人間の境界

どう考えても理不尽なことなのに、それをスクリーンで見ているだけの居心地の悪さ…

ソハの地下水道」「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」のアグニエシュカ・ホランド監督です。前作の「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」では、ホロドモールというスターリン時代のソ連邦によるウクライナの人為的な飢餓を知りました。そして、この「人間の境界(Green Border)」ではベラルーシが難民を武器として使っていることの、その実態(に近いと想像される…)を知りました。

人間の境界 / 監督:アグニエシュカ・ホランド

人間兵器…

ベラルーシが中東やアフリカからの難民を強制的にEU諸国に送り込んでいるという話は新聞かネットニュースで読んだことがあるのですが、その実態(と想像できる行為…)を見せられますとその衝撃はまったく違ったものになります。

身体も固まり、涙もこぼれます。そして、スクリーンを見ているだけの自分自身に居心地の悪さを感じます。

ベラルーシのこの行為は人間を兵器にしていると言われるもので、ベラルーシは難民を受け入れる、あるいはEUへ簡単に入ることができるとの虚偽の情報を流し、やってきた難民を密かにポーランドに送り込んでいるらしいのです。

EU諸国では移民が増えることで国内経済が圧迫され国民の不満が高まるという状態になっており、また、それによって国内の右派勢力の力が増すという悪循環に陥っています。ベラルーシ、あるいはロシアもそれを狙っているということです。

これに近い行為はアメリカでも行われています。共和党が知事を務めるテキサス、アリゾナ、フロリダなどの州が民主党基盤の北部へ中南米からの移民をバスで移送しているというニュースが流れていました。

という関係にあるベラルーシとポーランドの国境付近を舞台にした映画です。

ただ、この映画の視点はベラルーシを非難しようとしているわけではなく(それは当たり前のこととして…)、ポーランド政府が送り込まれてきた難民を密かにベラルーシに送り返しているという点にあり、その現実をシリアやアフガニスタンからの難民の視点、ポーランドの国境警備隊員の視点、そして難民を助けようとする活動家の視点から描いています。

正確な表現ではありませんが、基本的には難民を送り返すことは難民条約違反です。ポーランドも、日本も批准しています。

1.難民を彼らの生命や自由が脅威にさらされるおそれのある国へ強制的に追放したり、帰還させてはいけない(難民条約第33条、「ノン・ルフールマン原則」)
2.庇護申請国へ不法入国しまた不法にいることを理由として、難民を罰してはいけない(難民条約第31条)

UNHCR

難民たち…

原題は「Zielona Granica」、英題は「Green Border」で、森林地帯の国境線ということです。冒頭、その森林地帯の空撮から始まります。後に、その美しい森林地帯の地上には有刺鉄線による鉄条網が張り巡らされていることが示されます。

続いてトルコ航空でベラルーシに向かうシリア人家族とアフガニスタン女性レイラ(ベヒ・ジャナティ・アタイ)のシーンになります。難民と聞いてイメージされる過酷な状態の出国シーンではありません。ベラルーシによるEU入国の勧誘によるものという意味合いの描写なんだと思います。

これ以降の難民たちのシーンは過酷なんてものではありません。ベラルーシに入るや、わけもわからず国境付近に送られ、深夜、武装した国境警備隊によって鉄条網の抜け穴からポーランド側に追い出されます。そして、走れ! 走れ! と追い立てられます。

スマホのGPSでそこがポーランド国内であることを知った難民たちは、ヨーロッパだ! と喜びますが、それもつかの間、今度はポーランドの国境警備隊に追われることになり、捕まれば再びベラルーシに送り返されることを知ります。

ある難民はこの行為がもう数回繰り返されていると言っていました。シリア人家族とアフガニスタン女性もその度に持ってきた荷物を失い、スマホを壊され、食べ物や水さえ与えられることなく逃げ惑うしかありません。

そして、シリア人家族のうち高齢の祖父は死に(殺され…)、10歳くらいの息子はアフガニスタン女性とポーランド側に逃げたものの沼にはまり死にます。父親もケガをし、母親は悲嘆にくれるばかりです。アフガニスタン女性は難民支援の活動家に助けられますが、シリアの子どもを守れなかったことを悔やみ、病院のベッドで謝罪の言葉を繰り返すばかりです。

