あるいは、ドラマ仕立てにしようとして原作のピュアさをそこなったか…
公開(2023.12.29)から少し日が経っていますが、「渇きと偽り」のロバート・コノリー監督ということが目につき見てみました。ただ、そのレビューを読み返してみましたら、いいことは何ひとつ書いていませんでした(ゴメン…)。だから見ようと思ったということです。
原作は男の子の話のようだ…
原作があります。オーストラリアの作家ティム・ウィンストンさんの短編小説です。日本語翻訳版もあります。児童文学賞を受賞しているらしく、子どもから大人まですべての年齢層を対象にしたファンタジック(ファンタスティック…)な小説のようです。
原作はエイベル(Abel)という男の子の話のようです。映画では女の子アビー(Abby)の成長記の話になっています。
30代後半くらいの設定でしょうか、成長したアビー(ミア・ワシコウスカ)が海洋生物学者となり、サンゴの生態系の調査(どこでかはわからない…)をしているシーンから始まります。サンゴの状態はあまりよくないようです。そこに母親ドラが脳卒中で倒れたとの知らせが入ります。
生まれ故郷西オーストラリアのロングボート・ベイ(架空かな…)に戻りますと、母親ドラ(回想シーンとは別の俳優)は意識はあるもののすべて記憶を失い(映画からはよくわからない…)言葉を発せなくなっています。
映画は、この母親ドラが亡くなるまでのしばらくの間、アビーがともに過ごしながら子どもの頃から進学のために故郷を離れるまでを回想していくつくりになっています。
ですので、ミア・ワシコウスカさんは主演ではありますが、どちらかと言いますと、映画の主要な部分は15歳前後を演じたイルサ・フォグさんとその時代の母親ドラを演じたラダ・ミッチェルさんの映画です。
という映画のつくり、つまり、アビーは8歳、15歳、そして30代後半の3人が演じるという連続性に欠けることからくるマイナス面はかなり大きく、主要なテーマをつかみにくい、ぼんやりした映画になっています。
ブルーバックと自然保護、環境保護…
タイトルになっているブルーバックは、アビーが子どもの頃(8歳…)にブルーグローパー(Blue groper)という大型魚につけた名前です。ウィキペディアに解説と画像がありました。オーストラリア南部の沿岸海域に生息し、雄の鮮やかな青色が特徴のベラ科の海水魚だそうです。
Richard Ling, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
映画の中でも語られていましたが、生まれた時はすべて雌で、成長するに従いその中(数匹の集団のよう…)から一匹が雄に変わり、その雄が死ぬと集団の中の一番大きい(強い?…)メスが雄に変化するそうです(間違っているかも知れませんので興味があれば調べてください…)。
映画の中のブルーバックはつくりものです。もう少し魚感がないとダメだよなあ…なんて見ていました。それにブルーっぽさもありませんでしたが、あんな感じなんでしょうか。
映画は、このブルーバックが環境保護、自然保護の象徴的なものとして描かれ、映画のひとつの軸になっています。
ロングボート・ベイにリゾート開発の計画が持ち上がります。ドラは自分も両親も夫もずっとこの海とともに育ってきた、ここには多種多様な生き物がいる、絶滅危惧種もいる、その生態系を壊していいわけがないと反対運動の先頭に立って戦います。
そのドラの生き方がアビーにも伝わっていくという映画です。
が、これがあまりうまく描かれていません。早い話シナリオが雑です。開発業者は海を望むドラの家に立ち退きを迫ったり、浜に重機を入れたり、底引き網で乱獲したり、そして水中銃でブルーバックを仕留めようとしたりというシーンはあるのですが、それらが単独のシーンとしてしか描かれず、関連性と言いますか、ひとつの動きとして整理されておらず、その結果としてドラの海を守りたいという思いも強く表に出てきません。もちろん見ていればわかりますが、映画的に伝わってこないという意味です。
ドラが町の評議委員の前で湾の保護を訴えるシーンでは、15歳のアビーが自分の描いた希少な魚たちの絵を使ってプレゼンするシーンがあります。それが決定的とは描いてはいませんでしたが、評議員のひとりがアビーのプレゼンによって保護派になったと言っていました。
