オーケストラ・クラス

ありがちな物語なのに、音楽を大切にし、シンプルでいい映画

音楽が人、特に子どもを育てるといったテーマの映画は、過去にもいろいろあったと思いますが、この映画もそのひとつで、プロのバイオリニストが子どもたちにバイオリンを教えるというものです。ただ、この映画の場合、むしろ育つ(変わる)のは教える側のバイオリニストの方です。

公式サイト / 監督:ラシド・ハミ

フランスには実際に「Démos(デモス)」という音楽教育プロジェクトがあるらしく、ググっても日本語ではこの映画がヒットしてしまいますので詳細はわかりませんが、公式サイトによりますと、「音楽に触れる機会の少ない子供たちに無料で楽器を贈呈し、プロの音楽家が音楽の技術と素晴しさを教える」というものらしく、この映画はそれにインスピレーションを得て制作されたとあります。

こうした情報だけでも、ほぼ映画の内容(展開)は読めてしまいますが、ただ、想像されるような過剰な盛り上げはなく、かなりシンプルに作られており、感動は音楽そのものの力に任せているところがあり好感が持てます。

パリ19区の小学校にバイオリンの先生としてシモン・ダウド(カド・メラッド)がやってきます。シモンは演奏家としてやっていきたいと考えている(ような)のですが、仕事がないのか、他に何か問題、後に娘のことが出てきますので娘との間になにかあるのかよくわかりませんが、子どもたちに教えることは初めてのようです。

このシモンの寡黙で穏やかなキャラクターが映画を作っている感じがします。

一度だけ興奮して子供に当たるシーンがあるのですが、それ以外は心乱すようなところがなく、過去いろいろあったにしてもぐっと耐えてきた人なんだろうと思わせ、普通それですとかえって危ない人になってしまいますが、カド・メラッドさんの地なんでしょうか、懐が深い感じがします。

一方の子どもたちですが、ネットにもパリ18,19,20区は移民が多いとあり、映画でもその設定からなのか、アフリカ系やアラブ系の子どもたちが多く含まれています。だからというわけではないでしょうし、このプロジェクトが正規の授業じゃないということもあるのか、子どもたちは、教師やシモンがいても一時も静かになることはありません。バイオリンを教えようにも集中力がなく、見ていてもこりゃダメでしょうという感じです。

印象的だったのは、そうした子どもたちの汚い言葉遣い(もちろん字幕)や言い争い(罵り合い)をかなり丁寧に、というのは変ですが、何かを意図してじっくり見せようとしているように感じられるのです。もちろん批判的ということではなく、どういうんでしょう、そのままの子供を描くみたいなことでしょうか。

実際、ラスト、演奏会が成功しても、子どもたちのそうした日常が変わるようには描かれていません。子どもたちにとって、変わるのは、ひとつの目的を見つけ、それを達成することに何かしら満たされることがあるというその経験をしたということしかなく、例えてみれば、悪い子が良い子になるみたいなことではありません。汚い言葉や言い争いは最後まで続きます。

サミールという手に負えない子どもがいます。はじめての授業で、シモンがスキンヘッドであることをセクシーな頭だねとからかったりします。日々そんな感じですから、ある時、さすがの減らず口にシモンがサミールの胸ぐらをつかんで詰め寄ります。

一緒にいる教師が止めに入り、事なきを得ますが、教師は、こうした子どもを救うのが仕事なのに何を考えているのだ!と諭します。

さすがにそうした、いわゆる悪ガキばかりでは物語が進みませんので、ひとりアーノルドというシモンが才能があると見出す子供がいます。

はじめての授業の日、アーノルドは窓の外から加わりたそうに覗き込んでいます。このプロジェクトは、皆が音楽かスポーツ、どちらかを選ぶと説明されていましたので、なぜアーノルドが音楽を選ばなかったのしょう? やや疑問が残り、物語を作るためにそうしたのであればちょっといただけません。とにかく、アーノルドはソロパートをまかされることになります。

ある時、シモンがアーノルドといる時に、アーノルドの母親と出会い食事に誘われます。シモンは離婚しているのでしょう、ひとり暮らしです。

アーノルドたちはアフリカ系なんですね、母親が、私たちは食事の後に踊るのよと言って音楽をかけ、踊りましょうとシモンを誘います。踊れないと断っていたシモンですが、母親の陽気さにつられ次第に体を動かし始めます。

