ニューヨーク 親切なロシア料理店

人は結局利己的にしか動かない…

人生はシネマティック!」「17歳の肖像」「幸せになるためのイタリア語講座」のロネ・シェルフィグ監督、2019年の映画です。その年のベルリン映画祭のオープニングで上映されています。映画の傾向としては「幸せになるためのイタリア語講座」に近いものがあります。

ニューヨーク 親切なロシア料理店

ニューヨーク 親切なロシア料理店 / 監督:ロネ・シェルフィグ

人は優しいもの、ということなんだが…

邦題は「ニューヨーク 親切なロシア料理店」になっていますが、あまり「ロシア」も「料理店」も重要ポイントではありません。原題は「The Kindness of Strangers」ですので、映画の内容としては「人は優しいもの」というニュアンスの映画です。

ぱっと見の印象は上の画像の6人の群像劇っぽく感じられますが、実質的には左上のクララ(ゾーイ・カザン)の映画です。

クララには5歳くらいと10歳くらいの二人の息子がおり、その息子たちが夫のDVにあっているためにニューヨークへ逃げてくるという話です。クララはしばらく行き場を探してニューヨークの街を放浪しますが、最後は老舗のロシア料理店で救われます。

その料理店の雇われマネージャーがマーク(タハール・ラヒム)であり、クララたちを店に匿います。その店の常連で近くの教会(かな?)で慈善事業をしている看護師のアリス(アンドレア・ライズボロー)は一時クララたちを泊めたりします。マークの友人の弁護士ジョン(ジェイ・バルチェル)はクララの夫との裁判でクララの弁護をし有利な判決を勝ち取ります。

ロシア料理店のオーナー、ティモフェイ(ビル・ナイ)とジェフ(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)は直接にはクララに絡んではきません。

というあらましの映画であり、最初に「人は優しいもの」と書きましたが、実はそれほど人の優しさが強調されているわけではありません。

まず、マークがクララを助けるのは恋愛感情からですし、ジョンはマークから頼まれてクララの弁護を引き受けただけですし、アリスにしても慈善事業的価値観でクララに対している以上には描かれていません。

群像劇というのは、主要な物語があるにしても登場人物が皆同レベル上にいないと成立しません。その点ではこの映画はクララの物語であり、クララとマークの恋愛物語です。

この映画はそうした点が非常に曖昧です。群像劇風な手法を取りながら物語はクララの話だけです。クララの人生は描かれていますが、マークにしてもアリスにしてもそのバックボーンについて何も触れられていません。

特にアリスは相当人生がつらそうですが、そのつらさが何からきているのかよくわかりません。急患の看護師をやりながらボランティア活動として赦しの会を催したりホームレス支援事業もやっています。看護師長からは、あなたは結婚していないから12時間勤務できるでしょと言われムッとするシーンがあったりしますが、映画はそれ以上深入りはしません。なぜそんなに自分を酷使するのかを描かなければクララと同レベルの人物にはなりません。

マークにいたっては、台詞として弟が麻薬の密売で逮捕され、そのとばっちり(なのかな?)で服役していたというようなことが語られるだけで、一貫してできる人物に描かれています。レストランも流行っていますし、問題を抱えているわけではなさそうです。

つまり、登場人物それぞれがなにか問題を抱えているように見えますが、その問題が描かれるのはクララだけだということです。

ネタバレあらすじとちょいツッコミ

冒頭のシーンは、クララが息子二人を連れて家を出るところです。

これは結構意表をついた始まり方です。深夜なのか早朝なのか、女性が静かにベッドから起き上がります。隣には誰かが寝ています。女性は子供二人を起こし車に乗せ走り去ります。

その女性がクララですが一体何が起きているのかわかりません。疑問は次のシーンで解けます。クララは年配の男を訪ねます。夫の父親です。夫が子どもに暴力をふるうので出てきた、泊めて欲しいと言い、断られますとお金を貸して欲しいと言いますがこれも断られます。

なぜ逃げてきたのに夫の父親のところへ行くのだろうと疑問だったんですが、これはオチへの前振りでした。

夫のDVから逃げているクララがあの父親を頼ることは常識的には考えられません。頼る人がいないということも考えられますが、この後映画を見ていきますとクララは極めてタフです。あの父親を頼る映画的説得力がありません。

