ボレロ 永遠の旋律

ボレロ、ラヴェル、二兎を追うものは一兔をも得ずか…

モーリス・ラヴェルの伝記ものです。監督はアンヌ・フォンテーヌさん、私が過去に見ているのは「夜明けの祈り」ですが、「ココ・アヴァン・シャネル」のほうがよく知られているかもしれません。

ボレロ 永遠の旋律 / 監督:アンヌ・フォンテーヌ

ラヴェルと言えばボレロだが…

タイトルが「ボレロ」となっていようにやはりラヴェルと言えばボレロになります。映画の最後に「ボレロは15分間に1回世界中で演奏されている」なんて、誰も調べようのないことが事実であるかのように(事実ならゴメン…)入っていました(笑)。それに、もしそうなら途切れることなく必ずどこかでボレロが流れているということになります。

まあそんなことはどうでもいいんですが、映画のオープニングでは、そのボレロが世界中で様々にアレンジされて演奏されている様子を見せていました。10カットくらいはあったように思いますが、あれは面白かったです。

で、映画です。1903年、1917年、1927年、1937年(若干間違っているかもしれない…)と時代が示されて進みます。ただ、かなり交錯させて描かれていますのでなかなかポイントの定まらない映画ではあります。

ラヴェルを演じているのはラファエル・ペルソナさん、2012年の「黒いスーツを着た男」ではアラン・ドロンの再来と宣伝されていた俳優さんです。ラヴェルが亡くなる1937年は白髪で老けメイクになっていましたが、他はほとんど変わっていません。

それが理由というわけではないのですが、この映画、異なった時間軸を交錯させるのがうまくいっていません。わかりにくということではなく、必然性がなく変わりますので流れが止まり効果的ではありません。ん、何? と集中力が途切れ、しばらくして、ああ時代が違うのねとわかるということの繰り返しです。

交錯する1903年,1917年はなんのため?…

1927年、ラヴェルがイダ・ルビンシュタインを工場に招いて依頼されているバレエ曲の構想を話すシーンから始まります。つまり、ボレロのリピートとクレッシェンドを工場の機械音で説明する(感じさせようとする…)シーンで、しばらくは高揚感があるものの、やがて、ラヴェル自身が、いや、これは違うと言いますので、率直なところずっこけます。

映画全体でもこのパターンを引きずっており、盛り上がるかと思いますとプシュンと空気が抜けてしまうような繰り返しの連続です。

1903年のシーンは、ラヴェルがローマ賞(フランス政府による芸術家を目指す学生のための奨学金制度…)にエントリーして落選するシーンです。28歳のシーンですが40歳くらいに見えました。俳優の実年齢そのままです。

このローマ賞の件、結局ラヴェルは30歳の年齢制限まで5度挑戦したもののすべて大賞は獲得できずに終わっており、そのことを1927年頃のシーンで、仲間内から落選したことが逆に新しい音楽の担い手であることの証明だと褒め称えられていました。これは実際にそうだったらしく、例によってこうしたものはその業界の権威によって構成されるのが常ですので、当然のように保守的になり、審査員が自分の弟子を選んだりすることもあったらしく1968年に廃止されています(違う形で復活しているらしい…)。

その1903年のシーンでは、ローマ賞を逸した際、ラヴェルが2階の窓から落ちるシーンを入れ、自殺かと思われたものの、ラヴェルは外から東洋のメロディーが聞こえて手を(心を…)伸ばしたからだと言っていました。

このエピソードが事実かどうかはわかりませんが、この頃、なにか東洋的な曲を書いているのかもしれません(未確認です…)。

1917年のシーンは、第一次世界大戦に志願して医療班(実際はトラック輸送兵らしい…)に配属されるシーンです。このパートでは帰還したその日に母が亡くなるといったつくりになっていました。ただ、これがまた唐突で、全体の中でのおさまりも悪く、こういうとことがうまくないということです。

