ポーランドの田舎町の風景が美しく、おしゃれなローカルさがたまらない「菖蒲」って、映画のタイトルっぽくなくていいですね。アンジェイ・ワイダ監督ですし、ずっと気になっていたんで見てきました。
冒頭、女性(クリスティナ・ヤンダ)のモノローグから始まります。このシーン、結構長かったですね。ほとんど情報もなく見に行きましたので、うまくつかみきれず、ちょっとばかり入り損ねました。ただ、ベッドだけが置かれた女性の部屋をやや引き気味の固定カメラでとらえた映像はとてもいい感じでした。窓から差し込む光以外は全体的に暗く、女性、女優であるクリスティナ・ヤングが自分自身を演じているということなんですが、その女性の衣装も黒ですし、うつむき加減、後ろ向きが多く、ほとんど表情も分からないのですが、静謐なと言いますか…、いやもっと重く暗い感じでしたね。なにせ最愛の夫を亡くした後、突然目覚めた後のモノローグですから。でも、このシーンすごく気に入りました。
公式サイトを見て分かったのですが、「アメリカの画家エドワード・ホッパー(1882-1967)の代表作『朝日に立つ女』『朝の日ざし』からインスパイアされてデザインされた」とのことです。画像がありました。1枚目が「朝日に立つ女」6枚目が「朝の日ざし」、そして2枚目がこの映画のカットです。もちろん映画は絵画みたいに明るくありませんし、このスチールよりももっと暗かったです。
なかなか映画の話にいきませんが(笑)、もうひとつ気に入ったのがポーランドの田舎の風景です。美しいですし、何だかちょっとばかりもの悲しい感じがします。
ゆったりと流れる大河、死を目前にした中年女性マルタ(クリスティナ・ヤンダ)が20歳の青年ボグシ(パベル・シャイダ)と出会う川沿いのレストラン(ではない)のような場所(公式サイトの背景画像)、村の石畳の道路、マルタとボグシが散歩する川沿いや丘の上や草が茂った田舎道、全てトレーラーに出てきますが、みな美しいです。
特に、川沿いに作られた板張りの川床のような村の社交場(?)、裸電球がつり下げられ、ダンスしたり、カードしたり、しゃべったり、このおしゃれなローカルさがたまりません。
で、映画ですが、現実と虚構が交錯するといいますか、上に書いたように、主役のクリスティナ・ヤンダさんはこの映画の制作中に夫でありワイダ監督の盟友でもある撮影監督のエドヴァルト・クウォシンスキさんを亡くしており、その心情がモノローグとして幾度か(3回?)吐露されます。
そして「菖蒲」の物語が同時に進行していきます。マルタ(クリスティナ・ヤンダ)と夫(ヤン・エングレルト)は、息子二人をワルシャワ蜂起で亡くしており、正確な理由は分かりませんが、何らかの理由により二人はかなり後悔しているようです。また、医者である夫はマルタが余命幾ばくもないことを知り、話すべきかどうか悩んでいます。
そしてもうひとつ、美しき青年との出会いで青春を懐かしむように引かれていくマルタが、ボグシに川へ泳ぎに行こうと誘い、菖蒲の葉を向こう岸に取りにいったボグシが溺れるシーンがあるのですが、ボグシを助けようとしたマルタが突然パニックを起こし撮影現場からひとり立ち去ってしまいます。つまり虚構とはいえ「死」を目の当たりにして、一瞬でクリスティナに戻ってしまったということだと思いますが、その時カメラは撮影シーンからまるでメイキングのようにワイダ監督や撮影スタッフをとらえ始めます。
これは多分、現実のクリスティナと虚構のマルタをつなぐためにワイダ監督がとった演出といいますか手法だと思いますが、どうなんでしょう? 私にはあまり成功しているようには思えませんでした。クリスティナの遁走で戸惑うスタッフたち、そこに雨まで降り出し慌てて機材を片付けるところまで映し出していましたが、これはさすがに滑稽で画になりません。
続いてのシーン、マルタが水着姿のまま撮影現場を立ち去り、雨の路上で車を拾おうとするカットなどかなり切迫感もあり、乗せてもらった車では運転手から「あなたはもしや…」と女優としてサインまで求められる(もちろんサインするカットはありませんが)という実にうまい展開をしていることを考えれば、メイキングなど入れる必要は全くないのではと思います。
まあ、他の意図があったのなら私には分からなかったということなんですが…。