アウシュヴィッツの生還者

16歳で生き別れになった恋人への思いを軸にバランスよくうまくまとまっている…

「Based on the true story of Harry Haft」とクレジットが入っている通り、実在のユダヤ系ポーランド人ハリー・ハントさんの実話にもとづいた映画です。もちろんこうした映画の常道で誇張されているとは思いますが、ことの経緯は実際にあったことのようです。生き別れになった恋人レアさんの存在やハリーさんがレアさんと再会したことも事実のようです(HISTORY vs HOLLYWOODによる…)。

映画の出来としても見ごたえがあります。監督はバリー・レヴィンソンさん、「レインマン」の監督です。今だに「レインマン」で宣伝されるのは映画のターゲットが高齢者ということからでしょう。

アウシュヴィッツの生還者 / 監督:バリー・レヴィンソン

驚きのベン・フォスターだが…

ハリー・ハフトという、アウシュヴィッツ サバイバーであり、生還後2年ほどアメリカでプロボクサーとして活躍した人物を描いた映画です。そのハリーをベン・フォスターさんが演じています。時代が1942年頃から1945年のアウシュヴィッツ強制収容所時代、1949年のアメリカでのボクサー時代、そして1964年と三時代にわたりますので、アウシュヴィッツ時代(上記引用の画像…)は別の俳優さんだと思ってみていました。とんでもありません、ベン・フォスターさんが62ポンド(約28kg…)減量して演じていたそうです。さらに、1949年のハリーを演じるためにわずか5週間後に50ポンド(約22.7kg…)増量して現れたそうです。

すごいこととは思いますが、こういうのはやめたほうがいいです。だって、見ていてもアウシュヴィッツ時代のハリーを演じているのがベン・フォスターさんだとはわからないのですから意味がありません(わかる人にはわかるにしても…)。

年齢的にも、実際のハリーさんが強制収容所にいたのは16,7歳から20歳の間です。映画のベン・フォスターさんは30歳代の雰囲気でした。アメリカ時代は1948年、23歳くらいからです。ボクサー時代の写真がウィキペディアにあります。Non-free コンテンツとなっており転載できませんので興味があればリンク先へどうぞ。

映画では同胞のユダヤ人を自分の手で殺したことがトラウマ(PTSD…)となって苦しむ様子が主題となっています。実際のハリーさんがどうであったかはわかりませんが、多かれ少なかれそうしたことはあったんだろうと思います。

それにしても言葉に表せない壮絶な人生です。

生き別れとなった恋人レアは実在らしい…

映画は、1949年、ナチスに拘束されて生き別れになった恋人レアを探すハリーが軸となって進みます。

ハリー・ハフトさんという方を知りませんでしたのでウィキペディアを読んでみたところ、恋人のレアという名も出てきませんので映画の創作かと思ったのですが、HISTORY vs HOLLYWOOD には16歳まであとひと月というときに生き別れになったことも、1963年に再会し、その時レアさんが末期がんであったことも事実として書かれています。

おそらくこの映画のベースにもなっているハリーさんの息子アラン・スコット・ハフトさんの著書『Harry Haft: Auschwitz Survivor, Challenger of Rocky Marciano』からのものなんでしょう。

その他、ヴィッキー・クリープスさんが演じているミリアムも実在の人物ですし、ハリーの過去を記事にする新聞記者を除いて主要人物はみな実在のようです。上記リンク先に映画と実際の人物の比較写真があります。

同胞を自らの手で死に追いやる…

1949年、アメリカでボクサーとして活躍しているハリー(ベン・フォスター)はアウシュヴィッツ時代のフラッシュバックに悩まされ、ボクサーとしての戦績も芳しくありません。ハリーがアウシュヴィッツから生還できたのは、ナチス将校たちの娯楽のためのボクシングでユダヤ人同胞と戦い勝ち続けてきたからです。

1942年(ごろ…)、ハリーはアウシュヴィッツでその腕力から親衛隊のシュナイダー(ビリー・マグヌッセン)に目をつけられ、賭けボクシングのボクサーにさせられます。ボクサーなんてものではなく闘犬の飼い犬のような存在です。ボクシングの相手は同胞のユダヤ人、負ければその場で射殺されるかガス室送りになるという、本当に人間にこんなことができるのだろうかという残虐非道さです。ハリーにとっては勝ち続けるということは、自らの手で同胞を死に追いやることに等しいということになります。

ところで、この親衛隊のシュナイダーという人物はこれまで多く描かれてきた人物像とは違った造形がされています。良くいえば(良くはないが…)知的で冷めた思考をするタイプ、悪くいえば無責任な卑怯者タイプ、具体的には、ナチスでありながら決してナチズムを信奉しているわけではなく、所詮人は悪を成すものといった価値観で、国家(人間社会…)は敵対するものを排除することで安定できる、キリスト教徒がユダヤ人を排斥することも必然だと語っています。

映画は、1949年を現在軸にして、ハリーのフラッシュバックや話に応じて1942年から1945年がモノクロ画像で入るつくりになっています。

1949年、ハリーは16歳のときに生き別れになった恋人レアを探し続けています。ナチスに連行されるレアのフラッシュバックや、ハリーが生き延びろ、必ず探し出すと約束したと語るシーンがあります。

