ボヤンシー 眼差しの向こうに

カンボジアの14歳の少年、奴隷船から生還する

配給がイオンエンターテイメントですと郊外にしかないイオンシネマまで足を運ばなくてはいけないという残念なことになります。

しかし、これはいい映画でよかったです。

ミニシアターでやれば(東京だけではなく)もう少し注目度も上がったのではないかと思います。

ボヤンシー 眼差しの向こうに

ボヤンシー 眼差しの向こうに / 監督:ロッド・ラスジェン

カンボジアの14歳の少年がタイへ働きに出るも騙されて奴隷船(みたいなもの)に放り込まれ、虐待を受けひどい目にあうもそこから脱出するという物語です。タイトルの「ボヤンシー  buoyancy」は「浮力、回復力、快活さ」といった意味のようです。昨年2019年のベルリン映画祭でエキュメニカル賞を受賞しています。同じ賞を今年は想田和弘監督の「精神0」が受賞しています。

監督のロッド・ラスジェンさんはオーストラリア生まれの39歳くらい、この映画が初めての長編とのことで製作もオーストラリアです。

カンボジアのシーンとして描かれるのは冒頭のほんのわずかのシーンで後はほとんど海上の船のシーンです。

エンドロールに流れたスーパーによりますと現在でも20万人のカンボジアやミャンマーの男たち(子どもを含む)がこの映画のような隷属的な立場でタイの漁業に従事させられているそうです。

14歳のチャクラは貧しい農家の次男です。幼い妹や弟もいます。そのせいか兄ほど大切にされず親からも農作業の担い手としかみられていません。

このあたりの描き方はかなり浅いです。父親から毎日のように稲作の肥料を撒くことを強要される様子が描かれるだけです。父親になぜ兄は優遇されるのだとか、自分(父親)がやたら子どもつくるからだとか抗議するシーンがあり、父親が今にも殴るかというシーンがあります。

チャクラは家出をしブローカーを頼ってタイに働きに出ることにします。しかしお金がありませんので言うなれば人身売買のようにタイの漁船に売られてしまいます。

夜中に何人かが道端で待っています。暗闇にヘッドライトが見え、やがて車が近づき何の説明もなく早く乗れと急かされ、ある場所に到着しチャクラがお金がないと言いますとお前はあっちだと皆と違う車に乗せられ、有無を言わさず漁船に放り込まれます。

実際にもこんな感じなのかなあと気が重くなります。

チャクラが売られたタイの漁船は、底引き網で根こそぎ魚を獲ってしまう破壊的な漁法をしており獲れた魚はドッグフードになると言っていました。描写としては重労働さは強調されていませんが扱いは非人道の極みです。食事はご飯(米)と水のみ、作業が終われば重なって寝るしかないような狭く暗い船倉に放り込まれます。それが毎日続きます。チャクラともうひとりのカンボジア人の他におそらくミャンマーだと思いますが他国の男たち4人がそうした奴隷のような扱いのもとで働かされています。雇い主は屈強な3人のタイの男たちです。

そうした船上のシーンが割と淡々と続きます。チャクラたちはクメール語、雇い主たちはタイ語ということもあり会話(台詞)はほとんどありません。ところが中盤になりますとじわじわと何とも言えない緊張感が感じられるようになります。

チャクラをやっているサーム・ヘン(Sarm Heng)くんがとてもいいんです。

(C)2019 Causeway Films HQ Pty Ltd, Filmfest Limited and Screen Australia. All rights reserved.

