コロンビア映画、父親の思い出とファミリーストーリー
コロンビアのエクトル・アバド・ゴメスさんという「医師、大学教授、ジャーナリスト、人権活動家。コロンビア国立公衆衛生学校の創設者(ウィキペディア)」を描いた映画です。というよりも、そのファミリーの映画といったほうが正確かもしれません。妻と5人の娘たち、そして父親と同じ名前を持った一人息子エクトル・アバド・ファシオリンセの幸せな日々が続き、そして…。
父の思い出、そしてファミリー・ストーリー
一人息子のエクトル・アバド・ファシオリンセさんは作家であり、その作品『El olvido que seremos』が原作とのことです。
映画の原題にもなっているタイトルはどういう意味かと Google翻訳に入れてみても「私たちがなるという忘却」と意味不明なものにしか訳されません。英題は「Memories of My Father」となっています。「父親」の言葉は入っていませんし、「我々は忘れ去られるだろう」あるいは「忘れるだろう」みたいなニュアンスを感じますがどうなんでしょう。
ただ、映画は「Memories of My Father」で間違いはなく、息子のエクトル(以下、エクトル)に見えていた父親の姿とその家族が描かれています。
モノクロの1983年、カラーの1970年代
1983年、25歳のエクトルはイタリアのトリノの大学で学んでいます。父親が大学教授を退官するとの連絡が入り、故郷のコロンビア、メデジンに一時帰国します。大学での退官式(のようなもの)はすでに始まっており、エクトルがそっと席につきますと、気づいた父親がエクトルに笑顔を向け、紙を丸めた筒でエクトルを見つめます。
エクトルと父親の関係が一瞬でわかるシーンです。
ここまではモノクロで描かれ、その丸められた筒から父が見る画が今度は12歳(くらい)のエクトルが筒状のものから見る画に変わり1970年代にさかのぼります。この時代はカラー映像で描かれます。
この1970年代は数年間が描かれているようですが、エクトルが見た目成長していきませんので時間経過ははっきりしません。とにかく幸せな家族であることは感じられ、両親の愛が子どもたちに降り注ぐ感じです。
父親がどういう人物であったかはエクトルの見た目ですので、手洗いが大切だとよく言っていたことであるとか、「Future for Children(子供達の未来)」という公衆衛生のため(かな?)の活動を始めたこととか、貧困層が暮らす地域の水質検査に連れて行かれたり、ポリオワクチンをまずはエクトルで試してみる(あくまでのエクトルの見た目)とか、そうした父親の仕事のことが断片的に描かれていきます。
また、街で見かける片足を失った女性に義足(のようなもの)を与えたり、エクトルがユダヤ人の家のガラスを割るいたずら(じゃすまないけど)をしたときには謝罪に連れて行かれ、ナチスが最初にユダヤ人にしたことは店のガラスを割ることだった、その後彼ら(奴ら?)は強制収容所で大量虐殺をはたらいたのだと諭されたことなど、父親のいい人ぶりが描かれています。
大きな出来事としては、悲劇なんですが、姉のひとりが悪性の皮膚病(メラノーマだったか?)にかかり亡くなります。教会での葬儀の際、父親が教会を出ていきます。エクトルが後を追いますと立ちすくんだ父親が涙を流しています。その下には水たまりがあります。父親の涙か?!と思いますが違います(笑)、父親の顔が写っています。ラスト、父親の死後、エクトルが同じ行動をとるシーンがあります。
父親の政治的立場
映画が描いているのはエクトルの記憶の中の父親像であって第三者的にどういう人物であったかはわかりません。
ウィキペディアによれば、コロンビアのアンティオキア大学で医学を学び、アメリカのミネソタ大学で公衆衛生の修士号を取得し、その後1983年の退官までアンティオキア大学の教授を務めています。
映画の中に、父親が仕事のためにそれなりの期間(期間はよくわからない…)海外へ行くシーンがありますが、WHO関係の仕事でフィリピンやインドネシアへ行っているようです。帰国した際にバリという台詞があったのはこれですね。
政治の場でもかなり活動していたようでコロンビア自由党に所属していたとあります。中道左派の政党らしく、映画の中では右派からはコミュニストと言われ、左派からはファシスト(違ったかも)と言われると語っていました。
モノクロの1983年、そして1987年
映画は再び父親の退官のシーンに戻り画もモノクロに変わります。退官のスピーチがあり、すぐに1987年に飛びます。エクトルはイタリアからメデジンに戻っています。
中南米の国は、政治的に何かが起きない限りニュースにもならないこともあり、印象として政情不安の国が多く感じます。コロンビアもウィキペディアによれば「1960年代から政府軍、左翼ゲリラ、極右民兵の三つ巴の内戦が50年以上も続いている。1980年代から1990年代、コロンビアは麻薬戦争による暴力が横行し、世界で最も危険な国の1つとなった」とあります。
エクトルの子ども時代のパートには具体的なシーンはありませんが、父親の言葉や行動などにはそうした空気を感じさせるところはあります。家の壁にコミュニストと落書きされたりもしています。
そして、1987年になりますとやや社会の混乱状況が描かれ、具体的な意味合いはよくわかりませんでしたが、大学で父親の講義ができなくなったとか、それに対する抗議活動(なのかな?)などが描かれていきます。
父親がメデジンの市長選に立候補します。その記者会見の後、誰かの葬儀にでかけ、バイクでやってきた二人組に射殺されます。
父親の葬儀、エクトルはその場にいることが耐えられなくなり外に出ます。姉の葬儀の日、父親が立ちすくんでいたその場に立ったエクトルは父と同じように涙を流し、足元の水たまりを見つめます。自分の顔が写っています。
そして顔を上げますと、大勢の人々がハンカチを振りながらやってきます。そして、父親の棺が載せられた車の周りを囲み共に行進していきます。
ヴィスコンティ監督「ベニスに死す」
監督はスペインのフェルナンド・トルエバ監督です。見ているかどうか記憶はありませんが、1993年に「ベルエポック」でアカデミー賞外国語映画賞を受賞しています。
ところで、エクトルの子ども時代に、父親と一緒にヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」を見に行き本人は寝落ちしてしまうシーンがありますが、1987年のシーンでは、殺害される直前の父親が、その「ベニスに死す」のラストシーン、ダーク・ボガードが海辺のデッキチェアに座り静かに息を引き取っていく姿を見ながら、同じようにソファーに深々を座っているシーンがあります。
トルエバ監督の創作なんでしょうか、原作にもあるんでしょうか。映画で描かれる父親エクトル・アバド・ゴメスとはイメージがあわなく感じた映画でした。
これまで何本か見ているコロンビアを舞台にした映画、たとえば、ゲリラ組織の少年少女の集団を描いた「MONOS 猿と呼ばれし者たち」やマジックリアリズム的な「彷徨える河」「MEMORIA メモリア」、他にもレビューは書いていませんが「コレラの時代の愛」「愛その他の亡霊について」「そして、一粒のひかり」などとは違った優しさあふれる映画でした。ラストシーンを除いてです。