コール・ジェーン ー女性たちの秘密の電話ー

ことの重大さを打ち消すかのように軽やかに振る舞うジョイの存在に意味がある…

アメリカの連邦最高裁判所が、1973年の「ロー対ウェイド」判決を覆して「妊娠中絶の権利は憲法で保障されていない」とする判断を下したのは2022年6月24日です。そしてこの「コール・ジェーン」がプレミア上映されたのがその年の1月21日のサンダンス映画祭であり、一般公開はその年の10月28日です。

コール・ジェーン ー女性たちの秘密の電話ー / 監督:フィリス・ナジー

半世紀前に戻ったアメリカ…

この最高裁判所の判断を予見していたかのような映画です。映画の企画はもっと早くから立ち上がっているわけですから、この映画の製作過程にはトランプ大統領の誕生などアメリカ社会の変化が少なからず影響しているのだと思います。なにせ映画が描いているのは半世紀前の話です。

この映画は、ロー対ウェイド判決前の1969年から1973年までイリノイ州シカゴで実際に活動していたジェーン・コレクティブ(The Jane Collective)という、当時違法とされていた妊娠中絶を秘密裏に行っていた組織を描いています。組織自体は実在ですが映画の内容はフィクションです。

映画でも描かれているように、この組織が行っていた妊娠中絶は望まぬ妊娠をしてしまった女性に手を差し伸べるという目的であり女性解放運動の一環ということです。

監督は「キャロル」の脚本でアカデミー賞にノミネートされたフィリス・ナジーさんで、この映画が初の劇場用映画(なのかな?…)です。劇作家としての作品は多いようですが、映画としては2005年に「ミセス・ハリス」というテレビ用映画(?)の脚本と監督を努めているだけです。

ですので、この映画の脚本も書いているのかと思いましたが、そうではなく脚本はヘイリー・ショアさんとロシャン・セティさんになっています。アメリカですから分業制ということなんでしょうか、映画の出来から言えばナジーさんが書いたほうがよかったんじゃないのとは思います。

男たちが知るべき掻爬の実際…

映画は、当時望まぬ妊娠をした女性たちが置かれた過酷さであるとか、違法行為であることからくる緊迫感といったものをほとんど描かず、主人公であるジョイ(エリザベス・バンクス)のある種ヒーロー的な行動を追っているだけです。ですので、つくりとしてはアメリカの中流家庭を描いたホームドラマみたいな感じです。

ただし、妊娠中絶の具体的な過程が2、3度と描かれますのでそのシーンでは肩に力が入ってしまいます。それも掻爬法という、今ではWHOが安全ではないとしている方法であり、医師がかなり具体的にこの器具はなになに、この器具はキュレットとか見せながらやっていくんです。

見ていてかなりつらいです。ほとんどの責任がその女性ではなく相手の男性にあるわけですので、思わず大きなため息が出てしまいます。

なお、日本では今でも約8割がこの掻爬法によって行われているそうです。他には吸引法や中絶薬による方法があり、そららとの併用も含めた数字です。

この軽さが意思表示…

この描き方ですと、現実にその困難に直面している人じゃないと、あるいは少なともアメリカ社会で暮らしていないと問題の本質は伝わらないかもしれません。

ジョイ(エリザベス・バンクス)が2人目の子どもを妊娠します。しかし、ジョイには心臓に疾患があり、医師からは母体の安全のためには妊娠中絶しかないと言われます。医師は病院の理事会にその処置を諮ってくれますが、男性ばかりの理事会は中絶は違法だとあっけなく却下してしまいます。

という物語の発端なんですが、ジョイ本人にもその病にもあまり切迫感が感じられません。理事会のシーンでもジョイは気丈に振る舞い、私の命はどうでもいいってこと?!と反論しています。

どういう演出意図? としばらくは疑問に感じながら見ていましたが、多分、ジョイというごく一般的な女性の強さを描こうとしているんでしょう。そう考えますとその後の展開にも納得がいきます。

ジョイという人物は当時のアメリカの典型的(と思う…)な中流階級の女性像に演出されています。ブロンドの髪にニュールックという着こなしです。冒頭シーンにあるベトナム戦争反対のデモにも興味を持ちますが具体的には何も知らないですし、後には中絶費用を捻出するにも夫の小切手帳を偽造しないと自分のお金がない立場に置かれている女性です。

ジョイはそのお金で闇医者に向かいます。しかし決心がつかず、飛び出し、偶然電話ボックスで「Call Jane」の張り紙を見て電話をします。後日、女性が迎えに来ます。途中、目隠しされてその場に連れて行かれ、中絶手術を受けます。

中絶シーンでもジョイ本人は落ち着いたものです。すでに書きましたように見る側には力が入ってしまいますが、シーンとしてはコメディとは言わないまでも、医師の振る舞いは具体的であるがゆえの可笑しみのようなものがあります。

隠れてやることではないという意思表示の演出意図かもしれません。その意味で言えば、邦題の「女性たちの秘密の電話」なんて副題は映画の意図を逆なでしています。

ジョイは突き進みます。映画的にはちょっと疑問のある展開ですが、ジェーン・コレクティブのリーダーであるバージニア(シガニー・ウィーバー)がジョイをグループにリクルートします。最初は一度きりの手助けですが、次第にグループにはなくてはならない存在になっていきます。

中絶希望者の送迎に始まり、そうした女性たちの精神的サポート、そして医師の助手へと進み、自ら医学書を読み、医師から君はきちんと学んでいれば看護師になれていたと言われれば、医師にもねと返すほどになります。そして、その医師が実は無免許であることを突き止めて自分に実技を教えるよう取引します。

そして、その医師が手術をできなくなったときには(逮捕だったか、忘れました…)自分がやると名乗り出ます。さすがにリーダーのバージニアは迷いますが、結局ジョイに任せることになり、無事に手術は終わります。

映画はフィクションですが、ひとりの医師が無免許であったことは事実だったらしく、その後一部の女性が中絶手術を行ったこともあるようです。ただ、ジェーン・コレクティブは1万1000件に及ぶ中絶手術を行ったもののひとりの死者も出していないとのことです。

映画のエンディングに描かれていたバージニア(実在の名ではない…)以下7名のメンバーが逮捕されたもののロー対ウェイド判決により告訴が取り下げられて釈放されたことも事実とのことです。

という、なかなかその意図が伝わりにくい映画かと思います。

資格なしを責めてはいけない…

この映画の描き方ですと、医師が無免許であることを責めたり、医師としての学びを経ていない一般女性が手術をすることを非難する意見も出てきそうです。

この映画は、ことの本質はそこではないと言っているような気がします。

つまり、半世紀前のことであることを踏まえてこうした描き方をしているのではないかということです。仮にジェーン・コレクティブが現在存在しており、その必要性がある社会であるとすれば、当事者でない者はその存在すらも知らないわけです。

現代的意味で言えば、また、この過酷な状態に置かれた女性たちにしてみれば、なぜ今の自分を恥じる必要があるのだということであり、その結果を招いた責任の多くは今これを知ったあなたたち男性にあるのであり、また男女関係なくそれを擁護するあなたたちにあるのだと言っているような気がします。

この映画に興味をもたれた方には次の映画をお勧めします。