このこと(しかないから、多分このこと)から、シモンの考えが少し変わります。次の授業の時、それまで音楽に大切なことは練習だとか言っていたのが、音楽に大切なことは楽しむことだなどと言い始めます。見ていて、え?とは思いましたが、考えてみればこの単純さ(シンプルさ)が結果いい方(映画の話)へいっているのだと思います。

普通こうした物語の映画は、もう少しドラマチックに、シモンをもっとへこませておいて、もう少しメリハリを効かせて、シモンに音楽の楽しさをあらためて感じさせるという作り方をすると思うのですが、この映画はそうした手法を取りません、と言いますか、ややぎこちなさが感じられ、あまりリズム良く進まないのですが、シモンのキャラクターも相まって、逆にそれが良い方へ出ています。

そうしたシモンの変化もあり、件のサミールとのトラブルもサミールの家を訪ねて謝罪し、バイオリンを続けるように言います。ここで音楽の力が発揮されます。

サミールにバイオリンを続けさせてくれ(って、サミールはあの件で来なくなっているのかな?)というシモンに、息子に手を上げたと思っていることで疑心暗鬼になっている父親が何か弾いてくれと言います。

シモンはバイオリンを取り出し、あれなんていう曲でしょう? 多分バッハだと思いますが…

※スマートフォンの場合は2度押しが必要です

これですね。目の前でこれ弾かれたら泣いちゃいますね。

ということでサミールが戻ります。といっても良い子にはなりません(笑)。

そんな時、シモンにカルテットの第2バイオリンとしてツアーの話が舞い込みます。当然シモンは迷います。ただ、この迷いも大したドラマにならなく、と言いますか、抑えた演出がされているのか、あまりドラマづくりがうまくないのか(ペコリ)、さらりと流され、ツアーの話は断ったようです。

一ヶ所妙な編集がありました。私の勘違いでなければですが、担当の教師にはツアーの話は断ったと言うシーンの後に、アーノルドがシモンにやめるの?と尋ねうなづくシーンがありました。

シモンの娘の話もあります。これも何が問題なのかははっきり語られていませんが、娘もバイオリンをやっており、今はシモンとの間がうまくいっていなく、その理由がシモンの音楽一途にあるのではないかということです。

それが、このプロジェクトによって、シモンの音楽に対する考えが変わり、娘ともやり直せるのではないかと思わせるシーンがあります。何となくそう思えるだけで、映画はそれとはっきり語っているわけではありません。そういう映画ということでしょう。

で、プロジェクトも終盤、事件が起きます。練習場が漏電で焼けてしまうのです。練習の度に電気が点滅するという伏線が貼られていたのはこれでした。

練習場がなければもう諦めるしかないと、父母たちを集めて説明会を開いたところ、父母たちがここまでやってきたのだからと、場所は倉庫を提供しよう、電気系統は専門だ、などと皆が協力的になり、この映画では唯一の盛り上がりといってもいい、皆が協力して倉庫を練習場に作り変えます。

そして完成、全員、子供たちも含めて打ち上げのような食事会です。

このシーン、私はかなり印象的でした。かなり長く、大人たちの会話や子供たちの相変わらずの汚い言葉のやり取りを見せているのです。ポンポンとクライマックスの演奏会に持っていけばいいのに思うのですが、これが最初に書きました、何か意図があって丁寧に撮っているのではないかと思ったきっかけのシーンです。

で、ラストシーン、フィルハーモニー・ド・パリでの演奏会、演奏する曲は、リムスキー=コルサコフ作曲の「シェヘラザード」です。この選曲は移民ということにかけているんでしょうか。いずれにしても、ここも音楽の力だけにまかせていてとても良かったです。それに、演奏の前に、とても長い舞台袖での無音の待機時間があるのですが、あれもよかったです。アーノルドくんのバイオリンソロも素晴らしかったです。ただ、(全員ですが)いくらなんでも1年であの演奏は無理でしょう(笑)。

演奏はスタンディングオベーションを受けて終わります。映画も静かに終わります。

ということで、およそ想像のつく物語なのに、何か不思議なものを持った映画でした。それが意図されたものなのかどうかはわかりません。