エンパイア・オブ・ライト

ネタバレレビュー・あらすじ・感想・評価

1917 命をかけた伝令」のサム・メンデス監督です。その「1917 命をかけた伝令」、リンク先の自分のレビューを読み返してみましたらぼろくそに書いています(ペコリ)。

主演は「女王陛下のお気に入り」「ファーザー」のオリヴィア・コールマンさん、劇場で何度も見たこの映画の予告編に「キャリア最高の演技」とあったのが印象に残っています。

エンパイア・オブ・ライト / 監督:サム・メンデス

母親愛

「キャリア最高の演技」とまで言うのはあくまでも宣伝文句でしょうが、とてもよかったです。オリヴィア・コールマンさんの演技の良し悪しがそのまま映画の出来に直結するような映画です。ただ、よかったのは後半で、前半は、そうしたシーンがないからなんですが、演じたヒラリーの人物像がはっきりするまでにかなり時間を要します。

この映画はサム・メンデス監督の単独シナリオであり、発案のベースとなっているのは本人の10代の頃の思いであり、コールマンさんが演じているヒラリーにはメンデス監督の母親の存在が反映されているということです。母親は実際にメンタルヘルスに苦しんでいたと監督本人が語っています。

メンデス監督の母ヴァレリー・メンデス(Valerie Mendes)さんは小説家で現在83歳です。もちろん反映されているといっても、設定も人物像もまったく違いますし、ヒラリーの人物像については、メンデス監督はシナリオ執筆中にコールマンさんとズームで(ロックダウン中だったので…)話をして、当て書きとは言わないまでもコールマンさんが演じることを前提に書いたということです。

映画愛

映画の時代設定は1980年の冬から1981年にかけてです。当時、メンデス監督は15,6歳、インタビューで「映画に逃避していた」と語っています。当時の映画のタイトルがいくつか登場します。画としては流れませんが、「炎のランナー」「チャンス」、他にもありましたし俳優の名前や写真が数多く登場します。

舞台のなるのはイギリス東部の海沿いの街マーゲイトの架空の映画館エンパイア劇場、ロケ地となっているのは Dreamland Cinema という元映画館です。

この建物は Grade II という国指定の歴史建造物に指定されているとのことで、映画のために特別に「DREAMLAND」の看板を「EMPIRE」とすることが許可されて撮影されたそうです。劇場内も一部実際に撮影に使われているそうです。

映画冒頭、早朝でしょう、まだ明かりのついていない劇場のエントランスから海沿いの雪景色を臨むシーンから始まります。ヒラリー(オリヴィア・コールマン)がドアを開けて入ってきます。そして電灯のスイッチを入れ、パッパッパっと明かりがつきエントランスの全景が現れます。印象的なシーンでした。

このエントランスはセットだそうです。わざわざ海沿いの空き地にガラス越しに海が見えるセットを組んだそうです。

人間愛

このエンパイア劇場を舞台にした人間愛と映画愛、そして人種差別と女性差別の物語です。

ヒラリーはエンパイア劇場のマネージャーです。スタッフとして数人が働いています。主要な人物は支配人のエリス(コリン・ファース)と映写技師のノーマン(トビー・ジョーンズ)、そして新人のスティーヴン(マイケル・ウォード)です。

ヒラリーは孤独な人物です。かなり説明的ではありますが、一人住まいのアパートメント、一人っきりの食事、ベッドに横たわる横顔、洗面所で歯を磨き薬を飲む(これ、重要だった…)カットと続きます。また、支配人のエリスから性的関係を強要されています。おそらく、強要されていると描きたかったんだと思いますがあまりはっきりしてしません。

前半は、このヒラリーという人物がなかなか掴みきれません。中盤になり、突如ヒラリーが欠勤し、その直接の原因はスティーヴンとの関係にあるのですが、実は過去(昨年の夏と言っていた…)にも長期休暇を取っていたことがあり、理由はメンタルヘルスに問題があり、客に暴言を吐くといった混乱した状態になり、入院していたことが明らかになります。

正直、えー?! そうなの? と驚き(それほどでもないけど…)、やっと医師とのシーンや薬を飲むシーンの意味がわかりました。もう少し早くヒラリーの問題を見せておかないともったいないです。確かに憂鬱そうな感じであるとか、エリスとの関係も望んでいることではないとは思いましたが、スタッフルームでの歓談シーンやスティーヴンとのシーンなどでは割といい職場環境なんだと思い、この映画、どこへ向かっていくんだろうと疑問を抱かせる前半でした。それにその過去の問題が何に起因していたのかも明らかになっていません。砂の城のシーンでスティーヴンが過去の恋愛について尋ねたことからおかしくなりましたので、エリスとのことなんだろうとは思いますが、あまり突き詰められていないのかもしれません。

話が後先になりましたが、映画の大きな軸となっているのはヒラリーとスティーヴンの人間関係です。ヒラリーが教育係となり劇場内を案内します。大きな劇場です。現在はその1(2…)スクリーンですが、階上には閉鎖されたスクリーンがあると言い、ふたりで上がります。がらんとして廃墟のようです。鳩が幾羽も入り込んでいます。一羽の鳩が動けずにいます。スティーヴンは羽が折れているといい治療します。ちょっとばかりあざといシーンですが、ヒラリーがスティーヴンに好意を持つシーンです。

