インスペクション ここで生きる

親子愛をもってしても越えられないホモフォビア…

アメリカの海兵隊新兵訓練所での過酷な訓練シーンが多くを占めますが、映画の主題はゲイの男性の母子関係とホモフォビアです。監督であるエレガンス・ブラットンさんの実体験に基づいているそうです。

インスペクション ここで生きる / 監督:エレガンス・ブラットン

ホモフォビア、同性愛嫌悪

日本の公式サイトのエレガンス・ブラットン監督の紹介から拾いますと、

1979年生まれ。16歳でホームレス生活となり、そのまま10年過ごした後、米海兵隊に入隊。海兵隊在籍中に映像記録係として映画の制作を開始し…

インスペクション ここで生きる

とあり、この通りの映画です。

冒頭のシーンがよくわかりませんでしたが、あれはフレンチ(ジェレミー・ポープ)が拘置所のようなところへ友人たちを迎えに行ったんでしょうか。金網で隔離されたところからでてきた友人たちと抱擁していました。

そして、すぐにシーンが変わり、ホームレスのための(だと思う…)宿泊所で高齢の男性にもう戻ってくるなと言われて出ていくシーンになります。

で、次のシーンが重要です。フレンチは海兵隊に入るために母親のもとに出生証明書をもらいに行きます。母親はドアチェーンをしたまま入れようとしません。

え? どういうこと?! 二人の間に何があるの? と思います。しばらくして、やっと部屋に入れてくれますが、そこでわかります。福音派(系の保守的な宗派…)の牧師の説教が始終流れているのです。さらに、母親はフレンチがソファに座ろうとするとそこに新聞紙を敷くのです。これの意味はわかりませんが、触れたくもない汚れたものということでしょう。

かなり強烈で、宗教上の教義をこえて完全にホモフォビアです。母親はフレンチが16歳のときにゲイだとわかったことから家を追い出したということです。

母親は息子がゲイであるならこんなものに意味はないと言い、出生証明書をフレンチに渡します。

ブートキャンプ(新兵訓練所)

フレンチは海兵隊に入るために新兵訓練所(ブートキャンプ)に入所します。

ここから映画は8割方訓練シーンになり、その中でフレンチがゲイであることがわかり、いじめにあうシーンも入ります。確かにフレンチは孤立した状態にはなりますが、過度なシーンで差別を描く意図はないようで、むしろ教官の非情で無慈悲な命令が強調されています。当然それは主にフレンチに向かうわけですが、それがゲイであることを対象にしたものなのか、あるいは単純に主人公だからなのかはよくわかりません。

訓練シーンは、何の映画で記憶しているものかはわかりませんが、思い浮かぶ範囲内のものです。いわゆる「聞くな、喋るな(don’t ask, don’t tell)」という、とにかく教官の命令に従えというシーンが続きます。内容的にはあまり独自性もありませんし、エピソードつなぎで構成していますので特に心の動くようなシーンはありません。編集や構成に不器用さも感じられます。長編デビュー作ということもあるのでしょう。

フレンチが皆にゲイであるとわかるのは、シャワーを浴びていて妄想で勃起してしまうというシーンなんですが、どうなんでしょう、そういうものなでしょうか。それに、教官のひとりに好意を持ち、その教官がシャワーを浴びているときに何らかの行為に及ぼうとするシーンもあり、これもどうなんだろうと思いながら見ていました。常識的にはあれは犯罪行為です。相手を女性に置き換えてみれば明白です。

そんなシーンではなく、もっとフレンチの苦悩を描くとか、ホームレス時代のフラッシュバックを入れるとかしていればさらにいい映画になったのではないかと思います。

とにかく、訓練は終了し、晴れてフレンチは海兵隊員として採用されます。海兵隊で映像制作をやりたい(配属されただったか…)と言っていました。

鬼の教官の言葉、「海兵隊(軍隊だったかも…)からゲイを排除したら、軍隊は成り立たない」と言っていました。

親子愛よりも強いもの…

フレンチは母親に何度も手紙を出しています。しかし返信はありません。規則を破って例の教官に携帯を借りて電話をします。母親は冷たくもう追い出されたのかいと言っています。フレンチは卒業式に来て欲しいと言います。

卒業式です。家族席を探すフレンチ、やがて母親がやってきます。フレンチに笑顔が浮かびます。

式が終わり、家族との食事会、フレンチは母親と向かい合っています。母親は息子の姿に誇らしげです。そして、これからどうするのかと尋ね、うち来ればいいと言います。フレンチは海兵隊に入ったからといってストレートになったわけじゃないと答えます。母親の表情が一瞬にして変わり、タバコを吸おうとします。ここは禁煙だというフレンチにもやめようとはしません。立ち上がるふたり。

鬼の教官が間に入り、フレンチは仲間だ(もっとあったけれど忘れた…)と擁護します。海兵隊の仲間も同じように声を上げます。あの皆の掛け声のような言葉はなんて言っていたんでしょう。

追い出されるように去っていく母親、フレンチが後を追い、再びふたりは向き合います。

母親は、愛してはいるが、受け入れられないと言い去っていきます。

親子愛はホモフォビアを越えられない、という映画でした。