MEN 同じ顔の男たち

男性が根源的に持つ暴力性と甘え、冗談じゃねぇと拒否される

「エクス・マキナ」を見たと思っていたけれども見ていなかったアレックス・ガーランド監督の最新作です。主演のジェシー・バックリーさんはたくさん見ています。「彼女たちの革命前夜」「ワイルド・ローズ」これはよかったです。主演ではありませんが「ジュディ 虹の彼方に」や「クーリエ:最高機密の運び屋」でも印象に残った俳優さんです。

MEN 同じ顔の男たち / 監督:アレックス・ガーランド

消化しやすい映画には興味がない

映画.comでアレックス・ガーランド監督の過去作を見ていてたまたま目にした来日時のコメントに「答えを全部与えてくれるような消化しやすい映画には興味がない」というものがありましたが、この「MEN 同じ顔の男たち」はかなりわかりやすい映画です。

映画のつくりは、ホラー、スリラー、怪奇、悪夢、クリーチャーといったところですが、映画の軸となっているテーマ(的なもの)は、男性が根源的にもつ(とガーランド監督が考える)暴力性とその裏腹の女性への甘えです。その甘えから生まれる女性への一体化の希求みたいなものもあるかもしれません。

村の男たちの多くが同じ顔をしているのは「男性性」の象徴として存在しているという意味です。ただ、ハーパー(ジェリー・バックリー)が同じ顔であることを気にするシーンはありませんので、それ自体がホラー的ネタということではなく、ホラーだけじゃなくてちゃんとテーマがあるんだからわかってねというガーランド監督のメッセージでしょう(笑)。

男性が持つ根源的暴力性

ハーパーとジェームズが夫婦喧嘩をします。ハーパーが別れ話を持ち出しているようですが、その理由や経緯などは一切語られません。お互いにお前のせいだと言い合っています。

その後、ジェームズがハーパーを殴りますので、おそらく喧嘩の理由が何かはどうでもよく、ジェームスに殴らせるためだけのシーンだと思います。映画的には物足りなく感じるシーンですが、言い争いの理由を入れれば、どっちがいいの、悪いのということにもなりますので、男の持つ暴力性がシンプルに表現されてよかったのかもしれません。

ハーパーはジェームズを締め出します。しばらくしてハーパーが窓の外を見ながらあれこれ思い巡らしていますと、その目の前をジェームスが落ちていきます。

言い争いの中でジェームズが、別れるというのなら自殺してやる、一生苦しむがいいなどとハーパーを脅していましたので、どういうこと? そんな切羽詰まった話なの? と不思議でしたが、前ぶりということでした。ただ、その後、ハーパーの台詞として、ジェームズは閉め出されたために上階のバルコニーから下に乗り移ろうとして落ちたのかもしれないとも言っていました。

早い話、ハーパーに苦悶させるための仕掛けです。つまり、自殺であるか事故であるか曖昧にしておけばハーパーの心の揺れ幅を大きく出来るということです。

カントリーハウスの悪夢

ハーパーは休暇をとり(ネットで仕事はしていた…)、ロンドンから車で3、4時間の田舎のカントリーハウスを借ります。近くには村がありパブもありますが、家の周りは田園と森だけで住居はありません。

イングランドの美しい田園風景でした。ロケ地はグロスターシャー州ウィジントンだそうです。

Withington Church - geograph.org.uk - 658804
andy dolman / Withington Church

この教会も使われていました。

というロケーションでゾクッとするようないろいろなことが起きることになります。

まず、カントリーハウスの管理人ジェフリー(ロリー・キニア)が怪しげです。ハーパーが散歩に出ますと、全裸の男が追っかけてきます。教会へ行きますと金髪の女性の仮面をかぶった小柄な男(同じ顔)がかくれんぼをしようと言ってきます。断るとビッチと捨て台詞を吐いて去っていきます。司祭(同じ顔)が話しかけてきます。話を聞き、癒やしの言葉をかけるのかと思いましたら、ハーパーの太ももあたりに手を置き、ジェームズが謝罪しようとしたのにあなたはその機会を与えず締め出したとハーパーを責めます。ハーパーは司祭に Fワードを投げつけてその場を後にします。全裸の男が襲ってきます。ハーパーが警察に通報し男は拘束されます。

映画全体にホラー系のパターン脅しが入っていますがそれほどでもありません。おそらく、ハーパーを現代的な自立した女性として描こうとしているからだと思います。ハーパーは単純に逃げ惑うだけではなく闘う女性でもあります。

ハーパーがパブへ行きますと、同じ顔(だと思うけどはっきりわからない)の男が2、3人います。警官(同じ顔?)がやってきて全裸の男を解放したと言います。ハーパーは Fワードを投げつけて店を出ていきます。

ここからが映画のクライマックス(かな?)です。クリーチャー系のシーンが続きますので気持ち悪いといえば気持ち悪いです。全裸の男のお腹が大きくなり、男を産み落とします。その男がまた男を産み落とします。それが3、4パターン続いたと思います。そして最後にジェームズを産み落とします。

このあたり、あまりはっきり記憶していませんが、ジェームズがハーパーに愛が欲しい(違っているかも…)みたいなことを言いながら迫りますとハーパーはジェームズを刺します。

ハーパーが車で猛スピードで逃げようとします。管理人のジェフリーにぶつかります。今度はジェフリーが車を奪いハーパーを追いかけます。ハーパーはカントリーハウスに逃げ込み、ジェフリーの車は壁に激突します。

この後の記憶はありません(笑)。

友人のライリー(スカイプで何度かやり取りしていた女性…)がロンドンから駆けつけます。ハーパーが庭に座り込んでいます。ライリーを振り返る顔には笑顔が見えます。

女性性への羨望

最初に書きましたが、男性が根源的に持つとガーランド監督が考える暴力性が、ジェームスとその精神性である同じ顔を持つ男たちで象徴的に描かれ、でもこれは神が与えたものだから赦してねと甘えたけれども、冗談じゃねぇ!と突き放される男の話です(笑)。

りんごはキリスト教価値観の世界では禁断の果実です。と言っても、特別意味づけられているわけではなくなんとなく雰囲気だとは思いますが、ハーパーがカントリーハウスを訪れた時、まず最初にかじっていました。禁断の扉を開けてしまったということでしょう。

教会で会う小柄な男に女性の仮面をつけさせていることも女性性への願望でしょう。

教会に不釣り合いな石像があり、表には男性の顔、裏の司祭側には女性の性器がデフォルメされた図柄が描かれていました。かなり強調されていましたし、全裸の男が男を産み落とすことから考えれば、男性の暴力性が存在の不確実性からくる不安に根ざしていると言いたいのでしょう。

女性は出産という事実で確実につながりを持った存在を生み出せます。男性にはそれがありません。全裸の男性のお腹が大きくなり次々に男を生み出していくことはそれへの願望です。

でも最後は女性に拒絶されていました。