ボレロの誕生秘話ではなく孤高の人ラヴェル…

そして映画の中心になっている1927年、ラヴェルは、当時自身のバレエカンパニーをもっていたイダ・ルビンシュタインからバレエ曲を委嘱されます。

このイダ・ルビンシュタインという人物は知りませんでした。ロシア人のバレエダンサーですが、かなりエキセントリックな人だったらしくダンサーというよりもパフォーマーだったようです。当時のベル・エポックの時代に乗った著名人ということかと思います。舞台で裸になったりもしたようです。

イダはいっときバレエ・リュス(ディアギレフがパリで創設したロシア・バレエ団)に所属し、ニジンスキーとデュエットしたこともあるそうです。そのイダは相続による資産家だったようで自らバレエカンパニーを立ち上げ、その旗揚げ公演であったかどうかは確認できませんでしたが、バレエ曲をラヴェルに委嘱したということです。

イダは官能的な音楽を!と強調していました。

で、そのボレロの誕生秘話が語られていくのかと期待しますが、残念ながら盛り上がってはいません。その構想を練るのに何年も要しているような描き方になっており、そのヒントになるようなものをいくつか上げ、たとえば、冒頭の工場の機械音もそのひとつですし、メイドの女性にどんな曲が好きかと聞き、一緒に歌った曲に三拍子のリズムが入っていたり、また、時計のカチカチ音も何度も出てきてはいるのですが、結局のところ、閃いた! みたいなシーンがあるわけではなく、なんとなく曲は出来上がっていました。

このことについてウィキペディアにこんな記述があります。マイケル・ランフォードという学者の2011年の The Cambridge Quarterly への寄稿によるとということです。

Ravel’s admissions that the rhythms of Boléro were inspired by the machines of his father’s factory and melodic materials came from a berceuse Ravel’s mother sang to him at nighttime.
(Boléro)

「ボレロのリズムは父親の工場の機械音からインスパイアされたものであり、旋律は母親が夜歌ってくれた子守唄から来ている」

これが事実かどうかはわかりませんが、こうした分析があるのなら映画も中途半端に終えずにそれに乗っちゃっえばよかったのにと思います。

とにかく、誕生秘話は消化不良で終わっているわけで、その代わりというのもなんですが、映画が一貫して追っているのはラヴェルのプラトニック・ラブです。

友人シパ(ヴァンサン・ペレーズ)の姉ミシア(ドリヤ・ティリエ)への愛です。ただ、これも盛り上がらないんです(ゴメン…)。過去に愛し合ったことがあるのかないのかもわかりませんが、現在(1927年頃…)ミシアには夫がいます。ですので、と言いますか、であってもなくても、これは映画なんですからなにか動かせばいいと思いますが、何も動かず最後までいきます。

ミシアが忘れていった手袋を大切に持ち、娼婦にその手袋をはめさせて衣擦れの音で欲望を満たすといったことでその愛を描いていました。

結局、この映画はストイックで孤高の人イメージのラヴェルを見せようとしているということだと思います。実際、ラヴェルは一生独身だったということです。

愛と哀しみのボレロ…

そして晩年1937年です。すでにボレロ初演の際にサインを求められるシーンがあり、シパから文字が踊っているみたいな言われ方をしており、ん? と思ったのですが、実際にその頃から身体に障害が出ていたらしいです。

ミシアにだったと思いますが「頭の中には音楽があるのに書けない」と嘆くシーンがありました。また、脳手術を受けるシーンもあり、そして、1937年12月28日に亡くなっています。

エンディングはオーケストラの演奏と元パリ・オペラ座のエトワール、フランソワ・アリュのダンスで終えています。

バレエ曲としてのボレロは、クロード・ルルーシュ監督の「愛と哀しみのボレロ」もあり、その中でジョルジュ・ドンが踊るベジャールの振り付けが頭に焼き付いてしまっていますので新たにダンスシーンを映像化するのは難しいですね。

イダ・ルビンシュタインの初演のリハーサルでは、ラヴェルがこれは娼館か?!なんて吐き捨てていました。ただ、本番の舞台ではそれなりにまとまっていましたのでこういうところの経緯を描けばよかったのにとは思います。

ということで、音楽家としてのラヴェルの実像があまり見えない映画でした。