記憶の技法

映画の技法を学ぶべき、記憶の技法は明らかにならず

「記憶の技法」という一風変わった言葉のつなぎに目がとまり、宣伝コピーの「孤高のカリスマ漫画家、吉野朔実作品の初映画化」で興味をそそられ、監督:池田千尋で見てみるかとなった映画です。

記憶の技法

記憶の技法 / 監督:池田千尋

漫画は読みません(読めません)ので原作がどうであるかはまったくわかりませんが、映画には「記憶の技法」という言葉のニュアンスはまったくありません。もちろん意味がわからない言葉使いだからこそ興味を持ったわけですのでそこにどんなニュアンスが込められているのかわかるはずもないのですが、そのわからなささえ納得させてくれない映画でした。

テレビドラマ的サスペンス

PTSDによる記憶障害となっている女子高校生がその記憶をよみがえらせるという物語です。

5歳の子が記憶を失うわけですからそれはもう壮絶な事件が起きたわけですが、映画からはその壮絶さは伝わってきませんし、それを明らかにしていくまさしく「映画の技法」がベタすぎます。あらゆることに既視感がつきまといます。

テレビドラマならいざ知らず映画なんですからもう少しひねるべきです。その意味では脚本に問題ありでしょう。脚本は高橋泉さん、見ている映画は「朝が来る」「ひとよ」「ごっこ」くらいです。

ネタバレあらすじとちょいツッコミ

華蓮(石井杏奈)は一人っ子で両親にも愛され友人も多い高校2年生です。ただ、ふいに自分の記憶とは思えない記憶の断片がよぎり時に失神してしまうことがあります。

ある時、韓国への修学旅行のためにパスポートを取得することになり母親から受け取った戸籍抄本を目にすることになります。そこには民法817条2という見慣れぬ記載があり、自分が特別養子縁組で今の両親の娘になったことを知ります。あらためて戸籍謄本をとりますと、そこには由という姉の名とその姉はすでに亡くなっていることが記されており、不思議なことに自分よりも生まれたのが遅いのです。また、実親は福岡の松本姓であることもわかります。

たまたま同級生怜(栗原吾郎)と出会い、戸籍を見られます。華蓮が誰にも言わないでねと頼みますと、怜は君のことを誰かに話す理由がない(みたいな感じ)と冷たく突き放します。

ほぼ「君の膵臓をたべたい(キミスイというらしい)」の展開ですね。

可憐は両親に黙って修学旅行をキャンセルし福岡行きを決断し、怜に手はずを頼みます。怜は青い目を持っていることから子供の頃にいじめられており、今は学校でもひとり浮いた存在であり、夜はバーでアルバイトをするなど大人びたところがあります。

福岡行きの高速バス、怜が隣の席にやってきます。修学旅行よりこっちのほうが面白そうだと言っています。

「キミスイ」じゃ女の子が余命僅かということもあり積極的でしたが行き先は同じく博多でした。もちろん原作はこちらのほうが早いですので関連はなく、こういう展開が多くの人に好まれるということでしょう。

福岡市の区役所、実親の戸籍を申請しています。職員に怪しまれますが、怜が僕たち結婚するので全て知りたいんですと嘘を言い、年齢を聞かれますと兄の免許証を出します。

後に華蓮に兄の免許証を持っている理由を聞かれよく似ていることと旅行の手配を兄の名でやったからと言っていました。未成年でもバスやホテルの手配くらいできるだろうと思いますし、親のお金でタワーマンションにひとり暮らしとか言っていましたが兄がいたんですね。

こういう説明的なつじつま合わせのシーンが多く感じます。

実親の戸籍には両親とふたりの子どもが全員死亡となっています。怜が交通事故じゃないかと言います。

こういうところで華蓮の心情を描くシーン(カット)がまったくないんですよね。映画的じゃないということです。隠された過去を解き明かしていくだけでドラマを作ろうとしています。それが映画のつくりがベタだという意味です。

もうひとつツッコミを入れておきますと、交通事故であれ事件であれ、スマートフォン持ってんだからググりなよと思いますが、おそらく2002年の原作のままを現代に移しているからでしょう。

ということで以下、徐々に過去が明らかになっていく中に華蓮の記憶の映像が挿入されて結末へと進みます。端折ります。

華蓮たちは松本家だった場所を訪ね、すでに更地になっていることを知り、近所で事情を尋ねるもみな口を閉ざして語らず、それでもある人が、あそこには大家と借家の松本家の2軒があったんだが両家でいざこざがあり大家が松本さん一家を殺害したと話してくれます。そして大家には息子がいて東京へもらわれていったと教えてくれます。

金魚屋があります。金魚の画は映画の冒頭から華蓮の記憶の映像として示されています。金魚屋は20代の男がやっています。男に事件のことを尋ねますが男は2年前(だったかな?)にこっちへ来たので知らないと言います。

金魚屋の男は殺人犯である大家の息子です。事件の日、その息子は父親が松本家が立ち退いてくれないと興奮状態で包丁を持って出ていくところを見ています。2階から松本家を見ていますと5歳の華蓮が家に帰ってきます。息子は慌てて華蓮を金魚屋へ連れ出します。

その息子は父親をとめなかった良心の呵責と華蓮を助けたという自分への赦しの言い訳に苦しんでいます。

記憶を取り戻した華蓮と怜が帰る日、その息子がアルバムを持ってやってきます。華蓮の誕生から5歳までの写真アルバムです。家が壊される前に持ち出したものだと言い、自分は華蓮を助けたことで赦されるのだろうかと尋ねます。華蓮は手を差し伸べふたりは握手をして別れます。

ちょっとばかりオイ、オイと言いたくなるようなつじつま合わせです。そして、なぜ華蓮は今の両親に引き取られたかも都合よく理由が明かされます。

現在の両親は由という娘を交通事故で亡くしています。事件の起きたあの日、金魚屋から帰った華蓮は家族を惨殺した大家と鉢合わせます。逃げる華蓮、追う大家の男、逃げてくる四つ辻は由が事故にあった現場です。由の母親(華蓮の現在の母)が花束を供え手を合わせています。ふと振り返ると華蓮が逃げてきます。華蓮を抱きかかえる母、追ってきた男は四つ辻で車にはねられ死にます。

という物語でした。

最後にもうひとつ、福岡のシーンでは満開の桜のシーンがあり、ふたりが東京へ戻った時には葉桜になっていました。3月末から4月始めでしょう。そんな時期に修学旅行ってあります?

謎解きに一生懸命な映画で、ロケ地やら時間経過やらに気がいっていない映画ということでしょう。

謎解きだけでは映画にならず

この物語で、華蓮の心の動きを描かなくて何を描くものがあるのかと思います。

事件はたしかに壮絶ではありますが、これは映画なんですからその程度の惨劇は驚くほどのことではありません。そんな過去を明らかにしていくことなど既視感そのもので映画になりません。

原作の視点がどこにあるのかわからないままに言いますが、そんな謎解きドラマは「記憶の技法」のタイトルに値しないです。「映画の技法」を学ぶべきです。

(勝手な)期待はずれなだけにむちゃくちゃ厳しいことを書いてしまいました(ペコリ)。

記憶の技法 (flowers コミックス)

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  • 作者:吉野朔実
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東南角部屋二階の女

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