無聲 The Silent Forest

批評性のない社会派映画は見ていてつらい

久しぶりに後味の悪い映画を見ました。いや、後味だけではなく中味(そんなものはないから途中の味?)もです。映画の中で起きることに対してというわけではなく、そもそもの制作者たちの価値観がとても気になります。

無聲 The Silent Forest / 監督:コー・チェンニエン

映画の、ひいては制作者の価値観が気持ち悪い

いろいろなことに違和感を感じる映画です。映画の中で起きていることはたしかに気持ち悪いことなんですが、それじゃないんですよね。多分、その起きていることに対して映画に批評性がないからじゃないかと思います。映画はどんなにひどいことを描いてもそこに批評性さえあればいいとは思いますが、ただ単にひどいことを映像にしているだけに感じます。

性的暴行を許容しているかのよう

ろう学校での性的暴行が描かれる映画です。女子生徒ベイベイが男子生徒たちに暴行されます。そのシーンではベイベイは激しく拒絶しています。しかし、その後そのことを問われますと仲間はずれになるよりもいいと答えます。そうしたベイベイの心情はあり得ることかもしれません。でも、映画はそれに対して善良な教師を置いているだけで何もせず、ベイベイの心情を有耶無耶にしてしまっています。本人が隠そうとするとかじゃないんです。本人は教師に嫌だと訴えているのにそれだけなんです。

チェンに対する性的暴行、チェンが強要されてする性的暴行も同じです。そうした事実が隠されているわけではありません。ベイベイへの暴行はすぐに明らかにされますし、チェンが男子生徒に無理やりやらされた行為もすぐに皆知ることになります。

それでも何も起きません。映画は何も起こしません。映画は傍観者です。つまり、見ているわれわれが傍観者にさせられる映画ということです。

ベイベイに関して言えば、さらに、ベイベイは暴行されても妊娠しないようにと闇医者の手で不妊手術(避妊手術)をしようとします。あり得てはいけないことですが、そういう思考もあるのかもしれません。問題は、映画はそれに対して、これまた教師が手術の途中でやめさせたとして有耶無耶にしています。ベイベイの行為やそこに至ったベイベイの心情に対して何も触れません。止めたことでなかったことになっているようです。

観客にあんたたちは傍観者だよと言っているんですかね。いやいや、傍観者ではいけないよと言ってくれなければ…。

ホラー映画のようなセットはなぜ?

各シーン、ホラー映画のようなつくりがされています。廃墟のようなセット、陰影を濃くしておどろおどろしさを出した照明、音楽もそうです。

事実をもとにした創作のようですが、この映画の制作者たちはその事実を知って何を感じ、どうすべきだと思ったのでしょう? それがみえない映画は見ていてもつらいです。

エンターテインメントということなんでしょうか。

無聲の世界?

映画は、そうしたまわりが何も変わらない、何も動かない状態を、ろう者たちの叫びが届かない、ろう者たちの声をまわりが聞こうとしないと言っています。

もしこの映画のほとんどが事実にもとづいているとするならば、こんなエンタメ仕様の映画にしちゃいけないですよね。それぞれの事実をもっと突っ込んで描いて、本当に叫びが聞こえる映画にしないとダメじゃないかと思います。

実際、この映画の中の大人たちは何もしません。善良な教師をひとり置いてすましているだけです。大人たちに何も出来ないはずはないです。出来ないのならそのなにも出来ない大人たちを描かないとダメでしょう。子どもたちが被害にあっているさまを延々見せて、それが無聲の世界だからと言われても、いやいや、それは大人が悪いでしょう。

ネタバレあらすじ

台湾の映画です。ろう学校での教師や生徒による生徒に対する性的暴行、そしてそれを知ったときの校長、教師、親たちの対応を描いています。

チェンがろう学校に転校してきます。時系列や因果関係を重要視しない編集がされていますのではっきりしないのですが、チェンは母子家庭でろう学校の寮に入っているようです。母親との家庭のシーンが2、3シーンありますので違っているかもしれませんが、深夜に学校をうろつくホラー風のシーンがあったりとそうとしか思えませんし、通学バスが学校から寮へのバスだったと思います。

ベイベイへの生徒たちの性的暴行

とにかく、チェンはその通学バスでベイベイが生徒たちから性的暴行にあっているところを目撃します。バスの後部座席を制服で覆って数人の男子生徒がベイベイを暴行しています。チェンはあまりのことにその時はなにも出来ませんでしたが、教師のダージュンにそのことを訴えます。

チェンはベイベイにもそのことについて尋ねます。ベイベイは嫌だけど仲間はずれになりたくないと答えます。一度だけのことではないようです。ダージュンは校長に訴えますが、あれこれ有耶無耶にされてしまいます。

チェンへの生徒たちの性的暴行

その後、チェンとベイベイの交流であったりといろいろシーンとしてはありますが、とにかく時系列としてははっきりしていません。

暴行グループの主犯はユングアンです。もう中盤に入っていたと思いますが、チェンがターゲットにされます。ユングアンたち暴行グループは、チェンを拘束し、ベイベイへの暴行をやめてほしいのなら、もうひとり拘束している男子生徒の性器をしゃぶれと脅します。チェンは応じます。

その動画が撮られ、後に学校内で校長(だったかは?)がチェンの母親に見せるシーンもあったりと、あまり経緯はよくわかりませんがチェンが性的暴行の加害者されたりします。とにかく、なんだかよくわからないまま有耶無耶なることの多い映画です。

そういう映画です。

ユングアンへの教師の性的暴行

学校の卒業式でしたか創立記念式典だったか、すでに退職している教師たちも招待され、その中に美術教師がいます。その教師からユングアンにメールが入り、ユングアンの様子がおかしくなります。

ユングアンがベイベイを暴行します。ユングアンが精神不安定になったことと関連させた描き方ですが、ドラマとして利用しているだけですので気持ち悪いです。この後、ベイベイは不妊手術をしようとしています。とにかく、それを知ったチェンは約束が違うとユングアンを暴力を加えます。

ユングアンが手首を切り自殺をはかります。病室に美術教師がやってきます。シーンとしてはありませんが、ユングアンが教師に性的暴行されたということです。

ユングアンの告白

その事実を知った教師のダージュンがユングアンに事実なのかと尋ねます。ユングアンは泣きながら、自分から教師を求めた、自分は変態だと嗚咽します。つまり、ユングアンは小学生の頃からその教師に暴行されており、ストックホルム症候群(違う言葉があるかも)的な状態になっているという意味なんだと思います。

被害、加害、被害の連鎖

そして、すべてが明らかにされ、校長は懲戒免職になり、すべては解決したようにみえます。美術教師はどうなったのか記憶がありません。

平静に戻った通学バスの中、チェンもベイベイもいます。皆、楽しそうに騒いだりしています。後部座席にはチェンが無理やり暴行させられた男子生徒がいます。その男子生徒はおもむろに立ち上がり、眠っている男子生徒の顔を制服で覆おうとしています。

なにをしようとしているのかははっきりしませんが、何らかの暴行を加えようとしているということでしょう。

後味の悪さは超一級の映画

これが目的なら成功しているかもしれません。でも、こういう内容の映画をエンターテインメント的に描くのはどうなんでしょう。

社会的な問題を描いて批評性のない映画はエンターテインメントだと思います。