チャンブラにて

ロマの少年ピオくん、この映画出演を劣悪環境脱出の契機にして欲しい

ずーと気になっていたんですが、見るのが最終日(先週金曜日)になってしまいました。それにしても地味なタイトルです。昨年のイタリア映画祭2018で上映されています。 配給:武蔵野エンタテインメントとなっていますから、新宿武蔵野館が買い付けたということなんでしょう。

チャンブラにて

チャンブラにて / 監督:ジョナス・カルピニャーノ

主人公のピオくん、上に引用した写真にある十代前半くらいの少年で、いわゆる演技素人ということなんですが、その眼力といい、存在感といい、そのへんの子役の比じゃないです。このピオくんがいなければ存在していないような映画です。自然ということではなく、ピオくん、演じてます。

映画が始まるや、まだ幼い子供たちがタバコは吸うわ、酒は飲むわ、汚い言葉は使うわ、ものは盗むわという、いわゆるスラムな環境の話ですので、背景を知っていないとびっくりすることばかりです。

ただ、映画の情報もそうですが、ロマそのものの情報も少なく、その呼称でさえロマでいいのかジプシーなのか、はたして差別的な意味合いは含んでいないだろうかと、とにかく本当に理解しようとしますと大変な映画ではあります。

公式サイトに多少情報があります。字幕翻訳をされた岡本太郎さんのイベントリポートから映画の背景をひろってみますと、まず「チャンブラ」ですが、イタリア、カラブリア州ジョイア・タウロ郊外の通りの名前とのことです。長靴のつま先のところです。そこにロマが定住したのは30年くらい前で、それまでは州内を移動していたそうです。現在80家族ほどが暮らしていると言われており、映画ではピオやピオの兄が盗みでお金を得ているところが描かれますが、もちろん皆が皆そうではなく、多くは自動車解体などの仕事に就いているそうです。

映画の中でピオの家族が電気を盗んでいることから警察の手入れを受けるシーンがあります。実際に(映画の中の)ピオの家族は電気を盗んでいます。現実世界でもチャンブラには電気はきていないそうです。映画の早い段階でピオの父親と兄が逮捕され、その容疑はよくわからなかったのですが、あるいはこの電気泥棒の容疑だったかもしれません。

といった劣悪な環境の中で、それでもピオが大人に育っていく過程を、いや違いますね、過程なんて生やさしものではなく、こうしたひどい環境なのにそこから抜け出ようにも抜け出るすべのないというのが現状で、その中で生き抜くためには、盗みであれ、「信頼」を裏切ることであれ、やらざるを得ない様を映画は描いていきます。

ピオだけではなく、ピオの家族、十人以上はいましたが、両親、兄妹、姪、甥、いとこ(よくわからない)などなど、Amato 一族が実生活のまま登場します。ただ、ドキュメンタリーというわけではなく、ピオの家族以外は俳優だと思います。

映画はひたすらピオを撮り続けます。約2時間、ピオで持つんです。映画としては結構すごいことなんですが、ただ描かれる物語はかなり切ない話です。

ピオの大家族、何が生活の糧になっているのかよくわかりませんが、兄が盗みで得てくるお金もその一部のようです。ある日、警察の手入れにより、父と兄が逮捕されます。ピオは自分が稼がなくちゃいけないと思ったのでしょう、旅行者のキャリーバッグやスマホを盗んで売り払ったり、盗品を運んだりして稼ごうとします。うまくいくときも失敗するときもあります。

もちろん、演技の才能はあるとはいえプロではありませんので、完全なシナリオがあって撮っているわけではなく、ドキュメンタリー的に日常を撮り続け、時に指示を出し、たくさん撮りためて編集されたものだと思います。ですので、着ているものや時間帯の連続に違和感はあります。

でも大きな流れとしてはさほど気になるわけではなく、そうした子どもが大人になろうとする過程の、背伸びしたり、虚勢を張ったりするところが描かれ、そうした中で、もうひとつの貧困層、アフリカからの難民のひとりアイヴァを兄のように慕うようになります。

このアイヴァ(クドゥ・セイオン)が無茶苦茶いい人なんです。スマホやパソコンの売り主を紹介してくれたり、未成年には車は運転させられないと代わりに運んでくれたり、バイクで家まで乗せてくれたりと、年は離れていても親友として相対してくれるのです。

アフリカ難民の仲間が集うクラブのようなところで、ピオがちょっとしたからかいを受けながらも気さくに受け入れられるシーンがあります。初めは緊張していたピオにも笑顔が拡がり、一緒に大笑いするまでになっていきます。さすがにぎこちなさが見受けられましたがいいシーンでした。

おじいちゃんが亡くなります。上に引用した岡本太郎さんのイベント時のリポートによりますと、この点、撮影を開始した時にはおじいちゃんは亡くなっていたそうですので、映画は実のおじいちゃんではないということになります。

で、これ、よくわかりませんが、おじいちゃんが亡くなったことで父親と兄が釈放されてきます。まるで恩赦のようなんですが、そんなことはありえないでしょうから、どういうことなんでしょうね。

とにかく、曲がりなりにも元の状態に戻ったということになるのですが、ピオの行動が逆の目に出てしまいます。父親と兄の二人がいない時には、自分が(盗品で)稼いで家族の役に立った(母親にお金をわたしていた)という自負からでしょう、さらに大人であることを見せようと、ひとりでイタリア人の家の盗みに入ります。でも見つかってしまいます。

どうなることかとドキドキしましたが、このイタリア人は顔見知りらしく、家まで引っ立てられ家族の前で謝らさせられます。

この点について、岡本太郎さんは、あのイタリア人はマフィアではないか、そしてロマたちがマフィアの片棒を担がされているのではないかと語っています。たしかにそう考えれば、大事にならず、せいぜいお灸をすえられたくらいですんでいることに合点がいきます。

で、クライマックスともいうべき事件がおきます。ピオの兄が、アイヴァがため込んでいるテレビやらパソコンやら相当量のものを盗むと言い出し、ピオにアイヴァをおびき出せと命じます。

ピオは必死で拒否します。

そうだよね、よかった、と思いながら、映画もその点はっきりさせずに進んでいましたので拒否したんだと思っていましたら、なんと、ピオは泣きながらアイヴァを呼び出していました。

あー、やっちゃいましたか…。

で、後日、ピオがロマのコミュニティのいつもの広場にいます。いつもそこでサッカーをしたり何とはなく戯れたりしていた仲間の子供たちがピオ! と呼びます。

と同時に、別の場所には兄たち数人が、おそらくこれもいつものように何かの企みの算段なのか話し込んでいます。

兄がピオに、こっちへ来い! と手招きします。

しばらくあって、ピオは兄たちのもとに駆けていきます。

これが現実的なことかどうかはわかりませんが、もしそうなら言葉もないと言うしかなく、感傷的に切ないなあなどと嘆いていても何の役に立たないことだと思い知らされます。

鉄くず拾いの物語(字幕版)

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