これぞ(懐かしき)フランス映画!という感じがします。ちょっと笑える切なさと挑戦的試みと。
これは素直に面白いです!
主演のヴァンサン・マケーニュさんは、ギヨーム・ブラック監督の「女っ気なし」「遭難者」「やさしい人」、それにミア・ハンセン=ラヴ監督の「EDEN エデン」にも出ていましが、IMDbを見てみましたら、2013年辺りからすごい出演数ですね。「女っ気なし」で俳優として(演出家、映画監督でもあるようです)ブレイクしたんでしょう。
気鋭の新人監督をサポートするカンヌ国際映画祭ACIDの助成をうけて本作を完成させたのはセバスチャン・ベベデール監督。その自伝的な主人公アルマンを演じるのは(略)いまフランス映画界で最もアツイ男・ヴァンサン・マケーニュ。(略)
70年代生まれ、美大出身、そしてまもなく冴えない青春時代を終えようとしているアルマンのストーリーは、世界中のどんな街で暮らす若者にとっても、とても親密な物語だ。(公式サイト)
この映画でも、気弱でなんとも頼りなさそうなのにどこか人懐っこく優しい印象のキャラが存分に生かされていました。声やセリフ回しもいいんですよね。いい声ということではなく、やや細めのかすれ声で早口に言い訳したりする場面など、見ながらニヤニヤしてしまいます。
映画は、そのアルマン(ヴァンサン・マケーニュ)が、アメリ(モード・ウィラー)と偶然出会い、ひと目で恋に落ち、会いたくても会えない日が続き、これまた偶然(だけどとんでもないことで)に再会し、愛し合い、一緒に暮らすようになる2,3年のできごとに、アルマンの友人バンジャマン(バスティアン・ブイヨン)とカティア(オドレイ・バスティアン)のカップルの話をからめて、ほんの少しコメディタッチも交えながら、みな30歳前後の大人なのに何とも切ない青春物語になっているのです。
こんなありふれた話をそれなりの映画にするのは大変だと思いますが、セバスチャン・べべデール監督はいろんな手を使って見事に見られる映画に仕上げています。
ひとつは、かなりの部分をモノローグ、それもカメラ目線で語る方法で撮っています。たとえば二人の会話の場面があるとしますと、その会話を撮るのではなく、それぞれがカメラ目線で相手への言葉ではなく、その時の思いであったり回想的なニュアンスで語ったりするわけです。
ただ、モノローグ一辺倒ではなく、通常の会話シーンを織り交ぜたりと、いろいろ工夫をこらしながら考えて撮られています。前半、特に出だしからしばらくはモノローグが続いていた印象で、どうなんだろう?とは思って見ていましたが、見進むうちにすっかり気にならなくなり、全体としては良い結果につながっていたと思います。
もうひとつ目につく手法は、全体を50章(らしい)の章立てにし、それぞれ「1なになに」とタイトルがつけられた2,3分のシーンで構成し、それを1部、2部(エピローグ含む)に分け、1部は1つずつ増えていき、2部は(25からだったかどうかは?)1つずつ減っていくという小賢しい(笑)ことをやっていました。
文章で書きますと煩わしく感じるかもしれませんが、全くそんなことはなくきれいに流れていました。タイトルも結構ひねってつけていたようで、どういう意味だろう?と考えたりと結構楽しめました。
フランス語はラディシオン シルブプレ(笑)くらいしか使えない程度ですので字幕ではうまく伝わってきませんでしたが、結構クスリと笑えるところが多かったと思います。アディダスのジャージを着てゴシックぽいだとか(記憶違いかも知れません)、バミューダはいて若者っぽいだとか訳のわからないこと言っていましたし、バンジャマンが脳梗塞(Aなんとかとアルファベット3文字)で生死をさまようくだりや不思議なキャラのバンジャマンの妹やハヅキという日本の女性にもクスリとさせられました。
他にも楽しめるところがいっぱいありましたが、細かいところは忘れてしまいました(笑)。
といった感じでとても面白い映画なんですが、結局印象(記憶)に残ったのは、アルマンとアメリのツーショット、初めてアメリを自分の家に誘い、二人でソファーに座りカメラ(目線ではない)に向かっているシーンとか、四人でスノーシューに出かけアメリが初めて涙を流すシーンとか、列車の窓越しの微妙な二人とか、そして象徴的なラストシーン、アルマンがベッドの中から窓辺に立つアメリを見つめる逆光のシーンとか、何とも切なく危うい男と女の関係でした。
アメリを演っていたモード・ウィラーさん、この映画では繊細な女性を演じてとても良い感じでしたが、ちょっとアブナイ役もできそうな俳優さんで期待が持てます。
そしてもちろん、セバスチャン・ベベール監督にも期待は大です。