アウシュビッツサバイバー、ヴェイユ法、欧州議会議長、女性の権利…
フランスで1974年に人工妊娠中絶が合法化された、いわゆる「ヴェイユ法」の起草者のシモーヌ・ヴェイユさんの伝記映画です。その名前は、2021年のヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞受賞作「あのこと(L’evenement)」のレビューを書く際にウィキペディアなどで知った方です。
もうひとりのシモーヌ・ヴェイユ
ところで、シモーヌ・ヴェイユという名で著名な人物には、もうひとり哲学者のシモーヌ・ヴェイユさんという方がいます。ヴェイユの綴りがこの映画のヴェイユが Veil で、哲学者のほうが Weil ですので、原語では発音で違いがわかるのでしょうが、日本語にしますと同じですので書籍など間違わないようにしないといけません。検索して出てくる出版物の多くは哲学者シモーヌ・ヴェイユさんの方ですので気をつけましょう。
この映画のシモーヌ・ヴェイユさんの著書で翻訳されているのは回顧録くらいのようです。
映画でも、引退後のシモーヌ(エルザ・ジルベルスタイン)が海辺で遊ぶ孫たちを眺めながら自らの記憶を書き記すシーンがあり、映画はその時代を軸にして過去を回想するスタイルでつくられています。
記憶や歴史は言葉で残さなければ残らないということが幾度も語られていました。
行き来する複数の時代…
映画は、シモーヌ4、5歳の頃の1930年代から2004年のアウシュヴィッツ訪問あたりまでの70年間が複数の時代を行き来して描かれていきます。それもかなり細かく頻繁に変わります。混乱することはありませんが、ウィキペディアなどを読んで、ある程度経歴を頭に入れていないと途中で集中力を失う可能性もあります。フランスではその経歴もよく知られていると思われますので、そうしたこともあっての構成ということでしょう。
シモーヌは3人の俳優で演じられます。幼少期はシーンも少なく、もちろん子役です。主要となるのは政治の表舞台に立つ1968年以降の40代からをエルザ・ジルベルスタインさんが演じ、老年期には特殊メイクが使われています。16歳から30歳代の青年期をレベッカ・マルデールさんが演じています。
長い人生の中で映画がポイントを置いているのは、前半ではヴェイユ法に象徴される女性の権利擁護の政治活動であり、後半になりますと16歳にして送られたアウシュヴィッツでの過酷な迫害シーンが多くなります。
ヴェイユ法、三日間の討論の末に成立…
人工妊娠中絶を合法化するという法律です。1974年11月26日から3日間にわたって国民議会で討論されたそうです。ウィキペディアに詳しく書かれていますが、当時シモーヌはシラク内閣のもとで厚生大臣を努めていますので法案の提出者ということになります。演説のシーンで議員ではないと言っていましたので行政官から大臣に就いているということのようです。
映画の冒頭がこの議会の討論シーンです。女性の演説はシモーヌを除いてひとりだけだったと思います。あとは男ばかりです。かなりの数の演説が短く編集され、それもハイテンションの部分ばかりですので、あまりヴェイユ法の本質に迫るようなシーンではありません。相手を罵倒するような言葉や暴言などもあり、なんだかもったいないシーンです。もう少していねいに見せてくれればいいのにと思いながら見ていました。男のバカさ加減を見せたかったのでしょう。
結局、法案は賛成284票、反対189票で可決されます。
ヤマ場となるべきシーンからいきなり始まったような映画で、その後は20歳前後の時代(1946年から20年くらい…)に戻ります。それまでの数年のヴィシー政権やナチスによるユダヤ人迫害時代は後半に描かれます。
夫の付属物から自立へ…
アウシュヴィッツからの生還後はパリ大学、そしてパリ政治学院で学び、そこで知り合ったアントワーヌ・ヴェイユとの結婚し、3人の子どもを育てながら、司法試験に合格します。
この時代の前半20代の頃は夫のために主婦業に専念し、行政官の夫の赴任でドイツにも同行します。映画では迫害からのPTSDでドイツ人に抵抗感を感じるシーンが挿入されています。また、そのドイツ時代にアウシュヴィッツからともに生還した姉のマドレーヌとその子どもを自動車事故で亡くすという不幸に見舞われています。
シモーヌには兄ひとりと姉ふたりがいるのですが、映画ですので幼い頃から特別な子のように描かれています。末っ子ということもあり母親からも特別に愛され、また自立心旺盛な子どもとして描かれています。
ある時、シモーヌは、夫アントワーヌに弁護士になると宣言します。アントワーヌがどういう反応を示したかあまり記憶はありませんが少なくとも後押しするようなことではなかったと思います。時代が時代ですし、子ども3人を抱えての決断ですので相当大変なことだったと想像されます。このあたりをもう少していねいに描いていれば、もっと強くシモーヌ・ヴェイユさんという人物が浮かび上がってきたのではないかと思います。
結局、弁護士ではなく、行政官として法務関係の職につきます。これもそう簡単なことではなかったと思われますのであっさり流されていたのはもったいないですね。
