだと思います。ミナの強さが強調されたシーンが多いのはそのためでしょう。
ミナのハリムへの愛は、ハリムを守ることに転化しているということです。
ハリムとユーセフ
映画はミナとハリムが新しく職人ユーセフ(アイユーブ・ミシウィ)を雇うシーンから始まります。そして、かなり早い段階でハリムがユーセフに好意をもち始めていることを見せており、また、ユーセフのハリムを見つめる視線にも尊敬、憧れ、好意といったものが入り混じった思いが感じられます。
さらに、そのふたりを複雑な思いで見つめるミナのカットまで入れています。つまり、この映画は始まって早々にこの映画の主題は同性愛だと示していることになります。
この映画が前作の「モロッコ、彼女たちの朝」とかなり近いつくりであるにもかかわらず、どこか単調で冗長に感じられるのはこの点に問題があるように思います。
この映画の第一義的な主題はイスラム社会の同性愛です。それが早々に提示されています。その点では前作でもイスラム社会では許されない未婚の妊婦が最初から登場するわけですから同じではあるのですが、見る者にとってはこの後どうなるんだろうという期待度が随分違います。未婚の妊婦の存在は結果ですのでその後物語をどう展開させるかのパターンは無数にあります。しかし、まだ成就していない愛の存在は成就するかしないかのどちらかしかありません。見る者にとってはその先が読めてしまうということです。
さらに、この映画のミナはがんを患っており、すでに治療の施しようがないとされています。いずれ亡くなることが最初から示されているわけで、であればハリムとユーセフの愛は成就するに違いないと誰もが思います。
じゃあ、その愛をどう成就させるか、そして、ミナとハリムの愛をどう昇華させるか、映画が進むことができる道はそれしかなくなります。
青いカフタン
ミナの病状は日々悪くなっていき、店に出られなくなっていきます。それとともにユーセフのハリムへの思いも強くなり、ある時、ユーセフがハリムを背中から抱きしめ、愛していますと告白します。
ハリムは自らの気持ちを押さえつけユーセフに応えることはしません。ユーセフは去っていきます。
ハリムは店を閉め、ミナのそばで過ごす道を選びます。ミナは自らの生死を神に委ねると言っています。医師はミナの好きなように過ごさせてあげなさいと言っています。
ミナを演じているルブナ・アザバルさん、「モロッコ、彼女たちの朝(Adam)」にも出演していますし、主演の「灼熱の魂」は評価の高い映画ですが、この映画ではかなり減量して臨んでいるのではないかと思います。着替えるシーンでは背中の骨が浮き出ていました。腕などもかなりやせ細って見えました。本当に俳優さんというのはすごい人たちです。
で、ある時、ユーセフがハリムとミナのもとを訪ねてきます。1週間も店が閉められていると心配していましたので、いっときは自分の気持が受け入れられなく去ったものの、ハリムへの気持ちや刺しゅう職人としてのやりがいを捨てられなく、ユーセフも苦しんでいたのでしょう。
ユーセフが店を開け、ハリムはミナのもとで過ごしながら青いカフタンの仕上げを急ぐことになります。
タイトルとなっている「青いカフタン(The Blue Caftan)」ですが、ラストシーンでは印象的に使われはするものの、映画の最初では客が注文したもののまだできないのかと請求するものとして登場するだけです。青が特別な色なのかと思いググっても「モロッコの青い街シャウエン」なんて記事がヒットはしますが、イスラム的に特別な意味があるわけではなさそうです。
ハリムはミナのそばに寄り添いながらその青いカフタンに刺繍をし続けます。次第に3人の関係も穏やかなものになっていきます。ミナがユーセフにつらくあたったことを謝罪します。映画の前半に、ピンクの布がなくなり、ミナがユーセフのせいにするシーンがあり、後にそれはミナの勘違いであることがわかるという象徴的なシーンがあります。
3人でそろって食事をし、3人で楽しく踊り、そして、ミナは、ふたりともラクダのように臭い、ハマムへ行きなさいとふたりを送り出します。また、ミナはハリムに、自分自身の愛を大切にして生きて(こんな意味合い…)と言います。
青いカフタンが完成します。そして、ある朝、ミナは静かにこの世を去っていきます。
イスラムに則り、男たちによりコーランが朗唱され、女たちによりミナが白い布で清められます。しかし、ハリムが思わぬ行動に出ます。
ハリムはミナにキスをし、白布を取り去り、青いカフタンを着せます。ユーセフが入ってきます。そして、ミナの棺はハリムとユーセフに担がれてサレの石畳の街並みを通り墓地へと向かいます。
道ゆく人はその様子を訝しげにながめています。
イスラム社会のタブー
死者に青いカフタンを着せ、ハリムとユーセフふたりだけでミナを墓地へと運ぶこのラストシーンは、映画中頃にある、ミナとハリムが自宅の二階から、コーランを朗唱する大勢の男たちによって白布に包まれた死者が担がれていく様子を眺めるシーンと対比されています。
ハリムがミナに青いカフタンを着せるシーンでは、ミナを清めた女たちがミナに触らないで言います。ハリムは出ていってくれと強く主張してミナに青いカフタンを着せます。コーランもなくただ無言でふたりだけでミナを運ぶこともイスラムではあり得ないことでしょう。
そもそもの同性愛もそうですし、前作の未婚の妊婦という存在もイスラムでは宗教的にも法律的(正確には国によると思う…)にも認められないことです。
マリヤム・トゥザニ監督はそうしたことにどういう意識を持っているんだろうといくつかインタビューを読んでみました。そのひとつ、この映画を見た観客に何を望むかの質問に、
For example, in Morocco, I really hope that it can be able to bring about a change; a change in mentalities, a change in perception/ The film is above all a film about love.
I’m really hoping that the film will be able to contribute in bringing about a real debate about the LGBTQ community about changing the laws. If you have laws that punish, that incriminate love between two people of the same sex, then how can you expect the mentalities to change? These things have to go hand in hand, so I’m hoping as well that the film can create a necessary debate.
(rogerebert.com)
モロッコについて言えば、考え方(知性)としても、感覚的(認識)な意味でも、とにかく変わることを望んでいます。この映画は何をおいても愛の映画です。
この映画によってLGBTQについての法律改正の議論が起きることを願っています。同性同士の愛を禁止する法律があれば考え方が変わるきっかけも起きません。人の考え方が変わることと法律が変わることが並行して起きることを願っています。
(意訳です)
当然ではありますが、人と人との愛にタブーはなく、少なくとも法律があっては変わりようもないということです。それは映画からも伝わってきます。