52ヘルツのクジラたち

映画としてはまとまっているが、物語が表層を滑っていく…

原作が本屋大賞受賞作ということですし、どこからともなく流れてくる映画の持つ匂いから、おおよそその傾向は想像はついていたのですが、ひとつだけ、え? それなの? という映画でした。

どこからともなく流れてきていたのは予告編を見たからと思っていましたが、今トレーラーを見てみましたら見たことのないものでした。なにを見たのでしょう?

52ヘルツのクジラたち / 監督:成島出

「52ヘルツの鯨」

あれこれ気になることは多いのですが、それは原作のものかもしれませんのでやむを得ないとして、映画としてはうまくまとめられていました。そりゃまあキャリアのある成島出監督ですから当然でしょう。

で、この映画でキーとなるのが52ヘルツの鯨の鳴き声ということですが、52ヘルツといいますと相当低い音で人間に聞き取れるのかと調べてみましたら、人間の可聴域は20Hzから20kHzくらいだそうです。それにウィキペディアに「52ヘルツの鯨」の項目がありました。

その音声も収録されていました。

ファイル:Ak52 10x.ogg

映画でも数回流れており、52ヘルツってあんなに高い音じゃないなあと思いながら見ていたんですが、あれは10倍の520ヘルツに変換(10倍の早回しと同じ…)されているようです。上の音声もそうです。

この鯨は正体不明の唯一の個体らしく、1980年代からいろんな場所でその音声が検出されているとのことです。鯨の寿命は100年近いようで、であればまだ生存しているということかと思います。

鳴き声が他の鯨に比べて遥かに高くてコミュニケーションが取れないだろうということで「世界でもっとも孤独な鯨」と呼ばれる所以です。

三人の52ヘルツのクジラたち…

という、52Hzのクジラの鳴き声が孤独な人々を救っていくという映画です。三人の人物の物語が交錯していきます。実質的には3年間の話に集約されています。

現在、三島貴湖(杉咲花)が大分の海辺の高台の家に住み始めます。祖母の家だと言っています。ある日、海辺で髪の長い少年(桑名桃李)と出会います。少年には全身に虐待の痕があります。

少年の母親(西野七瀬)は元アイドルらしく男性依存タイプです。自分の生んだ子ですが、この子さえいなければ自由になれるのにと少年をムシと呼び虐待しています。少年は話すことができません。後にわかることですが、その母親は、少年が自分の名ではなく優しくしてくれていた叔母の名を口にしたために少年の舌にタバコの火を押し付けたということです。

貴湖は自らも虐待を受けていたことからその少年を守ろうとします。その際、世界一孤独なクジラの話をして(だったかな…)、その鳴き声が録音されたオーディオプレーヤーを渡します。

この少年が「52ヘルツのクジラ」のひとりです。ラストでは名前も愛(いとし)であることがわかり、貴湖のことを「き・な・こ」と呼び始めて、救われる可能性を見せて終わります。

貴湖が少年に渡したオーディオプレーヤーは岡田安吾(志尊淳)からもらったものです。3年前、貴湖は母親からの虐待と義理の父親の介護というヤングケアラーのつらさ(どちらもほとんど描かれない…)から自殺しようとします。それを救ったのが安吾です。

安吾は貴湖の境遇を知り、自立して人生をやり直せばいいと諭します。その際、クジラの鳴き声が録音されたオーディオプレーヤーを渡しているのです。そして、貴湖のことを「きなこ」と呼び、貴湖は安吾のことを「あんさん」と呼ぶようになります。

この貴湖も「52ヘルツのクジラ」です。貴湖の52ヘルツは安吾に届き、少年の52ヘルツは貴湖に届いたということです。

貴湖は安吾に好意を持つようになり、告白します。しかし、安吾は友達でいようと突き放します。

ん? 不治の病? と思いましたら、安吾は、FtMトランスジェンダーでした。ホルモン注射により髭も生え、乳房も切除しています(多分そういう設定…)。

この安吾が三人目の「52ヘルツのクジラ」です。

2年前と出ていたと思います。貴湖は働く会社の御曹司新名主税(宮沢氷魚)に求婚され受け入れます。しかし、主税は親の求める政略結婚に応じてしまい、それでも愛しているとの言葉で貴湖は愛人の立場を受け入れます。