Facebook Watch にインタビュー動画があります。撮影当時チャクラと同じ14歳だったようです。

Buoyancy – Interview with Sarm who plays Chakra in Buoyancy | Facebook

また、彼自身の Facebook によればストリート・チルドレンだった2歳の時に(家族とともに?)NGO の Green Gecko Project のサポートをうけて育ったとあります。

船上のシーンは画的には単調な日々の繰り返しなんですがチャクラが徐々に変化していきます。目の前で起きることをじっと見、自分の置かれている状況を理解し、どう脱出するかを考えているように見えてくるのです。台詞はほとんどありませんので表情、特に鋭い眼光からそのように見えてくるということです。

雇い主に逆らった男がおもりをつけられて海に投げ込まれたり、一緒に乗せられたカンボジア人の男が雇い主に殴りかかったために2艘の船に縛り付けられ体を引き裂かれたりする様(画はない)をじっと見続けます。チャクラの眼差しが次第に鋭くなってい(くように見えて)きます。

そう見えてくるのはおそらくサーム・ヘンくんの演技というよりもロッド・ラスジェン監督の演出処理でしょう。キャスティングも効果的です。雇い主3人のうちのボス的存在ロムランをやっている Thanawut “Dam” Ketsaro さんの存在がとても大きいです。

(C)2019 Causeway Films HQ Pty Ltd, Filmfest Limited and Screen Australia. All rights reserved.

このロムランが持っている単純な暴力性ではない得体の知れない怖さをうまく活かしてチャクラの変化をうまく出していたのだと思います。

漁獲は雑魚が多いのですが、時に大きな魚(ボラみたいな?)があがりますとチャクラは操舵室のロムランのもとに持っていったりします。ロムランはそうしたチャクラの振る舞いに自分に似たもの、クレバーさを感じるのでしょう、警戒しつつもひとりの人間として意識するようになります。

描写は少ないのですが、チャクラは操舵室にあがることで操舵を覚えます。エンジンの調整をすることで船を操ることを覚えます。

そして後半、補充された乗員(奴隷)のひとりがチャクラを子どもと見くびったのでしょう、ご飯を与えなかったり寝る場所を取ったりと虐げます。

夜中、チャクラはその男が排便(船のヘリのロープにつかまり海にする)にいくのを待ち受け海に突き落とします。チャクラに感情が動くような表情はありません。

これを機に一気に脱出への道をひた走ります。と言ってもなにか計画があるわけではありません。雇い主の3人の男たちを棍棒(骨)で殴り殺していくだけです。

夜中、操舵室のひとりを除いて皆寝込んでいます。機関室へ潜り込みエンジンを止めます。故障かと降りてきた男を殴り殺します。エンジンをかけ船を自ら操縦します。操舵室に上がってきた2人めの男を殴り殺します。

ロムランが拳銃を持って上がってきます。余計なシーンは何もありません。一撃で倒します。拳銃を奪い、他の乗員(奴隷)たちに3人の男たちを海に捨てさせます。

緊迫感が演出されるようなことは一切ありません。淡々と目的を達していくだけです。いわゆる肝の据わった行為ということであり大物感が漂います。これがクライムものなら裏の世界の大物になっていく物語がつくれそうです。

チャクラはカンボジアの自分の家に戻ります。トラックの荷台から降り立ったチャクラは農作業をする家族を見つめ、何を思ったのかおもむろに今やって来た道を戻っていきます。気配を感じたのかふと顔を上げた父親が背を向けて歩いていくひとりの男の後ろ姿を見つめます。

公式サイトのディレクターズノートによれば、ラスジェン監督は「貧困社会で起きている問題、強制労働や搾取の現状、現代社会における奴隷制といった問題をドキュメンタリー視点で描いているわけではない。観る者に事実を突きつけながらも、映画という手法を用いて、人の心や意識にフォーカスし」ていると語っており、つまりはチャクラの意識に注目して欲しいということでありそれは成功していると思います。

ただ、その後に続く「彼が経験してしまった凄惨な出来事は、トラウマとなって彼を悩ませ続けるのではないだろうか?」との危惧を映画から感じることは難しく、むしろこの先どんな苦難が待ち受けていようともチャクラは力強く生きていくことは確信できます。

それはやはりサーム・ヘンくんの持っている内面的な何ものかが映画に表現されているからだと思います。

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