第一級のジョークか、はたまた脳内男性の成せる業か
タナダユキ監督だからだと思いますが女性客が多い印象でした。女性はこういう映画を見て共感するんでしょうか?
いや、この問題の立て方自体が間違っていますね。そもそもこの映画、男目線の映画ですので、園子に共感することはないにしても、男ってこんな馬鹿なのと呆れかえることはあるやもしれません。
ラブドール職人の哲雄(高橋一生)は乳房の型取りのモデルとして知り合った園子(蒼井優)と結婚します。医療用の乳房だと嘘をついていますので結婚後も職業を言えずにいます。
時間経過はわかりませんが何年後か、二人の間がうまくいかなくなります。園子が嘘をついて、2,3日家をあけます。戻った園子を哲夫が問いつめます。園子は癌なのと打ち明けます。
二人に愛が戻ったかのような闘病の日々、哲雄は園子の体を型取りしてシームレスのラブドールを作りたいといい、園子は受け入れます。そして、園子はセックス中に亡くなります。
100体限定で売り出した「園子」はあっという間に売り切れます。
という映画で、タナダユキ監督は、この物語を「愛」というぼんやりとした言葉で包んで描こうとしています。ですので、ほぼジョークとして見たほうがいい映画です。
自分の死後も自分の体を模したラブドールが男たちの性的な愛玩として扱われることを受け入れる女性がいるとも思えませんし、映画の中でも園子自身、それに対してはっきりした意思表示していません。末期がんに冒され朦朧とした意識の中で、あなた(哲雄)に抱かれて死にたいみたいな幻覚症状みたいなものです。
とにかく、全編通して園子には実在感がありません。
園子は、乳房の型取りの際、自分の胸に触ったことで恋に落ちた哲雄から付き合ってほしいと言われ、にっこり笑ってうなづき、結婚します。
その後は、シーンとして、仕事をしているのかどうかも示されず、料理をして、哲雄の帰りを待ち、セックスするだけの日々です。セックスがなくなれば園子の愛も冷めます。
ある日、園子は哲夫に離婚を言い渡します。唯一、園子が意思表示をする場面ですが、その訳が癌に冒されいるということですから、その意思表示でさえ実在感がありません。
そして、園子は哲雄の上で亡くなります。
こうした園子から実在感を感じることは無理でしょう。
と考えれば、園子そのものが哲雄の妄想、ラブドールであったというのがもっともあり得ることかと思います。
というのは深読みし過ぎで、実のところ、この映画の価値観は女性の中にある脳内男性の成せる業だと思います。