その後もヒラリーがスティーヴンを気にするカットが、スティーヴンと若い女性が親しく話したり、エリスに性的関係を求められたりするシーンの間に挿入されていきます。そして、大晦日の夜、ふたりはエンパイア劇場の屋上でカウントダウン花火を見ます。スティーヴンの横顔を見つめるヒラリー、思わずキスをします。我に返ったヒラリーは逃げるように去っていきます。

後日、ふたりは階上の鳩の様子を見に行きます。スティーヴンが包帯(のようなもの…)を取り手を離しますと鳩は勢いよく飛んでいきます。スティーヴンの方からヒラリーにキスをしふたりは愛し合います。やはり、ちょっとあざといです。

女性差別と人種差別

ふたりは郊外の海辺にピクニックに行きます。ふたりで砂の城(何かの引用か、暗喩か…)をつくりながら、スティーヴンが初恋のような過去の恋愛の話をします。スティーヴンがあなたのは?と尋ねますと、ヒラリーの様子がおかしくなり、次第に苛立ち、砂の城をつぶし、そして全身を使って城を壊してしまいます。

そしてヒラリーは劇場に来なくなってしまいます。スティーヴンはヒラリーがメンタルヘルスの問題を抱えていることと過去の出来事を知ります。

その頃、エンパイア劇場で「炎のランナー」のプレミア上映が行われることが決定します。支配人エリスは、プレミア上映にはポール・マッカトニーやブルース・スプリングスティーン(違ったかも…)もやってくるみたいなことを言っていましたが、とにかく、その日、市長や市会議員を前にしてエリスが挨拶をし、舞台から降りようとしたその時、ドレスアップしたヒラリーが変わって舞台に上がり勝手に喋り始めます。

その場でなにかぶちまけるのかと思いましたが、誰だったかの詩を引用して割と普通(に見えたけど…)に話をしていました。女性差別についての話のようでもあったのですがよくわかりません。そもそもこのシーンの意図もはっきりしません。少なくとも字幕では。

が、しかし、その後エントランスでひと悶着発生です。ヒラリーを咎めるエリス、そこにエリスの妻がやってきます。ヒラリーがエリスとの関係を、その性癖まで妻に向かってぶちまけてしまいます。

ヒラリーのアパートメントのシーン、スティーヴンもいます。ヒラリーはハイテンションです。過去に統合失調症、双極性障害の診断がくだされているようです。警察とソーシャルワーカーがやってきます。ドン! ドン! ドン!(ドアを叩く音…)は結構ドキッとします。ヒラリーは毅然として、スティーヴンに隠れるように言い、自分はコートを着て、バッグを用意して待ち構えます。そして、入院します。

後日、ヒラリーは復帰します。エリスはブライトンの劇場へ異動しています。再び良い状態に戻るかと思われたエンパイア劇場ですが、時はサッチャリズムによる不況が吹き荒れたイギリス混乱の1980年代です。そのひずみは人種差別として顕在化します(すでにここまでにも2シーン、人種差別社会が明示されている…)。エントランスから見渡す海辺沿いの道路をデモ隊が行進していきます。やがてその矛先はスティーヴンのいるエンパイア劇場に向かい、ガラスが割られ、暴徒が乱入し、スティーヴンが暴行されます。

救急車で運ばれるスティーヴン、付きそうヒラリー、なんとか一命をとりとめたスティーヴン、ほっとするヒラリー、そこへ看護師であるスティーヴンの母親がやってきます。母親にはどことなくヒラリーの年齢差を咎めるような雰囲気があり、ヒラリーは逃げるようにその場を去ります。しかし、後日見舞いに訪れたヒラリーに、母親はあなたとおかげでスティーヴンは元気になったと言います。

スティーヴンは退院し、再々度、よい関係、よい状態に戻るかと思われたふたりですが、スティーヴンの大学への進学が決まります。スティーヴンは建築を学びたいと入学を申請していたのですが、それが叶わず(人種差別を意図しているのか…)エンパイア劇場で働いていたということです。

夏には戻ってくると言い、去っていくスティーヴン、失意のヒラリー、熱い抱擁のふたりです。

映画は悲しみの癒やしか…

ヒラリーはエンパイア劇場に向かい、終演後帰ろうとする映写技師のノーマンに映画が見たいと言います。ヒラリーは映画館で働きながら、これまで上映中の映画を見たことがないのです。何がいい?と尋ねるノーマンにヒラリーは何でもいいと言います。ノーマンは「チャンス」をかけます。

映画中ごろにあった映写技師ノーマンとスティーヴンのシーンは「ニュー・シネマ・パラダイス」を思わせるシーンでした。おそらく意識されているでしょう。

ということで、悪くはない映画ですが、あれこれ盛り込み過ぎで散漫になっています。

年の差恋愛、それも社会的好奇の目で見られやすい母親ほどの年齢の女性と若い男性の恋愛、女性差別、人種差別、サッチャリズムという時代背景、映画愛、ノスタルジー、メンタルヘルス、映画の引用、詩の引用…。

もう少し、オリヴィア・コールマンさんとマイケル・ウォードさんを、その恋愛だけではなく人物像としても生かせばよかったのにとは思います。