この間、シモーヌは刑務所内の環境や待遇改善に尽くし、さらにアルジェリア戦争下での囚人、テロリストと訳されていましたので反政府軍のアルジェリア人ということだと思いますが、その待遇改善にも取り組んだようです。ただ、いずれもエピソード的な描き方です。
なお、このあたり1968年からエルザ・ジルベルスタインさんのシモーヌに変わります。ただ時系列で編集されていませんのでいつの時代のシーンがどこに挿入されていてどういうつなぎになっていたかというのはほとんど記憶できていません。
アウシュヴィッツサバイバーとして…
シモーヌはユダヤ系のフランス人です。同化していると訳されていましたので、ユダヤ人としての宗教的な環境で育てられていないということでしょう。
なぜそのシモーヌ家族がアウシュヴィッツに送られたかですが、よく知られていることではありますが、第二次世界大戦中のフランスはナチスドイツに北部を占領され、南部の町ヴィシーにナチスの傀儡政権とも言えるヴィシー政権を立てて形だけの主権を保った国です。1940年から1944年のことです。
Blank_map_of_Europe.svg: maix¿?Europe 1942.svg: Alphathonderivative work: DIREKTORDIREKTOR, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
ヴィシー政権はユダヤ人に対してナチスと同様の迫害を加えています。シモーヌたちが拘束されるシーンでも拘束するのはフランス警察だったのじゃないかと思います(よくわからなかった…)。
映画ではその後の流れがよくつかめませんでしたが、ウィキペディアによりますとシモーヌは1944年3月30日に拘束されています。同時に家族全員が拘束され、一旦はパリ北東のドランシー収容所(フランス国内です…)に送られ、その後父親と兄の消息はつかめていないようです。
シモーヌと母親と姉は4月13日に列車でアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送られます。ウィキペディアによれば、同じ列車で移送された約1500人のうち、生還したのは105人だけだったとあります。
収容所での過酷な状況のシーンはかなり長くあります。シモーヌと姉が生還できたのはポーランド人の監視員が何らかの便宜を図ってくれたからのようです。映画では収容所内の配置を代えてくれたりしていました。
1944年も後半になりますとドイツ軍が敗走し始めますのでそれに伴いシモーヌたちは収容所を転々と移動させられ、1945年1月にはアウシュヴィッツ(ポーランド)からベルゲン=ベルゼン強制収容所(ドイツ)へ雪の中を延々と70kmを歩かされ、そして列車に詰め込まれて移送されるという死の体験をします。この頃母親が衰弱して亡くなっています。
ベルゲン=ベルゼン強制収容所は1945年4月15日にイギリス軍により解放されます。
映画では解放後もサバイバーへの偏見や差別があったと描かれています。実際にはどうであったかはわかりませんが、フランス人にはドイツと戦って勝ったという意識があるのか、サバイバーではあっても戦わなかったというような偏見が描かれていました。たとえば、親衛隊と寝て助かったんだろうといった下劣な偏見の言葉を投げつける者までいました。
映画ではあまり大きく描かれていませんでしたが、マドレーヌ以外にもうひとりドゥニーズという姉がおり、その姉はレジスタンスに加わっていたということです。とにかく、このあたりのことは事前にかなり詳細に経緯を理解していませんと映画を正確に理解することは難しいです。シモーヌが政治家として名を知られるようになってから市場に会いに行く女性も誰であったのかよくわかりません。収容所で便宜を図ってくれたポーランド人なのか、シモーヌが収容所で衣服を与えた女性だったのか、そのどちらかだとは思いますがよくわかりません。
後半のクライマックスはシモーヌが孫たちを連れてアウシュビッツを訪れるシーンかと思います。2004年12月のことです。このあたりはさほど盛り上げようという意識は感じられず印象は悪くはありません。
自由 平等 友愛の国フランスであっても…
という、よく知られた人物であるのでしょう、わりと史実を押さえて描かれているようです。ただ描き方は名が知られるようになってからはエピソード的ですし、アウシュヴィッツ時代は感傷的ではあります。
記憶に残ったのは、フランスにはアウシュヴィッツサバイバーに対して偏見や差別意識があったというくだりです。
第二次世界大戦後、フランスは戦勝国として国連の安全保障理事会の常任理事国となっています。ただ、フランスという国家は戦時中はナチスに同調してユダヤ人を迫害しているわけですし、戦後には逆にナチスに協力した女性たちを丸刈りにしてさらし者にしたりしている国でもあります。
自由 平等 友愛を国是とする国でもこうです。80年前のことです。そして、ヴェイユ法の議会での討論のシーン、いくら50年前のこととは言え、あの下劣さもひどいものです。
自分を、また自国を振り返るいい教訓とすべきフランスということかと思います。