昨年2022年のカンヌ国際映画祭のパルムドール受賞作です(ホントに?)。リューベン・オストルンド監督は、前作の「ザ・スクエア 思いやりの聖域」で同じくカンヌのパルムドール、前々作の「フレンチアルプスで起きたこと」で2014年のカンヌ「ある視点」部門の審査員賞を受賞しています。
思わず昨年の審査委員が誰かを調べてしまいました。審査委員長はバンサン・ランドン、審査委員はアスガー・ファルハディ、ジェフ・ニコルズ、レベッカ・ホール、ディーピカー・パードゥコーン、ノオミ・ラパス、ジャスミン・トリンカ、ラジ・リ、ヨアキム・トリアーというメンバーだったらしいです。
カンヌが映画を忘れた
マジにどうこう語るのも憚られるような出来の映画です。映画として未完成です。
同じようにカンヌで評価された前二作「ザ・スクエア 思いやりの聖域」「フレンチアルプスで起きたこと」は、映画のつくりが上から目線的であることから、どちらも私の評価は低いのですが、それでも、それなりに映画として出来上がっていますし、やろうとしていることも伝わってくる映画です。
でも、この「逆転のトライアングル」には何もありません。
ブラックユーモアのつもりかも知れませんが、富裕層、いわゆる金持ちの高齢者の横柄さ、無神経さを延々見せているだけです。笑えもしませんし、ドキッともしません。
社会はあんな単純じゃありませんし、仮にブラックユーモアが単純化によって生み出されるものだとしても設定自体に社会性がなければ意味がありません。
船長とロシア人の資本主義、自由主義、共産主義、マルクス主義をめぐる論争も、論争自体の無意味さをみせようとしたんだと思いますが、それでも少なくとも船長も生き残らせておかなければ無意味さ自体が無意味になってしまいます。
カールとヤヤのジェンダー論争
3つのパートで見せています。
ひとつ目はモデルのオーディションシーンとカール(ハリス・ディキンソン)とヤヤ(チャールビ・ディーン)のジェンダー論争シーンです。
ジェンダー論争は、ふたりが食事をし、その代金をどちらが払うかで論争になります。正確にはどちらが払うかではなく、男性は女性が奢ると言っていたにもかかわらず、いざ支払いの段に女性が男性に支払うように仕向けたことから、男性が女性にジェンダー論争を仕掛けたということです。
ただこのシーンも、結局、女性のクレジットカードが使えなくなっているという展開にしており、つまり、支払わなかったのは女性の意識の問題ではなく、単に支払うお金がなかったからということになり、ジェンダー論争にならなくなっています。
船長とロシア人の体制、あるいは哲学論争
2つ目のパートは豪華客船のクルーズシーンです。
カールとヤヤはモデルです。ヤヤがインフルエンサーだと言っていましたので招待されての乗船ということでしょう。他の乗客は富裕層の高齢者です。ここでは社会の階層を見せることと船長(ウディ・ハレルソン)とロシア人(ズラッコ・ブリッチ)の体制、あるいは哲学論争のお遊びシーンです。
乗客は白人、乗客と直接対面する乗務員はスウェーデン人(と思われる…)、清掃係はフィリピン人、機関士はアフリカ系黒人と、あからさまに階層設定がしてあります。
ただこのパートもその設定がまったく生かされていません。アル中の船長主催のディナー時に海が荒れて船酔いのために皆が吐きまくり、さらに揺れてトイレの汚物が溢れるという醜悪下劣なシーンの連続です。そして、なぜか海賊に攻撃を受けて沈没していました(笑)。
そのなかで、船長と乗客のロシア人が、マルクス、レーニン、アダム・スミス(いなかったかも…)、サッチャー、レーガン、オバマなどの言葉を引用して、資本主義、自由主義、共産主義、マルクス主義論争を繰り広げたりするシーンもありますが、結局のところお遊びです。
「逆転の」はミスリード
3つ目のパートです。船は沈没し、数名が無人島に流れ着きます。
邦題は「逆転のトライアングル」として、無人島で生き抜く必要から階層が逆転し、乗客や乗務員たちと清掃係のアビゲイル(ドリー・デ・レオン)の立場が反対になる展開を予想させていますが、確かにそうなるにしてもそのこと自体は主要な問題ではありません。むしろ、逆転が意識されているとするならば、女性対男性ですし、それにしても映画が明確に逆転を打ち出しているわけではありません。
原題は「Triangle of Sadness」、直訳すれば「悲しみの三角形」です。直接的な意味は「眉間のしわ」のことであり、冒頭のモデルオーディションのシーンのカールが審査する側から眉間(Triangle of Sadness)を緩めるように言われていました。そんな堅苦しく考えないでということでしょう(笑)。
とにかく、無人島ではアビゲイルが魚を捕まえて火をおこし皆の胃袋をつかむわけですからアビゲイルのいうことを聞くしかなくなります。それにスナック菓子も持っています(笑)。
ただ、この逆転した力関係が強調されているわけではなく、カールと黒人の機関士を残して、ヤヤや女性の乗務員、それにロシア人や「雲の中」の女性乗客もキャビンに入ることが許されたり、その後はアビゲイルがカールとの男女関係を望んでふたり専用のキャビンとなったりで、正直何をやろうとしているのかさっぱりわかりません。
脳卒中だったかで身体の自由がきかなくなった女性乗客が言う「雲の中」状態がこの映画をよく現していると思います。
で、結局最後は、アビゲイルとヤヤがふたりで遠出し、実は無人島ではなくリゾートアイランドであることがわかり、アビゲイルにヤヤへの殺意が生まれるというシーンで終わります。その後、カールがブッシュの中を必死に走るシーンがあり、さらに映画が意味不明なものになっています。仮にヤヤの危険を察知したからだとしても、流れからいけば、カールがそう感じる理由はアビゲイルの嫉妬しかありません。
カールとヤヤの恋愛ものだったということかも知れませんね。パート1で、カールはヤヤに、自分に惚れさせてやるなんて言っていましたから…。