そして、その1年後、その主税の婚約が破談となります。理由は安吾が主税の婚約者に貴湖の存在を知らせたからです。激怒した主税は貴湖に暴力をふるい始め、また探偵を雇って安吾を調べ、そのセクシュアリティを母親に知らせます。

安吾が自殺します。三人目の「52ヘルツのクジラ」の叫びは誰にも届かなかったということです。

虐待、ネグレクト、ヤングケアラー…

こうやって思い返してみますと、うまく出来ているとは言いましたがそうでもないですね(笑)。まあ映画ですから、良し悪しはストーリーだけではなく、俳優、映像、編集、音楽などいろいろな要素が絡み合ってのものということではあります。

一番気になることは、この映画に限ったことではありませんが、虐待、ネグレクト、ヤングケアラー、トランスジェンダー、どれも扱い方が安易です。

原作を読んでいませんのでそれが原作のものなのか、映画のものなのかはわかりませんが、少なくとも映画の虐待、ネグレクト、ヤングケアラーの描き方はその表層だけで本質的なものに迫ろうとの意識は皆無です。そういう映画ではないとはいえ、子どもの身体のアザや傷、そして親(それもいつもシングルマザー…)の暴言暴力を見せればそれで虐待がありましたというのはいかにも薄っぺらいです。

被害者側の過酷さを描くだけではなく、加害者側の内面を描こうとしなければ虐待やネグレクトの本質的なことは見えてこないと思います。

話は変わりますが、少年の母親を演じていた西野七瀬さん、この映画の中で一番の収穫じゃないかと思います。かなりハードは虐待親を演じており、男への対し方から子どもや貴湖に毒づくその変わり目のうまさにしびれます(あくまでもこれは映画なので…)。「孤狼の血 LEVEL2」と「鳩の撃退法」を見ているだけですが、私には評価の高い俳優さんです。

映画はこうした親の暗部を探る描き方をすべきです。貴湖の祖母が芸者であったなどとわざわざ入れているわけですから、おそらく貴湖の親もまた虐待されていたという負の連鎖を匂わせているんだと思いますが、負の連鎖で語るのも(そうであるかどうかはわからないが…)安易と言えば安易です。

主演の杉咲花さん、うまい俳優さんですが、この貴湖は人物像に軸がありません。シナリオと演出のせいでしょう。

そもそも年齢で言えば、貴湖が自殺しようとした時、高校(だと思うけど…)の同級生が3年ぶりだと言っていますので21歳です。21歳まで母親の虐待に晒されてそこから逃げられなかったわけですから依存度は相当強いと思われます。なのに安吾に救われてからの貴湖にその影が感じられません。これは現実がどうであるかということではなく、これは映画ですから、それを引きずっていかなければその後の物語が成り立ちません。まあ、そうしたシーンがないので仕方ないのですが、主税からの暴力にも過去が蘇ってくるとか、そういう影がないということです。少年への対し方にも自分の過去が感じられません。

なぜ安吾に自殺させるのか…

安吾の自殺、これはいくらなんでも映画の創作ではなく原作のものでしょう。映画ではかなり押さえて描こうとしているように感じますが、人の死で感動を呼ぼうとするのは感動ポルノです。

そもそも自殺させる意味がわかりません。安吾は、男性として生きていく決意をし、ホルモン治療を受け、乳房も切除していると思われます。映画はそうしたことにまったく触れていませんのでわかりませんが、さらに性別適合手術を受けているかも知れません。

その安吾になぜ自殺させなくちゃいけないのでしょう。

と、どうこう言っても始まりません。それで物語をつくって感動させようとしているわけですから。

原作を読んでもいないのに言うことではなかったかも知れません(ペコリ)。