国境警備隊の隊員たち…

この映画、ベラルーシの悪行を描くことが主眼ではないようで、描かれるのはポーランドの国境警備隊の酷さです。隊長は難民が邪悪なものであるかのように隊員たちを煽り、自分たちの行為を正当化します。そして、実際に隊員たちは難民をまるで物のように扱います。動けなくなった難民を皆で鉄条網の向こうベラルーシに放り投げます。

ひとりの隊員ヤン(トマシュ・ヴウォソク)に焦点があてられています。妻は妊婦です。難民にも妊婦がいますのでその対比的な意味合いもあるのかもしれません。アグニエシュカ・ホランド監督の映画には過剰なところがありませんので、逆にそうしたちょっとした描写が映画全体を構成するひとつのピースのようでもあり、結果、全体としてなにがしかが伝わってくる感じがします。

ヤンも他の隊員たちと同様に躊躇することなく難民たちを暴行しベラルーシに送り返します。しかし、次第にその行為に罪悪感を感じ始めるといった描写になっています。難民支援の活動家たちが撮った動画がネットに流れます。妻が警備隊の制服の番号を見て、これあなたね、私がアイロンをかけた(だったような…)制服よと言います。ヤンは何も答えられません。

このヤンの迷いは、映画のラストシーンで、シリア人の家族を乗せたトラックを検問した際に隠れていることに気付くものの見逃す行為につながっていきます。

現実がどうこうではなく、これは映画ですので何らかの救いがなければあまりにもやりきれないということでしょう。

難民支援の活動家たち…

難民支援の活動家たち数人が登場します。ポーランド国内に入った難民が位置情報を知らせてきた場合に支援に向かうという描き方でしたので何らかのネットワークがあるのだと思います。

しかし、活動家たちにできることは難民を生命の危険な状態から守ることだけです。寒さに震え水や食料もない難民に衣服を与え、スープを飲ませ、寝袋を与えます。難民を匿ったり、保護施設に連れて行ったりすれば自分たちが逮捕される危険があると言っています。国境地帯に立ち入り禁止区域が設けられているようで、警備隊が難民をそこへ連れ込んでしまえばもうどうしようもなくなります。

正確には聞き取れませんでしたが、活動家が難民に、難民申請用紙に記入して運良く受け入れられれば監獄のようなひどい扱いを受けられる、運が悪ければベラルーシに送り返される(正確ではない…)と自嘲的な意味合いを込めて伝えていました。

映画中頃になり精神科医のユリヤ(マヤ・オスタシェフスカ)が登場します。テレワークで患者の診療をするシーンが入ります。一瞬どういうこと?とも思いますが、その患者が政府に対する異議申し立てを興奮状態で話し始めますとユリヤがなにか飲んだ? と尋ねたりしますのでさほどの違和感はなく進みます。この患者が最後に難民を匿うことになります。

こういうところもとてもうまくつくられた映画で、モノクロであることがとても効いていますし、難民と警備隊のシーンではカメラが激しく動きまわり、何が起きているのかはっきり見えないことがまた恐ろしさを増幅させます。視点が3つに変わることは章立てにしていることもありまったく違和感がありません。

そしてユリヤです。ユリヤは国境近くに住んでいます。ある晩、助けて!の声を聞きます。森に駆けつけますと、アフガニスタン女性とシリアの少年が沼にはまった状態で助けを呼んでいます。すでに書きましたように、結局、アフガニスタン女性を救うだけしかできなかったのですが、これを機にユリヤは積極的に難民支援に加わり、その後、グループのうち、今のやり方に不満をもっている女性と組み、難民を匿うことまでやるようになります。

これは映画ですので、映画的な結末も必要と考えているんだろうと思います。ユリヤがアフリカ系の難民を助け、例の患者の家に匿うまでが、やはり過剰ではない感じでうまくおさめられています。

患者の家はかなり裕福らしく、また匿ったアフリカ系の男の子たちと同年代の子どもたちもいて、皆でラップで盛り上がっていました。現実にはなかなかあり得ないことかとは思いますが、映画的には多少なりとも救いのあるシーンですので見ているこちらも救われます。

そしてラストシーン、ウクライナからの難民がポーランドに入ってきます。ポーランド側の対応も中東系、あるいはアフリカ系の難民とはまったく違っています。手厚いサポートで、数台のバスで待ち受け、行き先を聞き、あなたはあっち、あなたはこちらとまるで旅行代理店がごとき対応です。

この対応の落差を非難しているわけではないと思いますが、これが現実なんだと突きつけているようでもあります。