これは映画的にはまったくよろしくありません。伏線にもなっておらず、ドラマを作るために(露骨に)組まれたプロットです。

実際、後にクララの居場所がばれるのは父親が夫にばらしたからですし、なぜクララが父親を頼ったかも、夫が父親を訪ねた時、クララはなぜかあんた(父親)を信頼していると台詞で説明しています。

さらに、クララは、夫が警官なので仮にDVを訴え出ても理解されないと考えているわけで、その難点をクリアするために夫にキレさせて父親に暴行させ逮捕させています。また、その発見者は父親のセックスだけの関係(娼婦なのかな?)の女性で、クララが訪ねた時にその場にいさせているという組み立て方になっています。

こうしたつくられたドラマ仕立ての映画が多い監督であり、それがいいところでもありますが、この映画は現実的な社会問題も含んでいますのでもう少し丁寧に組み立てるべきだと思います。 

まあとにかく(笑)、クララたちが着いた先はニューヨーク、マンハッタン、クララは子どもたちに街が学校よと言っています。頼る人もなく行き場所のないクララは客を装いホテルから料理を盗んだり、靴や衣服を万引したり、頼み込んでシャワーを借りたり、図書館で時間を潰したりします。そうした中でマークやアリスやジェフと出会うということです。

ジェフの登場はわりと早く、不器用で要領が悪いためにクビになるシーンが挿入されています。ジェフがそれにキレて椅子を窓から放り投げます。この椅子は後にクララの子どもたちが路上で見つけゴロゴロと乗って遊ぶシーンで使われ、ラスト近くのどこかでも使われていましたが忘れました(笑)。こういうことをやる監督ということです。

マークの登場シーンは、プーチンがどうこうと喋る2、3人の男たちと話すシーンがあり、どうやらそれが「マンハッタンで創業100年を超える老舗ロシア料理店〈ウィンター・パレス〉。かつては栄華を誇ったお店も、今や古びて料理もひどい有様。店を立て直すために雇われた(公式サイト)」シーンだったようですが、それが雇われたシーンだとはわかりませんでした。台詞を聞き(読み)逃しているのかもしれません。

ティモフェイがロシア料理店のオーナーだということも最後までわからず(オイ、オイ)、公式サイトを読んで知りました(笑)。一度も寝落ちなどしていないんですけどね。

同じような意味で、アリスが主催している赦しの会というグループワークにマークとジョンが参加しているシーンが突然入るんですが、これもよくわかりませんでした。後半になって理解したんですが、どうやらジョンがアリスに気があることからジョンが参加し、マークはそれに付き合っていただけということのようです。ジョンはマークの弁護士だった付き合いです。

ジェフとアリスのシーンも割と多く、ジェフがアパートも追い出されて街をさまよううちにホームレス支援事業の場に行き着き、そこでアリスに出会い、後にアリスが赦しの会を開いている場所(教会じゃなく、なんだろう?)で寝泊まりすることになります。

ということで前半はほとんどクララと子どもたちの行き場のない放浪(ちょっと違う)が描かれ、その中で上に書いた他の人物たちそれぞれの出会いがあります。

クララはとにかくタフで弱音を吐かず、ホテルやレストランに侵入して食べるわ盗むわですので、行き場がなく放浪と言っても惨めさや悲惨さはありません。その点では楽に見られる分、DVの現実的側面が映画から浮かび上がってくることはありません。

クララと子どもたちが中華レストランに忍び込んでテーブルに座り残り物を食べていますと突然目の前に夫が現れます。兄がトイレへ行くと言って逃げ、弟が恐怖のせいか吐きます。クララは弟を連れトイレへ行き、そのまま逃げます。

車で逃げようと車に戻りますが駐車禁止でレッカーされています。(ただレッカーされたのがここだったか自信はありません)クララはますます居場所を失います。そしてマークのロシア料理店のピアノの下に隠れます。それに気づいたマークは何も言わずトレイに食べ物を載せテーブルの傍に置いておきます。 

そうしたことがしばらくあり、マークはクララに自分の家(料理店の部屋)に泊れと申し出ます。子どもたちは警戒しているようですがクララは受け入れ、料理店の一室で寝起きすることになります。

