ショーイング・アップ

とらえどころがないけれども、ちょっとケリー・ライカート監督がわかったような気がする…

つい先日見た「ファースト・カウ」のケリー・ライカート監督の最新作です。その映画ではライカート監督の高い評価を実感できませんでしたので再挑戦です。「A24の知られざる映画たち」という企画の一本として上映されています。

ショーイング・アップ / 監督:ケリー・ライカート

基本はリアリズムかな…

この「ショーイング・アップ」のほうがライカート監督の映画に対する考えがよくわかります。

基本的にはリアリズムかと思いますが、そこにあるものをそのまま提示するという意識が強いようです。

リジー(ミシェル・ウィリアムズ)はやきものの彫刻家、陶彫作家です。間近に個展を控えているせいか、やや不安定な精神状態にもみえます。とは言っても、いつもあんな感じかもしれないとも思える程度です。

そんなリジーの、隣人や家族との日々が描かれていく映画です。内容にも手法にも変化というものが重要視されておらず、いわゆる淡々と日常が進むという映画です。ですので退屈といえば退屈です。ただ、ライカート監督はそこに何かを見ているということかと思います。

隣人のジョー(ホン・チャウ)もアーティストであり、リジーの住まいの大家でもあります。リジーが、部屋の給湯器が壊れてシャワーが使えないので直してほしいと言っても、一向に直してくれません。その理由が、ジョーも個展を控えているために忙しいのか、あるいはわざと放っているのかははっきりしません。

私は辛抱強いなあと見ていましたが、おそらくリジーのイライラ感をつのらせるひとつの要素なんでしょう。また、同じアーティストとしての微妙な関係ということもあるのかも知れません。

家族関係も結構ややこしい家族で、両親と兄、皆ひとり暮らし(母親は多分…)で、リジーひとりが皆の心配をしているように描かれています。

両親はともに健在ですが離婚しているようです。兄は情緒不安定で妄想にとらわれるところがあるらしく引きこもり気味の天才アーティスト(母親の弁…)です。母親はオレゴン美術工芸大学(Oregon College of Art and Craft)の管理職員(だと思う…)で、リジーもそのアシスタントのような立場です。母親は、家族であってもあまり気にかけないタイプのようで、リジーが兄のことを心配しても母親は親身になる様子はありません。父親は陶芸作家だったような気配はあるものの何をやっているのかよくわかりません(笑)。また、その父親はよくわからない同世代の男女を家に泊めています。リジーはそれも気に入らないようです。

という、作品制作のプレッシャーや人間関係による精神的ストレスの中のリジーを見る映画です。

リジーを演じているミシェル・ウィリアムズさんの演技がきわめて自然体で、ワンシーンだけキレるシーンがありましたが、表に出ないもやもや感が全身からにじみ出ており、リジーを演じている感じがせず、まさに陶彫作家リジーの日々を見ているような映画です。

陶彫作品に現れるリジーの心情か…

リジーの陶彫作品は女性の様々な心情をモチーフにした20cmほどの人形のやきものです。

シンシア・ラハティ(CYNTHIA LAHTI)さんという方の作品です。映画の中に水彩画のカットが何カットかありましたが、あれもラハティさんの作品とのことです。

オレゴン州ポートランドで育ち、ロードアイランドの大学で学ぶために一度離れたようですが、現在はオレゴン州に戻って活動しているとのことです。

映画のチラシからの画像です。動きが感じられます。

映画のワンシーンです。これは制作途中のシーンで、これに色付けして焼きますと上のようになるということです。

これら映画の中の作品はこの映画のために制作されたものだと思います(未確認です…)。上のリンク先の個人サイトで見る作品はもっと不完全さが強調された作品が多いです。といっても人形の形状としては不完全なんですが、どの作品にも暗さがないです。

映画の中の作品からもポジティブな感じを受けます。

鳩が飛び立つこと、閉鎖性からか…

映画もポジティブです。傷ついた鳩がその象徴的なものになっています。

リジーの飼っている猫が家に飛び込んできた鳩を傷つけてしまいます。リジーはその鳩を「どこかで死んで(Go die somewhere else)」と言って外に放り出してしまうのですが、翌朝ジョーが助けなくっちゃと言って箱に入れて持ってきます。結局リジーが鳩の面倒をみることになり、後に獣医に連れていき、150ドルの治療費を支払っています。リジーがそのことをジョーに言いますと、家賃から引いておいてなんて受け流されてしまいます。

映画ではリジーの後ろめたさのようなものを描こうとはしていませんが、リジーにしてみればあれこれ気持ちが入り乱れる展開です。

鳩がいつジョーの手に渡ったかは忘れてしまいましたが、そうした鳩をめぐるやり取りとともに、兄を訪ねてみれば、やはり情緒不安定で庭に奇妙な穴を掘っていたり、父親を訪ねてみれば、リジーがよく思っていない自由人の男女が我が家のようにソファに寝そべっていたり、肝心の作品はといえば、最後の一体の焼き方に失敗して片側が黒ずんでいるのに窯担当の者からはこれもまた味があるよなどと無神経な言葉を浴びせられるなど、ストレスがたまるばかりです。

でもリジーは表立って感情を表すことはありません。演じているミシェル・ウィリアムズさん、とても良かったです。うまい俳優さんです。見ている時は思い出せませんでしたが、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」や「ブルーバレンタイン」を見ていました。どちらも印象に残っている映画です。

で、個展当日です。どことなく落ち着かないようにも見えるリジー、客がやってきます。父がやってきます。ニューヨークからのディレクターをナンパしているようにもみえます(わかりません(笑)…)。母親がやってきます。一緒に来るはずの兄がいなかったと言っています。ジョーが鳩を持ってやってきます。兄がやってきます。歩いてきたと言っています(確かそんな感じ…)。やはりマイペースです。

ふたりの女の子が鳩の包帯を取っています。鳩が飛び立ちます。ギャラリーの中を飛び回って皆を驚かせ、そしてドアから外へ飛び立っていきます。誰かが(リジーだったか、ジョーだったか…)飛べたのねなんて言っています。

と、そのまま「飛び立つ」ことオチと考えていいかどうかはかなりあやしい映画です。なにせ、その後のラストシーンは、リジーとジョーがポートランドの誰もいない街なかをふたりでダベりながら歩いていく姿をロングショットで捉えたまま終わるのです。