愛がない…
監督は、ヨアキム・トリアー監督の全作品で脚本を書いているエスキル・フォクトさんです。日本で公開されているトリアー監督の映画は、新しい方から「私は最悪。」「テルマ」「母の残像」の3作ですが、IMDb を見ますと2000年のショートからドキュメンタリーを除いてすべての映画にエスキル・フォクトさんの名前が入っています。
子どもたちのサイキックもの
子どもたちのサイキックものです。ヨアキム・トリアー監督の「テルマ」がサイキックものでした。エスキル・フォクト監督がやりたいのは「私は最悪。」や「母の残像」ではなく、そっち系ということなのかも知れません。
ちなみに「テルマ」はよくなかったです(ペコリ)。「母の残像」がよかったので見たのですが、何じゃ、こりゃって感じを受けました(笑)。ヨアキム・トリアー監督にはサイキックものは向かないだろうということで自分で撮っちゃいましたかね(完全に想像です…)。
サイキックもの、いわゆる超能力映画を過去になにか見たことあるのだろうかとあれこれググってみましたが、せいぜい「テルマ」ぐらいしか見ていないようです。
ということですので、この「イノセンツ」にもあまりいい印象はなく、映画とは言え、大人を喜ばすために子どもにこんなことさせなくてもいいのになあと思ったわけです。
子どもたちの超能力バトル
イーダ(10歳くらい?)と姉アナ、そして両親が、かなり大規模な集合住宅に引っ越してきます。その割に人が少なく感じたのは、休暇中だったからのようです。後半に多くの人が戻ってくるシーンがあります。わざわざ休暇中を謳っているのは、この後イーダはベンとアイシャという同年代の子どもと出会うわけですが、その二人ともに家庭環境に問題を抱えている設定(休暇に出かけられない…)にして出会いを自然に見せるためなんだろうと思います。
姉のアナは自閉症で言葉が話せず、コミュニケーションもかなり困難な状態です。両親はその多くの時間や注意をアナに向けていなくてはいけませんので、イーダには欲求不満があるようです。映画的に大きな意味があることではありませんが、イーダはアナの腕をつねったり(痛みを感じない、あるいは感じにくい…)、靴の中に割れたガラスを入れたりします。それがバレて大事になったりはするわけではありませんが、子どもの無邪気さなのか悪意なのかわからない領域として描いているのだと思います。ベランダからつばを吐いたり、ミミズ(だったか…)をつぶしたりするシーンもあります。
退屈そうに外へ出たイーダはベンという同年代の男の子と出会います。ベンはイーダに超能力を見せます。手に持った石を落とし、途中で向きを変えることが出来ます。
親しくなるにつれエスカレートしていくのか、善悪のボーダーラインが曖昧になっていきます。猫を高いところから落とし、動けなくなった猫をベンが踏み潰すなんてことをします。さすがにこれにはイーダは引いていました。
映画は「イノセンツ(原題 De uskyldige もその意味のよう…)」などと言っていますが、こういうことは子どもだけじゃなく大人でも同じです。人間は、ひとりの時はおとなしくてもふたりさんにんとなっていけばいいところを見せたくもなり強気になったりします。
アイシャという少女がいます。アイシャにはテレパシー能力があり、アナとつながります。アイシャはアナの痛みを感じるようになり、また言葉にできないアナの気持ちがアイシャの口からつぶやかれたりします。
という4人の子どもたちの超能力バトルみたいな話です。
単純な善と悪のバトル
バトルですので4人が善悪に分かれます。悪のベン対善のアイシャ、アナ、イーダです。
ベンの悪の根源に家庭環境の影響を持ってきています。ネグレクトです。この映画は、大人たちの存在を子どもたちが見ている範囲でしか描いていないところがあり、ベンの母親にしてもあまりはっきりは描かれていません。母子家庭のように見えますし、虐待シーンもあったように記憶しています。また、年長の子どもたちからもいじめられる対象になっています。
そうした鬱屈した思いや怒りが憎悪となりベンの超能力を強くし、あれこれ思うがままに物を動かせるまでになっていきます。そして、母親を殺してしまいます(死んではいなかったかも…)。なんだったか、台所の物を飛ばして母親をノックアウトし、その上に煮え立った鍋をひっくり返していました。いじめられていた少年にも復讐します。念力で大人を動かし殺させていました(違ったか…)。
アイシャの家庭環境もよくないようです。こちらもはっきりしたことはわかりませんが、同じく母子家庭(なぜ、母子家庭には問題があるように描くのでしょうね…)で、母親が電話をしているシーンでは男性に依存しているような印象を与えていました。
最初のバトルはベンとアイシャです。シーンとしてはいろいろあるのですが、結局、それらの行為の裏に複雑な心理があるわけではなく、復讐であったり、助けなくっちゃと思う気持ちですので、基本は善と悪の対決ということです。で、結局、ベンはアイシャの母親を動かし、アイシャを刺し殺させてしまいます。
次はベンとイーダです。イーダには超能力がありませんので直接行動に及ぶしかありません。一緒に遊ぼうと誘い出し歩道橋から突き落とします。その際大人の女性に目撃されていましたが有耶無耶になっていました。
まあこのあたりまで来ますと、人も何人か死んでいるのにどうなってるの? という気持ちも湧いてきますが、そういう映画ではないということで次に進みます(笑)。
ベンは生きていました。超能力で自分を浮かせて着地したのでしょう(下に倒れてはいたけど…)。怪我もしなかったようです。そして、イーダを襲いにきます。といっても超能力を使ってです。この対決は回避されていました。
最後のバトル、ベン対アナです。池を挟んでアナとベンの超能力バトルです。シーンとしては、池が波立つとか、周りの子どもたちが泣き出すとかがあり、最初はベンが優勢になり、そこにイーダが駆けつけてアナと手を繋いでパワーアップしてアナが勝ちます。ベンはタイヤのブランコに崩れ落ちて死にます(多分…)。
バトルだけじゃつまらない
この手の映画に興味がないということもありますが、なんだかバトルばかりで、子どもだけの映画とはいえ人物に存在感がないですね。
早い話、愛がないということです(笑)。
あるひと夏の1、2週間を描いているだけです。超能力はいきなり生まれて、その間だけで終わるわけじゃないでしょう。その前後に思いがいきません。イーダは毎日外へ遊びに行くだけですし、アナはアイシャとの交流によって言葉を発するようになりますが、それだってアイシャがテレパシーで話させているだけです。アイシャの死に対してイーダやアナの反応も描かれませんし、あるひと夏こんなことがありました、チャンチャンじゃ、作っていてもつまらなくないですかね(余計なことです…(笑))。
さらに余計なことをいえば、ベンやアイシャを母子家庭(のよう…)にしているのも安易ですし、ベンには母親を殺すほどの憎悪を持たせ、また、操られている設定とはいえアイシャの母親には子どもを殺させるということまでやっています。
こんなこと言っていたら映画ができないということかもしれませんが、それにしても愛がない…(笑)。