THE END(ジ・エンド)

あの穴蔵は CG ではなくシチリア島の地下にある岩塩鉱山の実写とのこと…

この人たち、こんな穴蔵で、いがみ合ったり、慰め合ったり、褒め合ったり、けなしたり、それに歌ったり踊ったり、いったい何やってんでしょうね(笑)という「アクト・オブ・キリング」のジョシュア・オッペンハイマー監督の2024年の映画です。

THE END(ジ・エンド) / 監督:ジョシュア・オッペンハイマー

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ネタバレあらすじ

この映画はさすがに何も知らずに見に行きますと何やってんだかわからないですね。ですので、以下は今ググってわかったことです。

Christopher Reed さんによるジョシュア・オッペンハイマー監督へのインタビュー記事からです。

あの穴蔵は CG ではなくシチリア島の地下にある岩塩鉱山の実写とのことです。それに、映画の最初と中頃に音を立てながらチューブが膨らんで走っていくシーンがありましたが、あれは空気供給装置だそうです。

映画の構想については、もともとインドネシアで3作目を撮るつもりが安全性に不安があり、他の地域で同じようなあくどい方法で富を築いた者はいないかと探していたところ、石油利権で財を成したオリガルヒが家族のためにバンカー(地下壕、シェルターみたいな意味合いか…)を買ったという話を聞いて会ってみたことから始まり、その家族の25年後をドキュメンタリーで撮ろうと考えていたんだそうです。それがなぜミュージカルになったかは、好きな映画のひとつであるジャック・ドゥミ監督の「シェルブールの雨傘」を見ていて、これだ! とひらめいたからだそうです。

なにー?! ですね(笑)。

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シェルターの家族

わたしにはよくわかりませんでしたのでウィキペディアから拾ってみました。

地球上が環境汚染のため居住できなくなった20年後が舞台です。裕福な一家が地下シェルターに逃れてきて暮らしています。母(ティルダ・スウィントン)、父(マイケル・シャノン)、20歳の息子(ジョージ・マッケイ)、母の友人(ブロナー・ギャラガー)、執事(ティム・マッキナリー)、医師(レニー・ジェームズ)の6人です。

息子は外の世界を知りませんので地上のジオラマを作って夢想しています。シェルターでは定期的に緊急時の訓練が行われ、うまく出来ない息子が叱責されています。また、プールもあり、健康にも気を使っています。

母は部屋の装飾に執拗にこだわっています。絵画は母のコレクションであり、モネの「日傘をさす女」もありました。ルミニズムと呼ばれるアメリカの風景画がかなりあったと思います。上のインタビュー記事にはビアスケットという画家の名前も出ています。

Staubbach Falls, near Lauterbrunnen, Switzerland (1865)
Albert Bierstadt, Public domain, via Wikimedia Commons

確かにこんな画がありました。

父は石油王として財を成した男で、その回顧録を書いています。母の友人は息子を癌で亡くしたと言っています。執事はゲイの設定です。医師は一家に薬を提供したり安全対策の担当です。

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引きこもり家族

一家は意識を失って倒れている少女(モーゼス・イングラム)を発見します。少女は住めなくなった地上の様子を語り、家族で逃れようと川を渡ろうとしたところ自分以外の家族は皆渡り切れなかったと自責の念を込めて語ります。

一家、特に母は少女の真意を掴みかねて警戒し、シェルターから追い出そうとします。しかし…、ここ、ちょっとよく分からなかたんですが、あるいは息子が助けようとしたからだったかも知れませんが、とにかく少女はシェルターで暮らすことを認められます。

そして、少女は息子と親しくなり、やがてセックスします。また、母と父も過去の愛しあった頃を思い出したりしながら、再び元に戻ろうとしますがうまくいきません(ということじゃないかと思う…)。

このあたりが無茶苦茶長く、同じことを繰り返しているような感じで一向に進展しません。

そんなこんなで(笑)、母の友人が不眠症のため医師に睡眠導入剤を処方してもらい、過剰摂取で死にます。また、父と執事が踊ります。二人は性的関係があったのかも知れません。

時は経て、息子と少女の間には子どもが生まれています。そして、家族写真を撮り、一家の明るい未来が提示されます、かどうかは知らない(笑)。

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感想、考察:物語を動かさないと映画にならない…

ミュージカルにしているのが失敗でしょう。シリアスな台詞劇でやるべき題材です。

「シェルブールの雨傘」を見たのがいけなかったですね。

キム・ギドク監督の「人間の時間」でも見ていればまた違ったかも(笑)。

まあいずれにしても、罪悪感だけのワンテーマで物事が進展していかない話は映画向きではありません。映画は物語が動いて初めて映画になります。

私は疑似家族の話かと思ってみていました。それぞれが自らの家族を捨ててきており、その罪悪感が描かれていくのかと思ってどうなるんだろうと、しばらくは期待してみていたんですが、ただの引きこもり家族みたいな話でした。