友罪

過去と現在、友情がなければ友罪は生まれない

意識しているわけではありませんが、このところなぜか瀬々敬久監督の映画を続けて見ています。「最低。」「8年越しの花嫁 奇跡の実話」、そしてこの「友罪」です。

それ以前には「ヘヴンズ ストーリー」を見ていますが、代表作と言われている「64」を見ていませんので監督についてどうこう語るのもおこがましいのですが、何となくどういう映画を撮る監督かはわかったような気がします。

「8年越しの花嫁」は別にしまして、他の映画は、たとえ3本見ただけとはいえ、かなりはっきりした傾向が見て取れます。

監督:瀬々敬久


公式サイト

過剰に盛り上げるなどのあざといことはしない、群像劇的に複数の物語を同時進行させ、ラストでひとつのテーマに収斂させようとする、こうした志向を持った監督なんだろうと思います。それがうまくいけばいいのですが、得てして平板で単調になりやすく、後に残らない結果になりやすいとも言えます。

これは、この「友罪」を見て思ったことでもあるのですが、あらためて「ヘヴンズ ストーリー」のレビューを読み直してみましたら、ほぼ同じことを書いていますし、それに、映画の内容的にはやや異なりますが、「最低。」でも、原作を読んでみましたら、原作は4人の女性を主人公にした短編集で、そのまま映画にするならオムニバスが自然に感じられる構成なのに、それをまるで群像劇のように同時進行で描いて、原作にはないオチでひとつの物語にまとめようとしていました。

実は、この「友罪」、見たのは公開初日の先週の金曜日なんですが、ここらあたりまで書いて、なぜかそれ以降書くことが思い浮かばずそのまま放置していました。まあ作家でもありませんので、書くことがなきゃ書かなければいいのですが、見たのにスルーというのも気になり、頑張って思い返してみたところ、結局、この映画、いろんなことがごちゃごちゃと起きるのですが、それらがうまく噛み合っておらず、散漫なままひとつにまとめきれずに終わっているんじゃないかと思い至りました。

どういうことかと言いますと、この映画、一見、現実の物語やら過去の事件やら、さらにそれに付随したいろんなことが複雑に絡み合って起きているようにみえるのですが、実は起きているコトは描かれていても、それを起こす人物の内的動機がほとんどみえないのです。

典型的なのは、この映画の最大のテーマと思われる「友を裏切ることの罪」を語るためには、当然、鈴木(瑛太)と益田(生田斗真)の間に「友情」が成立していないといけないのですが、ともに言葉では友情を語ってはいますが、映画としては、たまたま同じ町工場の見習いで働くことになり、たまたま寮の隣同士になり、たまたま夜中に互いのうなされ声を聞き、たまたまカラオケに一緒にいった程度の関係にしかみえないのです。 

このふたり、ダブル主演と言いながらもどちらかと言いますと生田斗真の益田を軸に映画は進みます。増田は、ただひとり自分自身の苦悩を語る人物として、小説で言えば一人称視点で描かれており、他の人物は三人称視点で描かれています。

この場合、益田と鈴木の友情を描くとすれば、当然益田の一人称で鈴木を語らなくてはならないはずです。ところが、益田が語るのは自分の過去に思い悩む自分自身のことだけで、鈴木を本当に友人と思っているかさえはっきりしません。益田が鈴木のことを考え始めるのは、鈴木が17年前の連続児童殺傷事件の犯人ではないかと疑い始めることからです。

話がいきなり本論に入ってしまった感じで説明不足ですね。

映画の内容を簡単に書きますと、まず、益田は中学時代に同級生を自殺で亡くしており、その責任の一端が自分にあるとの呵責の念にとらわれている人物です。それこそが「友を裏切ることの罪」であり、益田はその後悔がゆえに、17年後(かな?)の今でも時折自殺した同級生の家を訪ね、病床にある母親を慰めたりしています。

一方の鈴木は、17年前、14歳のときに連続児童殺傷事件を起こしています。いわゆる少年Aと象徴的に語られることの多い酒鬼薔薇事件をモチーフにしていることは言うまでもありません。ただ、映画はその過去の事件について何かを語ろうとしているわけではなく、その事実を知った益田などまわりの人間がどうするかを描いているだけです。

益田は、いとも簡単に鈴木を裏切ってしまいます。ただ、言葉ではそうですが、映画の流れから言いますと、上に書いたように友情そのものが描かれていませんので、鈴木が少年Aではないかと疑い始め、当時の同級生にまで会って調べ、益田本人にその意志がなかったとは言え、結果として、その事実を雑誌社に売っただけとしかみえません。映画は、益田にそこに至る苦悩があったことを描いていません。

雑誌社に売ったという経緯はこういうことです。

益田は元ジャーナリストだったらしく、過去への未練なのか、少年Aである鈴木の今をルポタージュとしてまとめ、元同僚(元恋人でもあったのかな?)に見せ、この同僚が無断で雑誌に掲載してしまったということです。

おそらく、益田と鈴木に関わるこうした展開が映画の軸となるべきなんだと思いますが、そう見えないくらい、他にいろいろなことがごちゃごちゃと起き、語られます。

益田の元同僚の杉本(山本美月)の雑誌社の編集長まで出して雑誌社のシーンまでありましたし、鈴木の医療少年院(と公式サイトにある)の担当指導官(?)であった白石(富田靖子)の母娘問題もありました。

おそらく家族というテーマ絡みだとは思いますが、白石は鈴木を更生させることへの思いが強く、自分の娘のことよりも優先したという設定で、愛情を感じられなかったという白石の娘まで登場させていました。