後に結婚することになるミリアム(ヴィッキー・クリープス)とは、迫害されたユダヤ人の追跡調査事務所のようなところで出会っています。なぜ探し出せないのだ!と興奮するハリーをなだめる女性職員として登場します。ミリアムも恋人を対日戦線(太平洋戦争…)で亡くしているとの設定になっています。

新聞記者(ピーター・サースガード)がハリーに近づいてきます。ハリーの過去について何らかの情報を持っており、それを記事にしたがっているということのようです。自分のことが新聞に出ればレアが見るかもしれないと考えたハリーは、自分がアウシュヴィッツで生き延びるためにやってきた同胞とのボクシングの事実を語ります。

ハリーの過去が新聞記事になったことから、後にヘビー級チャンピオンとなるロッキー・マルシアノとの対戦が組まれます。また、逆にユダヤ人コミュニティからは白い眼を向けられることになります。ただ、これはワンシーンくらいで、映画はボクシングのトレーニングとミリアムとの関係を中心に進みます。

ボクシングからの引退、さらに襲うフラッシュバック…

この映画、かなりうまいつくりがされており、終盤の付け足し感が気になる点を除いて集中して見られます。アウシュヴィッツ時代のフラッシュバックの入れ方も自然ですし、ミリアムとの恋愛も抑制的でハリーの人物造形にプラスになっています。

中盤のボクシングのトレーニングシーンもそれなりにもっています。対戦相手であるマルシアノのトレーナーが2日間だけトレーニングのために来てくれます。一般的にはあり得ないと思いますが、前振りとしてハリーがマルシアノのスパーリングを偵察に行くシーンなどを入れて違和感をなくしたり、トレーナーに無様な試合を避けたいためだなどと言わせていました。

どうやって撮っているのかはわかりませんが、試合のシーンもそこそこ迫力があります。あんなに打ち合ったら死んじゃうよと思うくらいです。

実際のマルシアノとの試合は1949年7月18日のことです。1Rはハリーが優勢に試合を進めますが、3RにKO負けしています。これは映画でも事実が守られています。ウィキペディアには、その伝記(息子によるもの…)の中で、マフィア(マルシアノはイタリア移民の子ども…)から負けるように脅されていたと語っているそうです。

ハリーはボクシングから引退します。試合の最中にレアの死を確信したと語り、ミリアムにももうレアを探すことはしないと言い、ミリアムに忘れられない恋人がいたことを受け入れるから、自分にもレアという存在がいたことを受けれてほしいと求婚します。

ハリーのフラッシュバックは続きます。

アウシュヴィッツのボクシングで友人を自らの手で殺したこと、その友人は戦おうとしないハリーに、ナチスの手で殺させないでくれ、尊厳ある死に方をさせてくれと懇願します。ハリーは友人を殴り倒し、ユダヤ教の聖歌(かな…)をつぶやきながら倒れた友人の首を膝で締めて殺します。

また、ミリアムと愛し合うシーン、ハリーがドアののぞき穴を見た瞬間、フラッシュバックが襲い先に進めなくなります。シュナイダーがごほうびだと言ってユダヤ人の女性と寝るように強制し、それをのぞき穴から見ている過去がよみがえったのです。

このシュナイダー、映画ではハリーが殺していますがその事実はないようです。他には、ドイツ軍の敗戦が濃厚になり収容しているユダヤ人を何十キロも歩かせる死の行進やその途中にハリーが逃亡するシーンも描かれています。

1964年、レアとの再会と息子アラン…

実際のハリーとミリアムは1950年3月22日に結婚し、運転手などをした後、果物や野菜の販売店を始めています。映画でハリーが手押し車で町なかを歩くシーンがあったのは、そうした販売方法もとっていたからのようです。

1964年、ハリーが息子のアランにつらくあたるシーンから始まります。ハリーから見れば軟弱に見えるアランです。アランが怖がっていると咎めるミリアムに強くなければどうやって生き抜くのだと譲りません。また、ミリアムが収容所のことを話してあげてと言うことにも、自分の過去を子どもに押し付けるつもりはないとこれまた譲りません。

実際のアランさんはハリーの伝記本として書いた著書の中で「I never believed him.(父親のことを信じたことは一度もない)」と書いているそうです。アランさんにとっては最後まで映画のようないい父親にはならなかったハリーということでしょう。

ある時、新聞記者がやってきてメモ書きを置いていきます。レアの住所です。ハリーは会いに行くことを決め、家族には何も言わずに旅行だと言って連れ出します。しかし、ミリアムにはわかります。その気になったら(みたいな感じ…)戻ってきてと送り出します。

ハリーはアランを連れてレアに会いに行きます。レアには夫と娘がいます。レアは末期がんに冒されています。ハリーはすでに電話で事情を知っています。

顔を突き合わせて見つめ合うふたり、言葉にならない再会です。お互いに過去がよみがえっているのでしょう。ハリーが、わずか数ヶ月のことだったんだと、愛し合った数ヶ月とその後の長い時間に思いを馳せ、そして涙を流しながら唇を噛みしめるように笑い始めます。レアにも伝染しお互いに笑い合っています。レアが、本当はあなたの新聞記事を読んだと切り抜かれた新聞記事を取り出し、そして、でも、そのときは結婚した翌日だったと続けます。

帰り道、ハリーはアランに自分の過去を話します。そして、ミリアムのもとに戻りジョークで笑わせながらミリアムの手を握ります。

ハリー・ハフトさんは2007年にアメリカのユダヤ人のためのスポーツ殿堂入りを果たし、その年の11月に亡くなっています。