最悪な子どもたち

演技経験のない子どもたちに演技をさせて監督たちは何を狙っているのだろう…

子どもたちが映画で演技体験をするドキュメンタリーかと思っていましたら、全然違って完全なるドラマでした。2022年のカンヌ国際映画祭ある視点部門のグランプリ受賞作です。

最悪な子どもたち / 監督:ロマーヌ・ゲレ、リーズ・アコカ

演技する子どもたちの未来にあるものは…

子どもたちのオーディションシーンから始まります。ただし、それも劇中映画のオーディンですので、子どもたちはすでに演技をしています。もちろん演技といっても演技経験のない子どもたちですので、本人たちがどう自覚しているかはわかりません。

初っ端からややこしい書き方ですが、何を言いたいかといいますと、少なくともいきなりカメラを向けて撮った画ではないということです。おそらく何テイクも撮って、この「最悪な子どもたち」の監督がベストと思ったカットが使われているということです。もしカット割りされているとすれば(記憶がない…)一連の画とは限らないということです。後にある喧嘩シーンなどのようにです。

この映画は二重構造になっており、ガブリエルという劇中映画の監督が演技経験のない子どもたちの映画を撮っているその過程をわれわれは見ているということになります。その劇中映画もドキュメンタリーではなくドラマですので、ガブリエルが子どもたちに演技指導するシーンもたくさんあります。うまくいかないと突然ガブリエルがキレて子どもたちを怒鳴り散らしたりします。もちろんガブリエルはヨハン・ヘルデンベルグさんという俳優ですのですべて演技ですし、シナリオのあるドラマです。

おそらく、撮影シーンではない日常シーンにもシナリオがあり、同じように何テイクも撮っていると思います。

ですので、映画の制作過程を撮っていくメイキングのようなつくりにはなっているものの、その劇中映画自体は完成される予定のない映画ということになり、つまり、二重構造に見えても、劇中映画も含めたひとつの子どもたちのドラマとして構成されていることになります。

さらにややこしいですね(笑)。と言いますか、ややこしくしているのは私で、子どもたちの振る舞いという点においては、普通に1本のドラマ作品として見えていけばいい映画と言えなくもありません。

俳優であっても1本の映画を経験すれば自分の中で何かが変わることもあるでしょう。演技経験のない者にとってはなおさらで、そのインパクトはより大きなものだと思います。実際、この映画のリリを演じたマロリー・ワネックさんはその後俳優としての道を歩み始め、IMDbによればすでに3本の映画に出ています。

もちろん何でも向き不向きがありますので、すべての子どもたちが心地よい時間を過ごしたとは限りません。もうひとりの主役級のライアンを演じたティメオ・マオーくんの場合は、幼すぎて将来この経験がどう出るのかはわかりません。

いずれにしても、こうした映画を見ますといつも思うことですが、子どもたちにとっていいことなのかどうなのか、大人の都合で子どもたちを左右しているのではないかと気になるところです。

ロマーヌ・ゲレ、リーズ・アコカ両監督の意図するものは…

もうひとつ別の見方を書いておきます。

それは、劇中映画の胡散臭さ(それが意図されているという意味で…)です。メイキング映画のようなシーンでは当然監督だけではなくカメラや音声スタッフまで登場します。すでに書いた監督がキレるシーンもそうですが、リリが音声スタッフのヴィクトルに好意をもつようになる描き方が非常に胡散臭いんです。

かなり早い段階からリリの視線の先にヴィクトルがいるような編集がされていますし、ヴィクトルがマイクを外し忘れておならがどうこうとからかうの件もそうですし、打ち上げでのダンスシーンも過剰です。とにかく胡散臭い(ゴメン…)ドラマづくりがしてあります。

監督の演技指導で言えば、ライアンに過剰な負荷をかけて喧嘩をさせたり、リリがビッチと揶揄されるシーンではそれを言う女の子に監督がビッチと言えと耳打ちする音声まで入れています(ライアンの方のヤリマンだったか…)。また、リリとジェシーの性的シーンの前には当人たちの性的経験を尋ねるシーンを入れています。

何度も言いますように、これらはシナリオのあるシーンですし、ふたりが語ることも台詞です。

どういう意図なんでしょう。劇中映画のラストシーンと思われる鳩を放つシーンもあれを本当にクライマックスにしたとしますと相当陳腐(こうした映画にしてはです…)です。

さすがにこれらをマジでやっているとは思えませんので、おそらく、ロマーヌ・ゲレ、リーズ・アコカ両監督は何かを批判的にみているということじゃないかと思います。

日本の公式サイトにはキャスティングディレクターや演技コーチを経験してきているとありますので、一番考えられるのはこれまで見てきた監督たちの振る舞いでしょう。

広い意味では映画製作に関わる者の倫理観かも知れません。

貧困ポルノ批判か、あるいは…

さらに言えば、同じく日本の公式サイトに、監督たちが語ったこととして、この企画の始まりは「なぜ映画というジャンルが、過酷な環境で生きる子どもたちに惹かれカメラを向けようとするのか?」に関心を持ったからだとあります。

ソースがわかりませんのでどういう経緯での発言か、また本当にこの意味合いなのかも定かではないのですが、まさしくこの映画はそうした子どもたちにカメラを向けています。

いや、違いますね。われわれが見ているのは「過酷な環境で生き」ているように演出された子どもたちであって、この映画は現実の彼彼女たちがそうであるかどうかを問題にしていません。そこに問題意識を持つのであればこんな撮り方をしなくてもいいはずで真正面から問題に向き合えばいいだけです。

感動ポルノという、障害者を健常者が感動するための対象として描いたりすることを指す言葉があります。仮に映画が「過酷な環境で生きる子どもたち」を見るものに感動させ消費するだけのものであれば、それも同じく「感動ポルノ」であり、限定的にその過酷さが貧困からくるものであるとすれば「貧困ポルノ」とも言えます。

その点で言えば、この「最悪な子どもたち」もかなり際どいところにあるような気がします。映画のロケーションはフランス北部の労働者階級が多く暮らす(らしい…)ブローニュ・シュル・メールの共同住宅であり、子どもたちは児童養護施設やその地域の学校に通う子たちと言われています。

劇中映画はまさしく「貧困ポルノ」です。はたしてそれを含めた本編映画「最悪な子どもたち」はどうなんでしょう。

それに邦題ですが、それが逆説的な意味だとしてもそういうことじゃないとは思います。