哀れなるものはこの映画の製作者(制作者)たちかもね…
「女王陛下のお気に入り」「聖なる鹿殺し」のヨルゴス・ランティモス監督の最新作、昨年2023年のヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞受賞作です。主演のエマ・ストーンさんがプロデューサーに名を連ねていますし、エンドロールで彼女の制作会社フルーツ・ツリーのロゴが流れていましたので製作にも深く関わっているものと思われます。
見た直後の印象は…
こんな映画なので(笑)、なにか書こうという意欲もわきません。とりあえずは見た直後に思ったことを書きますと、
- 単純すぎて想像力が刺激されない
- 同じことですが、説明的ですので見ているもの以上にイメージがふくらまない
- キリスト教価値観で思考する者は、すぐに人間をつくりたがる
- キリスト教価値観で思考する者は、人間の本質は性行為だと考える
- キリスト教価値観で思考する者は、支配、被支配でしかものごとを理解しない
- 直感的にだが、セクシュアリティ、ジェンダー感覚がおかしいと感じる
- スチームパンク的ビジュアルに新鮮さがない
- エマ・ストーンの演技が作りものくさくてうんざりする
なんと、ひとつもいいことを思わなかったということになります(ゴメン…)。
男がつくった女の成長譚…
19世紀、産業革命後のロンドン、ひとりの女性がロンドン橋(かどうかは知らないが…)からテムズ川に飛び込み自殺します。天才かつ狂気の外科医ゴドウィン・バクスター Godwin Baxter(ウィレム・デフォー)、つまりは GOD はその女性の死体を貰い受け、妊娠中であったお腹の子どもの脳をその女性に移植します。
大人のからだを持った赤ちゃんベラ・バクスター(エマ・ストーン)が誕生します。
このベラの成長譚の映画です。もちろん話が話ですので寓話的であり、つくりはゴシックホラー、ゴシックコメディー、そんな感じの映画です。きっとキリスト教文化圏であれば結構笑いが起きるんじゃないかと思います(無理か…)。
まずはベラの赤ちゃん的行為を見ることになります。気に入らなければものを壊したり、食べたものが不味ければ吐き出したり、お漏らししたりというシーンが続きます。
このパートのテンポがのろい上にかなり長いので(というよりほぼ全編のろくて長い…)、結果エマ・ストーンさんの幼児風演技を延々見せられることになり、これがかなりつらいです。
ゴドウィンはマックス(ラミー・ユセフ)を助手として雇いベラの行動を記録させます。マックスはベラに好意を持つこととなりゴドウィン公認で婚約します。その頃ベラは果物(だったか…)を自分の女性器の中に入れ性的快感を知ります。
弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)が登場し、ベラに興味を持ち、外の世界に連れ出します。まずはリスボンです。セックス、セックス、セックスの日々です。ベラは社会的価値観という基準を持っていませんので、人前構わずその行為や性器の話をします。
このパートも長くてうんざりしますが、とにかく、ベラを持て余し気味になったダンカンはベラを豪華客船に乗せます。ベラは船上でマーサとハリーに出会い、ふたりから読書と哲学を学びます。肉体の(とも言えないけど…)快楽の次は知性ということでしょう。当然ベラはダンカン離れしていくことになり、ダンカンはやけになり酒とギャンブルに溺れていきます。
ハリーは船がアレクサンドリアに寄港した際に、その地の貧民たちの現状を見せ、世の現実とはこういうものだと教えます。ベラはその様子を見て涙を流し、ダンカンの全財産を貧民たちに施してしまいます(実際は船員たちがネコババします…)。
お金のなくなったダンカンとベラはマルセイユで船から下ろされ、パリへ向かいます。ベラは売春宿で働き始めます。
このパートをどう描こうとしているのかははっきりしませんが、いずれにしてもベラにとってその行為に快感は伴いませんし、その代償として貨幣を受け取るシーンもありません。さらに、同じように売春宿で働くトワネットを登場させて、そのトワネットから社会主義を学ぶ(ような…)シーンもあります。
ですので売春行為によって資本主義を学ぶということかも知れません。労働力の商品化ということです。トワネットがベラをどこかに連れていくシーンはあるのですが、その先がカットされていると思われ、トワネットの語る社会主義というものが描かれていません。きっと製作上の判断なんでしょう。トワネットはラストシーンまで残りますので、本当はかなり重要な役回りと思われます。
ダンカンは金もなく、ベラにも捨てられ、完全に落ちぶれています。つまり男性優位社会における男性性を失ったということです。
マックスがベラを連れ戻しに来ます。ゴドウィンは末期がんで衰弱しています。ベラとマックスは結婚することになり、その結婚式の日、ダンカンが新たな人物アルフィーを連れて現れます。アルフィーはベラの夫であると言い、ベラを連れて帰ってしまいます。
ベラの自殺の理由が判明します。夫アルフィーはサディストであり、男根主義者であり、その抑圧から逃れるために自殺したということです。そのことをベラが知ります。アルフィーはベラの女性器を切除しようとします(映画としては意味がよくわからない…)が、逆にクロロフォルムでアルフィーを眠らせます(ピストルで死んだんだっけ?…)。
ゴドウィンが亡くなります。ベラは跡を継いで医師になると言っています。手始めにマックスの手を借りてアルフィーにヤギの脳を移植します。
後日、ゴドウィンの邸宅、ベラとトワネットがシャンパンを飲みながらくつろいでいます。マックスもいます。アルフィーが庭の草を食べています。
という映画です。
女の自立は男を支配することで得られるか…
映画化により急遽原作が翻訳され発売されたようです。
読書メーターなどで感想を読みますと、映画ではマックスに当たる人物の手記によって事の次第が語られ、その後ベラの手紙でその内容が覆されるという流れのようです。
おもしろそうです。まったくの想像ですが、映画は原作のとり方を間違えているかも知れませんね。読んでみましょう。
結局のところ、映画は浅すぎます。
- 男が考える女の自立
- 女性の自己認識が性行為から始まるという認識
- 貧民を見下ろし、涙を流し、施すという行為
- 性の商品化に対する認識
- 人間をつくるというそもそもの発想
たとえこれらをパロディー、あるいは逆説的に描いているとしても、何をおいてもすべてに不誠実です。