小学校~それは小さな社会~

これだけの映画が撮れるのなら、その立ち位置ちょっと離れてみてほしい…

東京都世田谷区の小学校の一年を描いたドキュメンタリーです。海外向けのタイトルは「The Making of a Japanese」です。日本人はこうしてつくられるみたいなニュアンスでしょうか。

小学校~それは小さな社会~ / 監督:山崎エマ

山崎エマ監督の才能を感じる…

とにかく驚くのは、よくこれだけの映像を撮ったものだと思います。

撮影時期は、新型コロナウイルスが流行しており緊急事態宣言云々との会話がありますので2021年の4月から翌年3月までの一年間だと思います。

また、生徒や教師がカメラをまったく意識していないところからしますと準備期間をかなり長く取っていると考えられます。前年の2020年2月28日から新型コロナウイルス流行による全国一斉臨時休校が発令されていますので、その時期にこの計画が立ち上がることは考えられなく、そのもっと前となれば3年から数年をかけたプロジェクトということになります。

山崎エマ監督ひとりではないにしてもこれだけのものを実現させたことにも才能を感じます。学校行政や教育委員会を説得するのも大変だったんじゃないかと思います。教師にしても子どもの親にしても反対する人は少なからずいるでしょう。

そして、もうひとつ驚くのは構成と編集のうまさです。構成力は監督には必須ですが、編集にも山崎エマ監督の名がクレジットされています。その通り本人の手によるものとすれば編集の才能もありますね。

構成という点で言えば、撮影の被写体を1年生と6年生に絞っているのもうまいです。小学校生活6年間でどれだけ子どもたちが変わっていくのかを明快に伝えてきています。それがドラマの軸となっています。

それに説明ナレーション一切なしです。この映画は子どもたちや教師たちに映画のつくり手の意図する会話をさせようとしていません。もちろんドキュメンタリーであってもつくり手のドラマづくりのための意図はあります。それをじっくり撮った映像と編集で表現しています。

この映画の視点はどこにあるのか?

まあ当然のことながら、こういう映画では被写体にとってよろしくないところは撮れないでしょう。撮れたとしても公開はできないと思います。

たとえば、縄跳びがうまくできない子が家で必死に練習して運動会(かな…)の本番では完璧にこなすとか、1年生の入学式での演奏会でシンバルを担当する子も同じように本番では失敗せずうまく演奏します。そのように構成せざるを得ないということです。教師の言い訳的なコメントを入れたりしています。ああ、ここでは意図的なインタビューでしたね。

そういう映画だとの前提で見ないとこういう映画は見誤ります。批判しているわけではありません。何事にもいいところもあれば悪いところもあります。この映画からは今の日本の教育環境で問題になっている(らしい…)学級崩壊であるとか、モンスターペアレントであるとか、教師のブラックな職場環境であるとかいったことの、その影さえ見えてきません。

山崎エマさんとはどんな人だろうとググってみましたらご自身のウェブサイトがありました。

やはりかなり編集のキャリアはあるようです。それに全体の印象として社会の問題点に切り込みにくい立ち位置にいるような印象を受けます。わかりやすく言えば、この映画も NHK 的だということです。

まあこれは余計なことですが、そうした立ち位置から少し離れてその才能を活かした鋭い切り口の映画を期待したいところです。たとえば、この映画にも集団主義的教育への批判的視点がかすかに見え隠れしているように感じますので、そういう映画があって初めて日本の教育の全体像が見えてくるのではないかということです。