フランソワ・オゾン監督の「愛」と「死」
これ、映画のつくりとしてはかなり完成度高いです。(ただ…)
物語の展開のスピード感とスムーズさ、モノクロとカラーを織り交ぜた画の美しさ、俳優の存在感、それらがうまく絡み合って、見るものを最後まで引っ張っていく力が生まれています。
俳優では、下の画像にもありますパウラ・ベーアさん、演技はもちろんですが、アール・デコ風のドレスや帽子がよく似合って、とても存在感があります。1995年生まれですから、撮っている時は20歳位ということかと思いますが、落ち着いたいい雰囲気です。
監督:フランソワ・オゾン
フランソワ・オゾン監督の映画は、このブログには「しあわせの雨傘」と「彼は秘密の女ともだち」以外書いていませんが、「スイミング・プール」以降結構見ています。ただ、正直、それぞれはいい映画だと思いますが、フランソワ・オゾン監督ならこんな感じと言った特徴的なものはすぐには浮かびません。
で、この「婚約者の友人」は、ミステリーという紹介がされており、確かにミステリーと言えばそうなんですが、いわゆる映画でいうミステリーのジャンルではなく、ある人物が嘘をついていることは見せつつ、なぜ嘘をついて偽っているのか、またいつどういうかたちでそれが明らかにされるのかという意味でのミステリーです。
嘘をついているのはアドリアン(ピエール・ニネ)、フランスの青年です。
時代は1919年、第一次大戦直後、原題にもなっているドイツの若者 Frantz(フランツ)が戦死しており、その婚約者のアンナ(パウラ・ベーア)やフランツの両親が悲しみに暮れています。
ある日、アンナはフランツの墓の前で嘆き悲しむフランス人の男性アドリアンを目にします。アンナは最初は戸惑いつつも、戦前フランツがパリへ留学していた時の友人だというアドリアンを受け入れます。まだまだドイツとフランスの間には憎しみが強く残っている中、フランツの母親はごく自然体でアドリアンを受け入れるのですが、父の方は自らが息子を戦地に送り出した呵責の念に苦しんでおり、その反動でフランス人というだけでアドリアンを拒絶します。
しかし、そのこだわりも次第に溶け、アドリアンからフランツの生前の思い出話を聞くにつれ、あたかもアドリアンがフランツの成り代わりであるかのように親密になっていきます。
ただ、これは映画の中の物語の流れであって、観客にはそうではなく、アドリアンが何か隠していると感じるように映画はつくられています。
で、私の読みは(そんなことはどうでもいいのですが(笑))、アドリアンとフランツが愛し合っていた関係にあり、それゆえわざわざドイツまでやってきているというものでした。
違っていました(笑)。アドリアンは、戦場でフランツを殺した、その本人だったのです。
騙していることに堪えられなくなったアドリアンは、そのことをアンナにだけ打ち明けパリへ帰っていきます。一方、すでにこの時点でアドリアンに好意を感じ始めているアンナにとっては、アドリアンの告白は相当ショックなことであり、両親にも話したいというアドリアンに、もうすでに両親には全て話したと嘘をつき突き放します。
このあたりの二人の心の揺れ動きを直接描くシーンはないのですが、なぜか見ていて、そうした描かれないものが結構見えてくるのが不思議です。それがいい映画ということになるのでしょう。
で、そのアドリアンの告白は最後までフランツの両親には明かされずに進んでいきますので、未だアドリアンに息子の影を見る両親は、突然自分たちの前から姿を消したアドリアンに思いを寄せているのでしょう、アンナにパリへ行くように促します。
アドリアンへの思いが強くなっているアンナはパリへ向かいます。
実は、このあたりでも、私は上に書いた読みを捨てきれず、実はフランツは生きており、アドリアンとパリで暮らしており、それを目撃したアンナが悲しみのうちにドイツへ帰るという結末を思い描いていたのです。
深読みでした(笑)。話が長くなりますので簡潔に書きますと、パリですぐに会えたわけではないのですが、あれやこれやを経て、アドリアンのもとを訪ねたアンナが目にしたのは、アドリアンには婚約者がいるという事実です。
ただ、アドリアンは、これは母親が望む結婚であり、自分にはアンナへの思いがあるといったような、実はよく分からない描き方がされています。
この設定、客観的に考えれば、アンナにとっては相当残酷なことで、アンナは堪えきれず、アドリアンのもとを去りますが、その別れ際二人は口づけを交わします。
で、ラスト、これが、最初に(ただ…)と書いたことなのですが…
と、書かずにおきます。見てください。
いずれにしても、この映画で感じることは、フランソワ・オゾン監督の「優しさ」と「死」というもの、おそらく具体的な「死」というよりも概念としての「死」ではないかと思いますが、何か「愛」と裏表の「死」みたいな、そうしたものを強く感じる映画でした。
ああ、これがフランソワ・オゾン監督の映画ですね。やっと、つかめました。