鈴木に絡んでくる人物で物語的に扱いの大きいのが、たまたま鈴木が街で出会う女、藤沢(夏帆)です。藤沢はしつこく男に付きまとわれているようで、鈴木にその意思はなかったのですが、結果として庇うことになり、好意を寄せられ、町工場の同僚たちからはつきあっている女性として見られます。その藤沢は、実は、田舎から出てきて、悪い男につかまり、ついにはアダルトビデオにまで出演させられていたという過去を持つ設定です。

何じゃ、こりゃ!? 未だに女性の役回りって、こんなんですかね、悪い男に引っかかり、自分の意志とは関係なく不幸な境遇に陥れられる? って…(涙)。原作がそうなのかも知れませんが、こういうステレオタイプな女性像を描き続けているから刷り込まれちゃうんですよ。

で、映画は、藤沢と鈴木のあまりうまくいかない恋愛関係を入れつつ、予想通りというかなんというか、その悪い男が藤沢の出演したアダルトビデオを二人の周辺に送りつけ、鈴木が寮のテレビを壊したりする混乱もあり、そうこうするうちに、鈴木が少年Aであるとの益田の書いたルポが週刊誌に出て皆の知るところとなり、鈴木は姿を消します。

このあたりの前後は曖昧ですが、確か、鈴木は藤沢に頼ろうとするも、少年Aであることを知った藤沢はあっさり(と見えただけ?)拒否します。

あ、そう、冷たいのね、としか言いようがありませんが…。

ということで、鈴木は姿を消してしまい、益田は自分の過去と向き合うために、今まで隠してきた真実を自殺した同級生の母に告白しようとします。

これ、鈴木を裏切ったことがその契機になったんでしょうが、正直なところ、もういいから早く終わってなんて思っていましたので、細かい展開はあまり記憶していません。いろいろ見逃しているかも知れませんね。

で、同級生の母は、ただひとり益田だけが最後まで息子の友人でいてくれたと思っているようなんですが、実は、いじめのひとつである葬式を模した同級生に送る寄せ書きに益田自身も「じゃあね(だったかな?)」と書き、その後、同級生から「もう限界だ」と言われた際にも「勝手にしたら」と答えているのです。

ラストシーン、そうした自分自身の過去を見つめ直し、後悔を断ち切るために益田は同級生が自殺した場所を訪れます。その場所と少年Aの犯行現場を切り返しだったかで見せていましたが、あれは同じ場所ということだったんですかね? とにかく、そこに益田のナレーションをかぶせて映画を終えていました。

ということなんですが、この映画、まだ、別の物語があるんですよ。これまでの話は、まだ鈴木や益田に関係しているからいいのですが、次の物語は二人にまったく絡んでこないんです。

今はタクシーの運転手をしている山内(佐藤浩市)の家族の物語です。できるだけ簡単に書きます(笑)。

山内の息子、正人(石田法嗣)は10年前に交通事故を起こし子どもたちの命を奪っています。山内は、自分の息子が他人の家族を奪ったのだから、自分たちも家族を持つ資格はないと家族を解散し、いまも命日には被害者への謝罪を忘れません。

山内の心情を語るためのシーンがいくつかあります。

被害者の命日にお供えを持って訪ねるも、被害者からは、もう忘れたいのにだったか、未だ怒りはおさまらないからだったか、とにかく罵倒されひれ伏して謝罪するシーン、事故以来会っていない(ような)妻の父親が亡くなり、その葬式に行くも、(元?)妻の兄だったか弟だったかにこれまた罵倒されるシーン、つまり、過剰であるがゆえに周りの和を乱すという設定かと思います。

そんな折、息子の正人から、付き合っている人がいる、子供ができた、結婚したいと言われます。山内は怒ります。お前は他人の家族を壊しておいて、自分が家族を持とうとするのか!と。

結局、息子は結婚することとなり、式の場に山内が乗り込んいくシーンがありましたが、あれ? その後どうなりましたっけ? 忘れちゃいましたが、まあ、それなりに上手く収まったように思います。

今、あらためて考えてみますと、この佐藤浩市さんが一番人物としては生きていましたね。役者としての存在感なんでしょう。

生田斗真さんにこの役は合いませんね。

瑛太さんの鈴木は人物像が未整理で失敗でしょう。

最後に整理してみますと、こういうことかと思います。

この映画、それぞれ皆何かしら問題を抱えた人物をたくさん登場させ、いろいろなコトを起こさせ、かなり煩雑ではあるのですが、実は、見ている時には、ほとんどわかりにくさを感じることはなく、すんなり見られたと思います。

なのに、見終わった後に、何やらはっきりせずもやもや感が抜けきれません。

それがこの映画の問題点で、それはつまり、現実の物語やら過去の事件やら、さらにそれに付随したいろんなことは語られ、それぞれのことはすんなり入ってくるのですが、じゃあ、そのいろんなコトがどう関係しているのかになりますと途端にもやもやとしてくるということだと思います。まあひとことで言いますと、いろんなことを入れてはみたがうまく絡ませることができなかったということだと思います。 

ああ、もうひとつ忘れていました(もういいって!)。 

映画の冒頭、幼児殺人事件が起きます。これは現在の時間軸で起きることなんですが、これ、映画の主要な物語にはまったく関係がありません。鈴木の17年前の犯罪を思い起こさせる道具に使おうとしたのかと思いますが、未整理のまま、映画の後半で唐突に犯人が捕まったで済ませていました。

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