成れの果て

この手の舞台劇をそのまま映画にしたらコントにしかならないよ…

時々、いい映画を見逃していないかとDVDレンタル屋さんでポチッポチッとやっていますが、その際にどことなく惹かれて見た2021年の映画です。多分印象的な画像が目についたんでしょう。

成れの果て / 監督:宮岡太郎

悪い人ファンタジー…

2009年に「elePHANTMoon」という劇団で上演された同名の舞台劇の映画化のようです。脚本は劇団を主宰するマキタカズオミさんという方です。

映画の監督は宮岡太郎さんという36歳くらいの方で、10年くらい前から年1本弱ペースで撮っています。AKB系の出演者が多く、最新作の「ガールズドライブ」はもろアイドル映画みたいです。

で、この「成れの果て」ですが、んー(笑)これは映画監督としてはかなり損をしていますね。映画としては結構うまくできていると思いますが、内容が内容なだけに映画の良し悪しに話がいきません。シナリオには誰もクレジットされておらず、脚本マキタカズオミさんとなっていますのでほぼ舞台劇通りなんでしょう。

映画の内容をひとことで言ってしまえば悪い人ファンタジーなんですが、この悪い人というのがいわゆる映画的な悪人ということではなく、人の気持ちを思いやれない人物であったり、人を傷つけていることがわかっていてもあえてそうする人物であったり、さらにひどいのはレイプを犯罪だと考えない人物、そんな人物ばかりで作られた映画なんです。もちろん、それらは誇張されているわけでし、この脚本家や映画製作者たちはこうしたことは人間の持つ暗部として誰もが持っていると考えているんだろうと思います。

それにしても悪い人ばかりが出てくる映画もねえ…(笑)、面白そうと思って見ていても、次第にそのあざとさだけが目立ち始めて飽きてきます。いい人ファンタジーも現実感がなくてつまらないのですが、同じように悪い人ファンタジーもつまらないということです。

舞台劇は人物を単純化してやってもそこに生身の人間がいますのでそれなりの現実感が生まれますが、映画ですと人物が薄っぺらくなって物語に深みがなくなります。人間の持つ嫌なところを描こうとしているんだと思いますが、嫌なところは隠れているから嫌なんで、それがあからさまに出ているのであれば誰も近づきませんよ、という程度に距離を取って見てしまうのが映画というものです。

つまり、コント芝居にしか見えないということです。

サスペンスっぽく始まって面白そうだけど…

物語の軸は妹に対する姉の嫉妬ということのようです。

姉あすみ(柊瑠美)が戸建ての広い家の一室の座卓に座りプリン(プッチンプリンじゃないみたい…)を食べているシーンから始まります。スプーンがカップに当たるカツカツという音を入れて、そのカットやあすみの口元のアップがあり、切り替わって、隣の部屋から簾戸(だと思う…)で左右をマスクしたようにスタンダードサイズのようなフレーミングであすみを捉えます。

あすみが妹小夜(萩原みのり)に電話をします。そのたどたどしさからとても言いにくいことを言おうとしていることがわかります。カメラはゆっくりゆっくりとあすみにズームしていきます。まるでサスペンスもののような音楽が入っています。

うまいと思います。パソコンのディスプレーですので暗いのですが、それでも目に止まります。

あすみは言い淀みながらも光輝(木口健太)と結婚するつもりだと妹に告げます。小夜の荒い呼吸音が数回入り、電話がブツリと切れます。

これで光輝と小夜の間には過去に相当なことがあったんだろうと想像され、しばらくは何があったんだろうで持ちます。まあ一般的には振った振られたの話だろうと思っていますと、割と早い段階でそれがレイプだとわかります。

つくり手の狙い通り、え? 妹をレイプした男と結婚するの?! って思いますよね。それにあすみはすでに光輝と一緒に暮らしています。設定としては、あすみの両親はすでに亡くなっているらしく、その家は田舎のわりと大きな家となっています。地方都市の話ということです。

小夜が東京から帰ってきています。このあたりまでまだ10分くらいです。そして、ここから最後まで約1時間、まさに舞台劇のような奇妙な設定の物語が現実感のある田舎の家や風景の中で繰り広げられるのです。それに、もとが舞台劇ですので登場人物は少なく同年代の数人だけです。余計に奇妙です。

シニカルを気取ってみたところでコント芝居にしかならない…

このまま続けますと長くなりそうですので簡潔にいきます。

3人以外の登場人物は、光輝が小夜をレイプしたときに一緒にいた男今井、同年代の男でおそらく見た目で意図的にキャスティングされていると思われる非モテキャラの男、あすみが部屋が空いているからと住まわせている女で、後にあすみの家の権利書を盗もうとする女、小夜が東京から連れてきたこれも見た目で意図的にキャスティングされていると思われるゲイのメイクアップアーティストの男、そして今井の付き合っている無神経極まりない女、これだけです。

こうやってあらためて並べますとそのあざとさに笑っちゃいます。こうした人物設定や配置でわかるように、リアリティで何かを浮かび上がらせようとする映画ではなく、ある種極端なことを見せて誰にでも少なからずこういうことはあるでしょという、いわゆるシニカル系の映画ということです。

で、映画の展開としては、傷ついた小夜を描くのではなく、レイプされたのは小夜にも落ち度があったからであるとか、レイプされたことによって小夜のことが人々の(といっても他に誰も出てこない…)噂話として口の端に上ることなったとあたかもいいことのように皆が皆言い募るのです。

挙句の果に、今井が、付き合っている女だと連れてきた小説家志望の女には、小夜と光輝とあすみの関係を小説のネタするからと、光輝に向かってレイプしたんですよねと堂々と言わせたりしています。あざとすぎますね。

まだあります。小夜は小夜で東京から連れてきたゲイの男に光輝を襲わせます。いくらドラマなんだからなんでもありと言ってもねえ、この価値観はとてもおぞましいです。

とにかく登場人物皆が誰かを侮辱したり、けなしたりします。それを数人の間でやっているわけです。

そして、きっちりオチもつけています。それもまたおぞましいオチです。光輝と小夜に駆け落ちさせ、それを知ったあすみに、なぜ小夜だけが皆から注目されるの!と嘆かせるのです。さらに非モテキャラの男に今がチャンスとあすみに告白させ、あすみにはバカにしないで!まだあんたよりは私のほうが上だから!と罵倒させます。

まだいろいろあるんですが、書いている自分がバカバカしくなってきました(笑)。