彼方の閃光

モノクロ映像? 東松照明? 長崎? 沖縄? セクシュアリティ? 何を描きたいのでしょう…

監督作品としては「パラダイス・ネクスト」「雨にゆれる女」と見てきている半野喜弘監督です。音楽としてはジャ・ジャンクー監督やホウ・シャオシェン監督、日本ですと行定勲監督などの映画で名前をよく見る方です。

彼方の閃光 / 監督:半野喜弘

映像へのこだわり、モノクロ…

半野喜弘監督の映画を見るようになったのは、最初はジャ・ジャンクー監督やホウ・シャオシェン監督の名前からですが、最初に見た「雨にゆれる女」で夜のシーンの撮り方をうまく感じたことや全般的に画を美しく感じたからです。

この「彼方の閃光」はモノクロシーンがほとんどを占めています。やはり画に対するこだわりが強いんだろうと思います。撮影監督は「パラダイス・ネクスト」と同じ池田直矢さんという方です。過去に関わられた映画をみても特別モノクロ映像にこだわりを感じるような映画はありませんので、おそらくこの映画に関しては半野喜弘監督の映像に対する思いが強く出ているのではないかと思います。

映画はかなり長く続く黒味映像から始まります。確かノイズ音が入っていたと思います。そこに10歳の少年「光」のナレーションが入ってきます。どういった内容であったかの記憶は曖昧ですが、光は視力を失っており、カセットテープに自分の思いを記録していると言い、録音中のその言葉が流れているということです。空の青さについても語っていました。皆空の青さが美しいと言うが自分にはわからないということです。

やがて、スクリーンにはかすかにもやもやとしたものが見え始めます。10歳の光は手術を受けて視力は回復するものの、色彩を認識することはできないと語られます。

そして、20歳になった光(眞栄田郷敦)のモノクロ映像の世界が始まります。

東松照明、長崎、沖縄…

この映画にはそうした映像へのこだわりともうひとつ、映画の軸になっているものがあります。

東松照明氏の写真です。東松照明氏はカラーでもたくさん撮っていますが、やはり強く印象づくのはモノクロ写真の作品群です。今調べますと1970年代中頃くらいからはカラー写真の作品が多くなっているようです。作品集としては『太陽の鉛筆』以降です。

この東松照明氏の変化、時代の流れとリンクしていますね。

沖縄が日本に返還されたのが1972年です。東松照明氏の沖縄への思いはとても強かったと思われ、沖縄に移住されていますし、沖縄で亡くなられています。1970年中頃あたりで東松照明氏の中で何かが変わったんだろうと思います。

それはともかく、映画です。20歳の光は東松照明氏の写真集と出会い、その後長崎、そして沖縄へと導かれていきます。ただ、その出会い方がなんだか取ってつけたようにと言いますか、無理矢理感がとても強いです。カフェにカップルがいます。男が女に写真集をプレゼントします。女がトイレに立ったすきに光は男に話しかけ、どさくさ紛れに写真集を盗んで立ち去ります。

なぜこんな作りものくさいドラマを持ち込むんでしょう。プロローグ的な扱いですますのであれば、展覧会で見るとか、それこそナレーションで処理したほうがスッキリします。余計なことですが、これでは単に物語の段取りとしてシーンが変わっていくだけにしか見えませんし、光の長崎行きそのものにパワーが生まれません。

こうした物語の深みのなさというのは、率直に言えばこの監督の欠点です(ゴメン…)。前作の「パラダイス・ネクスト」でも書いていますが、シナリオに他者の目を入れるべきです。

東松照明氏の写真にしても、そもそもの企画の発端が氏の写真にあるのかと思いましたが、どうやらそこまでの思いはないようで、物語が進むうちにどんどん遠ざかっていってしまいます。本当に氏の写真に触発されての映画であればどんどん深まっていかなくちゃいけないのですがそれが感じられません。

革命?…

光は長崎へ向かい、そこでしきりに革命という言葉使ってアジテーションしてくる友部(池内博之)に出会います。友部はドキュメンタリー映画を撮っている(何のだったっけ?…)と言い、言葉巧みに光を誘い込みます。

光は友部についていきます。この展開も写真集の件と同様で、光が友部の何に惹かれたのか映画からは伝わってきません。結局、その後の展開で光はゲイということで物語を進めています。

友部にはついたりはなれたり(のよう…)の女性 Awich(エーウィッチ)とも性的関係をもっていますのでバイセクシュアルということになります。

この一連のセクシュアリティに関する描き方もあまり的を得ているようには見えず、結局映画のテーマを曖昧にしています。

正面切って、長崎と原爆、そして沖縄と戦争に向き合った映画を撮ることに照れを感じているのかも知れません。友部にある種の正論や極論を言わせているのも同じような意味合いでしょう。

結局、長崎でも沖縄でも、映画として何も打ち出すことができずに終わっています。

光は何も得ることなく、友部のもとを去っていきます。友部の「革命」に失望したのか、友部が自分ではなく Awich を選んだからなのかわからないままに…。というように見えてしまうということです。

環境?…

2070年です。世界は環境汚染され(いろいろニュース音声で説明されていたけれど記憶にない…)、71歳になった光(加藤雅也)とパートナーの男性は山奥で自給自足の生活をしています。

光が狩りに出て猟銃をバンと撃ちますと、その衝撃で光には色彩世界が戻ります。

光が青空をながめてしみじみと感じ入っています。

結局、東松照明氏の写真も利用しただけにしか見えない映画になってしまいました。