そしてある日の夜、外は雪です。下の子供がクララの気づかぬまま外に出て凍死寸前に陥ります。アリスの病院に緊急搬送されます。

このあたりのどこかでクララとマークが会話するシーンがあり、夫のことを話すクララ、そして雰囲気が高まり二人が濃厚なキスをします。しかしお互いに高ぶる気持ちを抑制しとどまります。

病院に夫がやってきます。アリスが下の子供を連れ出しクララのもとに戻します。(このあたり前後を正しく記憶していないが)夫が逮捕されます。クララがマークに弁護士を知らないかと尋ね、マークはジョンを紹介します。

ここからは映画自体がダイジェストです。クララはシェルターに入り、マークにも居場所は知らされません。裁判のシーンがダイジェスト的に何カットかあります。アリスの赦しの会のシーンもあり、(経緯は記憶ありませんが)アリスとジョンがデートをすることになります。

裁判が刑事なのか民事なのかわかりませんが、ジョンがクララに夫にはかなり長い刑期が言い渡されたと伝えます。

晴れて自由になったクララたち母子は家(どこなんだろう?)に戻ります。しばらくして子どもたちがニューヨークに戻りたいと言い出します。

ロシア料理店、(マークがうまく店を立て直したという意味だと思うが)最初に話をしていた2、3人の男たちとのミーティングを終え、ふと振り返りますとそこにはクララが立っています。ぎこちないながらも二人は寄り添い笑顔を見せています。

アリスとジョンは付き合うようになっており、ジェフはロシア料理店のドアマンとして雇われ、ティモフェイは相変わらずの飄々とした素振りでロシア料理店の一従業員のように働いています。

と、映画はハッピーエンドで終わり、確かにうまくまとまってはいます。

人は利己的にしか動かない…

こんなにうまくまとめてしまっていいのかとは思いますが、それがロネ・シェルフィグ監督のいいところであり、「幸せになるためのイタリア語講座」や「人生はシネマティック!」のように軽いタッチのものであればはうまくハマるのでしょう。

ただ、この映画のように現実の社会問題が入ってきますととたんにその軽さが悪い方に出てしまうということだと思います。

ところで、最初にこの映画は「人は優しいもの」を描いていると書き、途中ではそうでもないと書いていることについて、さらに言えば、本当に人は見知らぬ他人に優しいか、The Kindness of Strangers ということについてですが、確かにこの映画、クララのまわりの人々はクララにとても優しく対しています。しかし、よーく見てみますと、クララの根底の問題点、夫のDVには誰ひとりとして直接的に関わって解決への道筋をつける人はいません。夫の逮捕は父親への暴行容疑です。それを機にクララがDVを訴えているだけです。ジョンがクララの弁護士となる裁判も刑事なのか民事なのかよくわかりません。

映画の軸となっているクララとマークの関係にしても恋愛以上のものはありません。マークがクララを気に留めるのはたまたまロシア料理店に忍び込んできたクララを見て、いわゆる一目惚れ的に気にかけるだけで、後の二人の会話のシーンでクララが夫のDVについて話してもその後のシーンは二人のキスシーンです。

アリスにしても、クララとの関係は慈善事業以上のものではありません。そもそもなぜアリスがあれほど慈善事業にのめり込んでいるのかもわかりませんし、ただでさえ労働時間の長い看護師をやりながらさらにボランティア活動をやろうとしている理由が映画で示されていません。

この映画の中で唯一他人に無償の優しさを示すのはアリスですが、そのアリスの行為の動機がまったく示されず、なおかつアリス自身が疲弊して看護師を無断欠勤してもそこから立ち直る契機は誰からのものではなく自分自身で再び立ち上がっています。

この映画はロシア料理店という場で人々が出会い、その関係によって癒やされ救われる物語のようにみえますが、よくよく考えればそんなことはまったくなく、結局人は自分の力でしか自分を救えないということを示しているようにしかみえないのです。

そんなことを意図した映画ではないのでしょうが、結局、この映画の中の人物は誰のためでもなく自分のためにしか行動していないということで、おそらくそれは一定程度の真実であり、物語の中に現実的社会問題を入れたがために図らずもその真実が出てしまったということなんだろうと思います。

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