ただ、この湾の保護については、そうしたドラやアビーの思いとはちょっとずれたところ(後に書いています…)で保護することになったという描き方をしています。
こういうところが映画としてマイナスなんですよね…。
母と子の関係も描ききれず…
母と子の関係も映画のひとつの軸になっています。
アビーは母ドラとふたりで海の見える丘の一軒家で暮らしています。父親についてはアビーが友人の男の子に語っていました。この男の子とは思春期の恋愛的なキスまでみたいな描き方がされています。
ところで、アビー自身が父親のことを語っていた字幕、なんか変じゃなかったですか。読み間違えたかも知れませんが、アビーが言うには、父親は真珠採りで、一年くらい留守にしては大金を持って帰ってくる、その仕事を嫌がっていた、ある時、出ていったきり帰ってこなかった、なんて言っていました。
え? 失踪? なんて思って見ていましたら、そうではなく海で亡くなったということらしく、家のある海沿いの丘の上に墓がありました。
もう少し映画の本筋に盛り込むシナリオにすればいいのにとは思います。
とにかく、母親はどちらかと言いますとワイルドにアビーを育てます。子ども時代の最初のシーンは、アビー8歳の誕生日にボートで海に連れ出し、いきなり自分の指輪を海に落とし、さあ取ってらっしゃい! てな具合です。もちろんアビーも海の子ですので、すでにいくらかは潜れるという設定でのことです。
その後、ブルーグローパーに出会い、友達となり、ブルーバックと名付けるという流れになります。その後も1、2度ブルーバックと遊ぶシーンはありますが、イルカなどとのシーンを思い浮かべますとちょっと物足りない感じはします。作りもののブルーバックですからやむを得ないところでしょうか。
後半には開発業者たちが水中銃でブルーバックを狙うシーンがあり、その際アビー(15歳くらいになっている…)はブルーバックを助けようと潜るのですが、逆にブルーバックが遊んでくれるものと思い近づいてきますので、アビーは人間を嫌いにさせようとブルーバックを一発殴っていました。
しかし、ブルーバックが開発業者に見つかり、水中銃が発射されます。矢はブルーバックを遠ざけたアビー本人に向かいます。その時、追っかけてきたドラが間一髪アビーを押しのけて矢はそれていきます。
この件が、湾の保護につながるという展開になります。つまり、開発業者が人に向けて水中銃を放ったことであるとか、乱獲の実態が発覚したことであるとかでリゾート開発が止まったということです。
この項目では母親とアビーの関係を書こうと思いましたが、エピソードとしては記憶に残るものはなかったのかあまり思い出せません。映画としては描ききれてはいませんが、アビーが母親のワイルドさに戸惑いながらも母親の思いを引き継いで海洋生物学者となったということなんだろうとは思います。
ドラマにしようとしてドラマにならず…
原作『ブルーバック』の解説を引用しますと、
オーストラリアの人里離れた入江で母親のドラと暮らす少年エイベル。自然のめぐみだけが頼りのきびしい生活ながら、海の大好きな親子はみちたりた日々をおくっていた。入江にすむ巨大な青い魚ブルーバックと出会ってから、エイベルの日々はいっそう輝きを増す。やがてエイベルは都会の学校へ進学、故郷の海とブルーバックのすがたをいつも心にいだきながら、海洋生物学者となる。一方、母ドラがひとりで守る入江には、さまざまな災厄がふりかかる。暗礁を根こそぎにする漁師の出現。リゾート化計画。タンカーの座礁。やがてドラは海を救うために大きな決断をし、その志は息子のエイベルにひきつがれていく。
(『ブルーバック』)
という内容です。
この原作であれば、ドキュメンタリー風にオーストラリアの海の美しさを前面に出して、自然の持つダイナミックさを描き、その中でアビーが自然とともに生きる姿を描いていく映画にすべきだったのではないかと思います。
ああ、クジラのシーンは感動しました。湾にザトウクジラなど10頭が戻ってきたというシーンですが、ブリーチングという水上にジャンプするシーンもあります。
ドラマのある映画にしようとしてあれこれエピソードを盛り込んでみたものの、結果として作り物臭さが目立ってしまった映画ということかと思います。