旅のおわり世界のはじまり

前田敦子さんのドキュメンタリーとしてみればよくできた映画

前田敦子さんを追ったドキュメンタリーのような映画です。

それが結構見られる映画になっているわけですから、黒沢清監督が、前田敦子さん自身に映画一本持たせられるだけのものがあると考えた結果の映画だとは思います。

旅のおわり世界のはじまり

旅のおわり世界のはじまり / 監督:黒沢清

ですので、もし、そもそもの企画の意図が、日本とウズベキスタンの国交樹立25周年、またナヴォイ劇場完成70周年を機に、ウズベキスタンという国を深く知ってもらおうということであれば、その点ではあまり成功はしていません。

ウズベキスタンという国、風土、人々、それらすべてが、葉子=前田敦子=旅行者の視点で描かれています。言い方を変えれば、この映画、ウズベキスタンである必要はなく、前田敦子さんがいればどの国でも成立します。

バラエティ番組のレポーター葉子(前田敦子)、ディレクター吉岡(染谷将太)、カメラマン岩尾(加瀬亮)、AD佐々木(柄本時生)の一行が、コーディネーター兼通訳のテムル(アディズ・ラジャボフ)とともにウズベキスタンの数ヶ所をロケしていくという映画です。

日本人クルー皆、仕事に熱意などありません。やりたくてやっているわけではないという設定です。吉岡は求められているもの(視聴率)には執着していますがその仕事ぶりは投げやりです。岩尾はベテランのカメラマンですが、本当はドキュメンタリーを撮りたかったと本音を漏らすシーンがあります。

そうした一行が、巨大な湖(アイダール湖って言っていたかな?)に住む怪魚、ウズベキスタン料理プロフ、ぐるぐる回る危険な(笑)遊具の紹介レポートを撮っていきます。

しかし、異国のことですのでなかなか思うように進みません。そもそもいるのかどうかも疑わしい怪魚は捕獲できず、プロフは生煮えのものしか出来ず、危険な遊具では管理人に未成年の女性は乗れないと言われたりし、その度に吉岡はウズベキスタン人はどうこうと悪態をつき、お金で解決しようとします。

さすがにテレビスタッフと言えども今どきこうした感覚はないとは思いますが、一般的にはまだまだ多いと思われる、日本人は時間を守り、約束を守るという優越意識を描きつつ、さらにお金で何とかしてしまおうという横柄さも見せています。

そうしたロケシーンの染谷将太さんと加瀬亮さん、しばらくその二人だと気づきませんでした。むちゃくちゃ成り切って撮影クルー役として溶け込んでいるんです。普段からよくスタッフを観察しているということなんでしょうか(笑)。

で、肝心の前田敦子さんですが、一言でいいますと、生まれながらの俳優という印象を受けます。

上手い下手という意味の俳優ではなく、日常が演技、日常と演技に境界がない、常に前田敦子を演じている、そんな感じです。

AKB48を追ったドキュメンタリー「DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?」を思い出します。別にAKBファンというわけではなく、いったいAKBって何なんだろうと思ってDVDを見ただけなんですが、その中に、当時AKB48のセンターをとっていた前田敦子さんがコンサートの途中で過呼吸を起こす場面があるのです。その時は演技だろうと思って見ていたんですが、実際に過呼吸を起こしていたのかも知れません。過呼吸状態の自分をつくれるという意味です。

この映画の葉子も前田敦子さんそのものにみえます。あるいは、シナリオがあるとすれば、黒沢清監督がそれらを見抜いて葉子に前田敦子を書き込んだということかも知れません。

葉子は、とにかく仕事には体当たりでぶつかります。常に憂鬱そうな葉子ですが、カメラが回れば思いっきりの笑顔(だけど影がある)になります。ペンギン(防水ズボンをそういうらしい)をはき腰まで水に使って笑顔でレポートします。現地の漁師が女がいるから捕獲できないと、これはそもそも怪魚自体が作りごとでしょうから、日本の神事を皮肉っていいるのかも知れませんが、それは置いておいて、そうした蔑視的なやり取りにも(憂鬱な表情のまま)動じません。プロフが生煮えでも美味しそうな表情でレポートします。見ていて大丈夫か!? と思うような遊具にも果敢に挑戦します。あれはスタント? 本人?

