苦い涙

人は誰もが愛するものを殺す、それでも人は死なない(オスカー・ワイルド)

フランソワ・オゾン監督は多作なんてもんじゃないですね、年1本ペースで撮っています。この「苦い涙」も最新作ではなく、もう1本「Mon crime(The Crime Is Mine)」という映画があります。この映画の前にはつい数ヶ月前に「すべてうまくいきますように」、そしてその1年くらい前に「Summer of 85」を見ています。

苦い涙 / 監督:フランソワ・オゾン

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

また、多作というだけではなく、映画の傾向もコメディから告発ものまで多彩で、とにかくいろんな映画を撮る監督です。

この「苦い涙」は、ニュー・ジャーマン・シネマという1970年代のムーブメントを担ってきた監督、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の1972年の映画「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」のリメイクです。もともとはファスビンダー監督自身が書いた舞台劇を自分の手で映画化したものです。

DVDレンタルも配信もなさそうで、私も見ていません。ただ、「苦い涙」公開記念として6月16日から新宿武蔵野館で上映されるようです。

フランソワ・オゾン監督のファスビンダー監督への思い入れは今回だけのものではなく、すでに2000年にファスビンダー監督の未発表の戯曲「焼け石に水(Gouttes d’eau sur pierres brûlantes)」を映画化しています。トレーラーを見ますとコメディですね。

フランソワ・オゾン版「苦い涙」

オリジナルではペトラ・フォン・カントは女性のファッションデザイナーなんですが、フランソワ・オゾン監督は男性の映画監督に変え、名前もピーターになっています。

そのピーターを演じているのがドゥニ・メノーシエさんで、むちゃくちゃ弾けており面白いです(笑)。ドゥニ・メノーシエさんのひとり舞台です。これまでは「ジュリアン」とか「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」のシリアスものしか見ていませんのでちょっと驚きです。

物語はベタ系です。40代の映画監督ピーターが若い男性アミール(ハリル・ガルビア)に一目惚れし、自分の住まい兼オフィスに同居させ映画俳優として育てるも、次第にアミールはピーターの束縛が鬱陶しくなり、ある時大喧嘩となり、アミールは去っていきます。ピーターはその後も片時もアミールのことを忘れることができず、自暴自棄になり、周囲の者に当たり散らし、やがてみな去っていき、そして失意に明け暮れ、自らの過去に拘泥していくという映画です。

映画のつくりとしてはかなり大仰で現実感はないのですが、ドゥニ・メノーシエさんが吹っ切ってやっていますので、ぷっと吹き出したり、クスクス笑ったり、ときに涙したり(それはないか…)というとても楽しい映画です。

誰もが愛するものを殺す

劇中、俳優シドニーを演じるイザベル・アジャーニさんが歌う「誰もが愛するものを殺す」という曲が使われます。この曲はファスビンダー監督の遺作となった「ケレル(ファスビンダーのケレル)」の中でジャンヌ・モローが歌っている曲で、歌詞はオスカー・ワイルドの『The Ballad of Reading Gaol(レディング牢獄のバラード)』という詩の中からとられています。

人は誰もが愛するものを殺すのだ』から『それでも人は死なない』

この詩はオスカー・ワイルド41歳の頃に同性愛を理由に有罪となり投獄されていたときの詩で、その服役中に他の受刑者の絞首刑があり、そのことを詩にしているらしいです。詩としてはかなり長いもので、その中の『Yet each man kills the thing he loves,』から『 Yet each man does not die.』が使われています。『それでも人は誰もが愛するものを殺すのだ』から『それでも人は死なない』で終わっています。

カールとシドニー

映画は室内劇ですのでほぼすべてピーターの住まいで進みます。上の動画の最初のカットが季節により変化していき時の流れが示されます。ラストは雪景色で終わっていました。

とにかく大仰な映画ですのでマジに見ないでちょっと引いたところから見ることをお勧めします(笑)。

フランソワ・オゾン監督はあれこれ小難しい映画は撮りませんので愛に飢えた男の失恋話というベタな物語ではありますが、それでもキーとなる人物がふたりいて、そのひとりが秘書のカール(ステファン・クレポン)で、とにかく最後までピーターに従順で、ピーターにどんなに横柄に「カール! カール!」と命令されても顔色ひとつ変えることなく従います。

ピーターに愛情を感じているという設定だと思いますが、ピーターからダンスのパートナーを命じられれば素直に従い、自らの手をそっとピーターの肩に置いたりします。また、ピーターとアミールが激しい抱擁に及べば、その隣で頼まれていたシャンパンをポンと開けたりします(笑)。上の動画にあります。

しかし、最後にしっぺ返しを食らわせます。ピーターがアミールに振られ、自らの誕生パーティーも大暴れしてぶち壊し、そのさみしさをカールで紛らわせようとしますと、カールはこれまでとまったく変わらぬ表情で身を任せて近づき、ピーターの顔につばを吐きかけて去っていきます。

そしてもうひとりのシドニー、ピーターが映画監督として今があるのはシドニーのおかげです。ピーターの住まいのいたるところにシドニーの写真が貼ってあります。過去にはプライベートでも関係があったようです。アミールはそのシドニーがわざわざピーターに引き合わせた若者です。特に理由もなく、それも3年ぶりだと言いながら、ピーターの住まい兼オフィスで待ち合わせしています。魂胆がないわけがありません。

そしてラストシーン、自分の誕生日であるにもかかわらずアミールに振られて暴れまくって落ち込んだピーターのもとにアミールから電話が入ります。その電話をさせているのがシドニーなのです。

愛は束縛、そして愛は終わるもの

アミールはその電話で行こうかと尋ねますが、ピーターが断ります。理由はわかりません。と言いますか、さすがのピーターも冷静になったのは間違いありませんが、その前のシーンで、ピーター自ら愛していると思っていたが束縛しているだけだったと言っていますので、終わったと自覚したのかも知れませんし、単に強がりかも知れません。

愛は単純であり、不可解なものということでしょう。少なくとも、愛は束縛であり、やがて終わるものであることは間違いのないことです(笑)。