ヒーリング映画、サウンドスケープ、再び会うことのない出会い…
「ゴースト・トロピック」と同時公開されているバス・ドゥヴォス監督の2023年の「here」です。昨年のベルリン国際映画祭エンカウンターズ部門で最優秀作品賞と国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI賞)を受賞しています。エンカウンター部門というのは2020年から始まった部門で、ウィキペディアには「インディペンデント作品や新人作家の発掘に重きをおいている」とあります。
ヒーリング映画…
ヒーリング映画の条件ってなんだろうと考えながら見ていました。
映画が始まってしばらくはブリュセルの街並みの遠景が何カットか続き(正確ではない…)、ときに人物が写り込みますが、特別それらの人物が物語を進めるわけでもなさそうです。
こうした映像でも人によってはヒーリングになりそうです。一番のポイントは音、あるいは音楽のように思います。この映画ではいわゆる自然音(街の雑踏音も含め…)がかなり重要になっています。当然そのまま同時録音の音であるわけはなく、相当作り込まれていると思われます。
そして、緑、緑、緑…。ブリュッセルの街なかにあんな里山があるのだろうかと思います。男は車を修理工場に預けるわけですが、森の中を突っ切って取りに行ったりします。
リアルじゃないということでしょう。それだけ意図的に作り込まれた映画ということです。いずれにしてもこの映画の自然っぽさはリアリズムではありません。作り込まれた自然さです。
たとえば雨、映画ですから別に自然の雨を待つ必要はありませんが、この映画でも人工雨を降らせています。撮影スケジュールの都合で陽がでているのに雨のシーンを撮らざるを得ないという映画が結構ありますが、この映画はそれを避けるようにうまくつくられています。
さすがに緑は自然のものでしょうが、そこに流れる音はかなり加工されています。
やはりヒーリング映画ということだと思います。批判ではありません。バス・ドゥヴォス監督はそれでいいと思っているんじゃないでしょうか。見る者それぞれがこの映画から安らぎを得てくれればいいということです。
あざとさとの境界…
といった意味合いで考えれば、ある意味劇映画としてはあざとさの境界線上にあるような映画とも言えます。
ルーマニアからブリュッセルに出稼ぎに来ている男は夏の休暇にルーマニアに戻り、そのまま戻らないでおこうと考えているようです。そのため借りている部屋をきれいにしようとしています。冷蔵庫を空にするために残された食材でスープをつくり、車の修理依頼のついでにスープを持っていき皆で食べます。
また、姉かとおもいますが、職場を訪ねてふたりでスープを食べます。多分姉はブリュッセルで暮らすことを選択しているのでしょう、長い別れになることを予想して声を記憶にとどめようとしたのか、男は姉になにか話してほしいと言います。しかし、その声を聞きながら眠ってしまいます。その時スクリーンにまさしくヒーリング映像たる森の緑が何カットか映し出されます。
後半は中国系の女性との出会いが描かれます。女性は苔学の研究者です。女性のおばがやっている小規模なチャイニーズレストランで出会います。互いに存在を意識しているさまがかなり意図的に演出されています。そして、後日、男がやはり森を通って車を取りに行く際に苔の採取をする女性と再会します。。
この後の二人のシーンをどう取るかがこの映画をどう取るかの境目かもしれません。
私はあざとさと感じます。特に二人が向き合ったところを胸から下だけを撮るカットとか。そこにいたる二人が歩くシーンもそうです。
あざとさを批判しようとしているわけではありません。所詮ヒーリングというのは自然にはない環境を意図的に作り出すことなのですから。