AKBの前田敦子さんのイメージです。

上に、常に憂鬱そうな葉子と書きましたが、むしろ日常の顔というべきですね。仕事が終わり、ひとりになったホテルの葉子は前田敦子さんそのものにみえます。スマホで日本にいる恋人とラインしながらごろごろするシーンのうまいことといったらありません(笑)。

夜、食べるものを買いにバサールへ出かけます。この一連のシーンは、言葉が通じないからと端からコミュニケーションを拒否する日本人の一類型を徹底的に見せています。店では買おうとするものを黙って店員に差し出し、財布まで見せて必要なだけ取らせたり、路地に人がいれば逃げるように早足になったりします。

こうしたシーンもうまいです。多くの日本人旅行者が感じるであろう異国の地での緊張感や恐れのようなものが演じられているにしても、やはり前田敦子さんなんです。何事にも動じないんです。マイペースにみえるのです。

  

このバザール行きで、葉子は、ある家の庭で囚われたヤギをみつけます。翌日、やはり怪魚が捕獲できず、これでは尺が足りないと、相変わらずウズベキスタンをそしるように愚痴る吉岡に、葉子が、囚われのヤギを開放するのはどうかと提案し受け入れらます。

葉子が自分自身をヤギに置き換えているという意味だとは思いますが、正直、ちょっと無理矢理じゃないのと思いますし、それに今の日本のバラエティではおそらくボツでしょう(笑)。

で、ヤギを金で買い取って撮影しますが、例によって現地の人達とのトラブルがあります。ヤギを草原に帰したら、野犬か何かに襲われるだけだと、そりゃそうですよねとは思いますが、やはりここでもさらに金を払い、ヤギを草原に放ちます。このヤギ、ラストシーンで、葉子の飛躍する姿と重ね合わせるように草原で生き延びている姿を見せています。

続いて、首都タシケントです。ここでもバザール行きと同様のさまよう葉子が演じられます。恋人への絵葉書を出しに郵便局へ行きますが、やはりここでも無言で済ませます。さらに街をさまよっていますと、歌声が聞こえてきます。誘われるようにその建物「ナヴォイ劇場」へ入っていきます。

映画の中でも語られていますが、ウィキペディアによれば「(第二次世界)大戦後、日本人捕虜を活用して革命30周年に間に合わせることを命題とし、建築に適した工兵457人の日本兵が強制的に派遣された」とのことです。劇場の中に迷い込んだ葉子がさまよい歩くことで建物の内部を見せていました。ビザンチン風(とのこと)の装飾が美しかったです。

聞こえてきた歌はオーケストラをバックに歌われる「愛の讃歌」です。葉子は、実は歌手で勝負する自分を夢見ています。いつの間にかステージには葉子自身が立っています。

そして「愛の讃歌」を歌います。

言葉にしますと、ん? 何? なぜ愛の讃歌? と思ってしまいますが、見ていて違和感はないです。それに前田敦子さん、声は伸びていませんが、結構聞かせます。やはりマイペースですね、臆するところがありません。ただ、映画としては幻、夢、そんな感じの描写です。

で、これ、ラストシーンではありません。正直、このあたりからやや長いなあという感じがしてきます。先を端折りますと、怪魚の画が撮れる可能性もなく、コーディネーターのテムルが、自分が日本に興味を持ち日本語を学んだのは、ナヴォイ劇場の日本人エピソードがあったからだとナヴォイ劇場紹介を提案しますが、吉岡によって却下され、じゃあ、葉子にカメラを持たせてバザールを撮ろうということになりますが、例によって、マイペースの葉子はどんどん勝手に進み迷子になり、撮影禁止地域までさまよってカメラを回しますので警官に追われ、これまたわざわざ暗く危険そうなところに迷い込み、結局逮捕されます。

なぜあなたはコミュニケーションを拒否するのだと諭され、涙ながらに謝って釈放、その時、葉子はテレビに東京湾が燃える画が映し出されているのを見ます。葉子の恋人は消防艇に乗る消防士です。葉子は安否を気遣いラインや電話をしますが応答がありません。深夜、恋人からの電話があり、無事が確認されます。

そして翌朝、ラストシーンです。現地の人の、山に謎の動物を見た人がいるとのわけのわからない(笑)噂話をもとに取材に出ます。クルーが押さえの風景を撮っている間に葉子はどんどん登っていきます。そして、開放したやぎが無事に生きている姿を見ます。

葉子=前田敦子が山の上で「愛の讃歌」を歌います。アカペラではありません、オーケストラ付きです。

いやー、長くなってしまいました。

映画も、長さが感じられることをのぞけば、とてもよい映画でした。

散歩する侵略者

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