逃げきれた夢

退職金あげるよと言えなければ人生変わらないと思いますが…

2019フィルメックス新人監督賞受賞作とあり、4年前の受賞作を今なの? と思いましたら、「新人監督賞は商業映画の実績がない新鋭監督が対象で、シナリオと過去の映像作品をもとに選考」ということらしく、「賞金50万円のほか、木下グループが5000万円を上限に製作費を提供、劇場公開に向けて企画開発や製作・配給を支援する」ということのようです。(東京フィルメックス

ということですので、この「逃げきれた夢」が二ノ宮隆太郎監督の直近の映画であり、商業デビュー作ということになります。

逃げきれた夢 / 監督:二ノ宮隆太郎

すべてに渋すぎて…

二ノ宮隆太郎監督、1986年生まれですから現在37歳、商業デビュー作にえらく渋い映画を撮ったものだと思います。

定時制高校の教頭末永周平(光石研)が定年を前にして突如人生に迷い始める話です。迷っているだけでこれといったことは何も起きません。映画のつくりとしても、映像的に印象に残るほどのこだわりは感じられず(それがこだわりか…)、音楽も一切ありません。カットそれぞれの間合いもかなり長いです。俳優をじっととらえたまま、なにか台詞があるのかなと思っていても何もありません。

という、日常的に見えて極めて非日常的な画の連続です。

ただ、末永だけはよく喋ります。そして、まわりからは奇妙にも見える言動をとりますので引かれまくります。奇妙といっても些細なことで、日々接している家族や一部の生徒にしかわからない奇妙さです。いや、そういうことじゃないですね、末永の相手をしているのは、妻と娘と生徒の一人だけです。それに、その三人にしてもほとんど台詞はなく、末永に対して、なに、このおっさん(妻や娘にしてもそう…)という反応を示すだけです。その三人の反応に対して末永がまたしゃべるという繰り返しで映画は続きます。そうした末永を追っていくだけの映画で、家族やその生徒がどう感じたかもはっきりしないまま最後までいきます。

光石研さんを撮りたかった映画のようです。

末永は何に迷いを感じているのか…

ある朝、末永は娘(工藤遥)に対して(娘は休日なの?)、あの、あれ、あの、みたいな感じで構えぎみに、お前の会社で扱ってるアロマ買ってきてくれないかと言います。怪訝な表情の娘に、加齢臭、加齢臭と自己フォローしています。さらに末永が、お前付き合ってる人いないのかと言うものですから、完全に気持ち悪がられます。

妻に対しては、別の日、台所に立つ妻(坂井真紀)の横にすーと寄って腰に手を回します。妻には、なに?! と驚かれ、汚らわしいものでも見るような目を向けられます。末永は、若い頃は…とこれまた自己フォローしまくります。

末永は定時制高校の教頭ですので昼過ぎくらいの出勤なんでしょう。ですので昼ご飯だと思いますが、生徒の平賀南(吉本実憂)が働く定食屋に寄る習慣のようです。その日、末永は支払いをせずに店を出てしまいます。追っかけてきた平賀に、末永は、オレ病気なんよ、忘れるんよと言い、払おうとして千円札を出しますがそのまま握りしめたまま行ってしまいます。

このシーンの意味はよくわかりませんが、病気というわけではないと思います。

とにかくこんな感じで、よくしゃべる男とただ引きまくるためだけの女たちを撮りたいのだろうかというシーンが最後まで続きます。

多少動きらしいものがあるのはこの平賀の件で、翌日末永は、昨日は悪かったねと言い二日分の支払いをし、なにかお礼をするよと言います。後日、平賀が連絡をしてきます。平賀は定食屋を辞めようと思うと言います。どうするのかと尋ねる末永に、中洲で働けば50万は稼げる、外国で暮らしたいと言います。そして、突然、先生、退職金ちょうだい、そうすればすぐに外国へ行けると言います。

なにも答えないでいる末永に、平賀は、さっき先生に連れて行かれた思い出の地めぐりはマジでつまらなかったと言い去っていきます。末永は平賀を追いかけ呼び止め、さっきこの子は絶対外国へは行かないだろうと思ったよと捨て台詞を残して去っていきます。

昭和のお父さんイメージか…

率直なところ、何をしたいのかよくわかりません。

末永の台詞が本音なのか、口からでまかせなのかよくわからない上に、さらに、それが演出なのか、光石研さんに任されているのかもわからず、末永も三人の女性たちも人物像が見えてきません。

このレビューの冒頭に、末永が定年を間近にして人生に迷い始める話と書きましたが、実はそれさえはっきりしません。

病気というのも嘘でしょうし、妻や娘に仕事を辞めようと思うとは言っていますが辞めたかどうかもわかりませんし、たまたま一日ズル休みをして古くからの友人石田(松重豊)と飲み歩いたりしますが、そんなこと大したことじゃないでしょう。辞めようと思うと言っていたのはその日の夜だったかと思いますが、反応のない妻や娘に対して、ここでも自己フォローで喋りまくり、好かれたいだけなんよなどと泣き言を言っていました。

男はある年齢に達すると人生に迷いを感じるものだということなんでしょうか。

あくまでも、男なんですよね。ちょっと気になったのですが、この家族、妻も働いていますし、娘も働いてます。末永が学校を辞めようと思うと言った時、続けて、40年働いてお金を運び続けてきたんだぞ、ご苦労さんくらい言えないかとキレるわけですが、でも、妻も働いていますし、それに妻は家事までしてきたんじゃないのと思うんですが、どうなんでしょう。

昭和のお父さんイメージなのかも知れませんね。

ただひたすら働いて定年間近になり、ふと、いったい自分は何をやってきたのか、妻にも愛されず、娘にも信頼されず、ただお金を家に運ぶだけの人間、それで本当に生きたことになるのか。

なぜ、平賀に、いいよ、退職金あげるよ、って言わなかったんでしょう。そうすれば人生変えられたのに…。