よだかの片想い

松井玲奈さんがすばらしい、安川有果監督のセンスがいい

監督の安川有果さんは映画はもちろんのこと名前も初めて目にし、主演の松井玲奈さんも映画で見るのは初めて、原作の島本理生さんも一冊も読んだことがなく、脚本の城定秀夫さんは名前を知る程度、かろうじて中島歩さんの「いとみち」のとてもよい印象に頼って見た「よだかの片想い」、映像センスよし、松井玲奈さんよし、演出よしのとても映画らしい映画でした。

よだかの片想い / 監督:安川有果

アイコ=松井玲奈の決断

左の頬に大きなあざを持つアイコ(松井玲奈)がちょっとだけ変わる、それだけの映画です。

あざのあるアイコから、あざがあってもなくてもアイコはアイコだとアイコ自身があらためて自覚するその過程を描いた映画です。

アイコは友人から「顔にコンプレックスのある人をテーマにした本を作成したい」(ということらしい…)と頼まれ取材を受け、さらにその本の表紙の写真撮影にも応じます。そして、その本を読んだ映画監督飛坂から映画化の話が舞い込みます。アイコは迷いますが、飛坂の過去の作品に好印象を持ち、幾度か会ううちに自分からあなたが好きだと言い、そして付き合い始めます。アイコは出来上がったシナリオを読み、映画化にもOKを出します。しかし、撮影が進む中でアイコは飛坂の自分に対する思いに迷いを感じ始めます。そして、ここ省略しますが、自ら別れを告げます。

という映画です。これだけじゃなにがいいのかわからないですね。

だから、映画らしい映画なんです。

アイコはいくつかの決断をしています。映画は取材シーンから始まりますのでその前段は省略されていますが、当然大きな決断だったでしょう。映画に入り、その本の表紙になること、飛坂と会うこと、飛坂に好きだと告白すること、映画化を認めること、そして別れることと多くの決断をしていきます。

ただ、決断の理由が何なのかアイコにしかわかりません。見たものが言葉で語れるようには説明されていません。でも、映画を見ていればわかります。松井玲奈さんの演技と安川有果監督の演出でわかるようにできています。言葉で語ればウソっぽくなるかも知れないこと、語っても意味がないかも知れないことがこの映画には描かれています。

その決断の裏にあること

これではレビューになりませんので、アイコの決断の裏にあることをいくつか書いていきますと、まず、アイコは映画が始まる最初からあざを隠そうとしていません。ラストシーンで物語のキーとなる先輩のミュウ(藤井美菜)に化粧をしてもらい、あざが視覚的に見えなくなることを経験しますが、20代前半(と思われる)の今まで隠そうとの考えはなかったようです。

小学校時代のエピソードが挿入されています。授業で琵琶湖の話が出たときに周りの生徒たちがアイコのあざを琵琶湖だ、琵琶湖だとからかい始めます。その時の気持ちをアイコは恥ずかしい(だったか?)気持ちもあったけれどちょっと嬉しかったと語っています。先生がからかう生徒たちをしかり、アイコにごめんなと謝ります。そのときアイコは自分のあざは恥ずかしいもの(違う言葉だった…)なんだと悲しくなったと言います。

こういうことでしょう。アイコはあざがあることで自分は人からかわいそうと思われていることを自覚しながら、つまり人は自分を見るときにまずあざを見るのだろう、そして自分はこのあざとともに記憶されていくんだろうということをわかりつつ、だからといってそれを隠せばなにかを失うような気がしているのではないかと思います。あざのある自分を自分として受け入れつつ生きてきたということです。

松井玲奈さんのアイコはそう見えます。

そうした常にあざを通してしか人との関係を築けなかったアイコが飛坂にはそうじゃないものを感じ始めます。アイコが飛坂にあざのある左側の頬を見せながら、あなたが好きですというシーンはとても美しいです。

この映画はアイコ=松井玲奈さんの映画ですので、飛坂はじめ周りの人物はあまり深くは描かれていません。飛坂は映画化にあたり、アイコ役の俳優に元カノの俳優を当てています。その元カノはアイコに飛坂とはくっついたり離れたりの繰り返しだと言い、あの人には映画がすべてなんだとも言います。実際に飛坂がそうであるかどうかがわかるほど飛坂という人物は描かれておらず、むしろ映画はアイコ自身が飛坂にある種の幻想を持っていたからこそ、そしてそれをアイコ自身がそれを自覚したからこそ別れの決断を下したようにも見せています。

このあたりが上のアイコの決断を書いたくだりで省略したことであり、映画でもかなりすっ飛ばしているところです。ここをもう少していねいに描けばなおよかったのですが、まあそれでも松井玲奈さんの存在感で持ってはいましたし、後輩からのさわやかな告白や先輩ミュウのやけど事件のシーンで映画的にもうまく流れていました。

飛坂に別れを告げた後、大やけどをしたミュウと、ミュウのやけど痕も化粧はあるにしてもわからなくなっていましたのでかなりの時間経過があるようですが、アイコとミュウが夕暮れ時のビルの屋上でサンバを踊るシーンはとてもよかったです。

で、このシーン、突然思い出したイ・チャンドン監督の「バーニング劇場版」でヘミがオレンジ色に染まった夕暮れの中、マイルス・デイヴィスの「死刑台のエレベーター」で踊るシーン、には及ばないまでも、かなり美しいシーンでした。

松井玲奈という俳優

とにかく、この映画は松井玲奈さんにつきます。ただ、この映画のアイコは俳優としての演技ではありません。ですので、俳優としてどうこうということではなく、松井玲奈さんが松井玲奈さんとして生きてきたその存在感が出ている映画だということです。

そして、安川有果監督、とてもセンスがいいです。映像センスがいいです。「Dressing UP」が配信で見られるようですので見てみようと思います。

もうひとつ、原作者の島本理生さん、夏帆さんと妻夫木聡さんの「Red」もそうですね。ということは、こんなシンプルな話ではなくもっと濃厚な話なのかも知れません。読んでみようか、どうしようか(笑)。