その花は夜に咲く

この邦題で引く人がいなければいいのですが…

第三夫人と髪飾り」のアッシュ・メイフェア監督、その長編デビュー作からもう7年になります。評価は高かったはずですが、なかなか新作を撮る環境が整わないのでしょうか、実質的には長編二作目になります。

それにしても「その花は夜に咲く」って邦題、なんと言っていいのか…(涙)。

その花は夜に咲く / 監督:アッシュ・メイフェア

アッシュ・メイフェア監督、どこへ行く…

え? アッシュ・メイフェア監督、どうしちゃったの?

第三夫人と髪飾り」とはまったく手法が違います。すべてといってもいいくらいすべてのカットがアップの窮屈なフレーミングで撮られており、それらが細かく忙しく編集されて、とにかくやたら激しく動き回るような印象の画でつくられています。

前作とは正反対の映像手法です。前作では、

ひとことで言えば静謐ということですが、ゆったりと流れる時間、少ない台詞、感情的なシーンを排しているにもかかわらずにじみ出る「情」、そういう映画です。

と書いたんですが、この映画は、動き回るカメラ、忙しい編集、溢れ出る過剰な感情、そういう映画です。

本当にどうしちゃったんでしょう。余計なことではありますが、映画は基本、映像表現ですので独自のものを目指したほうがいいと思いますけどね。それにこの映画の映像手法は最近では結構よくあるタイプのものですので、その見方からすれば、前作の静謐な映像表現だって本人のものではなく真似ただけにも思えてきます(ゴメン…)。

ところで、最初にこの映画を実質長編二作目と書いたのは、2020年に「Between Shadow and Soul」という「第三夫人と髪飾り」のモノクロ版のような映画を撮っているからで、その映画、音楽とサウンドエフェクトだけで台詞はありません。再編集版というわけではなく、新しく撮った画も使われているようです。なにせ7年前の映画ですので記憶もはっきりせずそれが正しいかどうかわかりませんが、メイのシーンに性的表現が多くなっているように思いますし、そのシーンではメイを演じているグエン・フオン・チャー・ミーさんの印象が異なります。

違法アップロードだとは思いますが、動画共有サイトに全編見られるものがあります。

その関連でいろいろググってみましたら、「第三夫人と髪飾り」は、当時13歳のグエン・フオン・チャー・ミーさんに性的な演技をさせたということで社会問題になったらしく、ベトナム国内では製作側が自主的に上映を取りやめたとの記事もあります(正確ではない可能性あり…)。

当時、私もそこまで思い至らず13歳にして存在感がすごいなんて書きましたが、確かにそうですね、よくないですね。ボディダブルにするとか何らかの映像表現で本人への負荷を避けることはできます。

あるいは「Between Shadow and Soul」は、そうした問題に対するアッシュ・メイフェア監督のメッセージかも知れません(想像です…)。プラスされているシーンの多くは性的表現のあるシーンにも思えますので、何歳か歳を重ねたグエン・フオン・チャー・ミーさんに演じさせて撮ったのかも知れません(もちろん想像です…)。

こんな物語ですが、…

で、この「その花は夜に咲く」ですが、舞台は1998年のサイゴン、トランスジェンダーのサン(チャン・クアン)とナム(ヴォー・ディエン・ザー・フイ)の恋愛を軸にしたメロドラマです。

ふたりは愛し合っており一緒に暮らしています。サンはクラブでダンサーとして働き、ナムはボクサーです。ボクサーのサムに収入があるかどうかはわかりませんが、チャンピオンになり皆に祝福されるシーンがあります。

前半はセックスシーンがかなり多いです。サンの身体的女性化はかなり進んでいますが、造膣手術を望んでおり、それには相当な費用が必要となります。

サンが働く店に街のフィクサー(井上肇)がやってきます。サンはお金のためにパトロンになってほしいと言います。また、ナムは今のままのサンで自分には完全な女性だとは言うものの、手術を望むサンのために金網の中で相手を倒すまで戦うドッグファイトで金を稼ごうとします。

この展開がかなり長く続きますが、物語としての進展ははっきりしません。

そして、ん? どういうこと? と思うシーンが挿入されます。ナムと少女にも見える女性とのセックスシーンです。おおよそ想像はつきますが、その女性ミミ(ファン・ティ・キム・ガン)は貧困ゆえなのか、そういうものだと幼い頃からその境遇に甘んじるしかないのか、ナムにやさしくしてくれてありがとうなど言いナムの求めに応じています。

その頃、サンは手術代が貯まったということでしょう、タイ(多分…)へ造膣手術に向かいます。しかし、サンには自傷癖(2シーン挿入されていた…)があり、それに気づいた医師はまずは精神治療が必要だと手術を許可してくれません。

そうしたある日、ミミがサンを訪ね、ナムの子を身籠っているとやってきます。一旦はナムを咎めるサンですが、結局ミミを引き取ることにし、3人一緒に暮らすことにします。

そうしたシーンがしばらく続いたある日、3人は海に遊びに行きます。遊び疲れて眠ってしまい、終バスに乗り遅れ、歩いて帰ることになります。その途中、数人の男たちに襲われ、ナムがその一人を殴り殺してしまいます。

ナムは殺人罪で起訴され、裁判となりますが正当防衛で無罪となります。しかし、被害者の両親にかなりの金額の賠償金を支払うことになり…。

と、その後はよくわからないまま終わります(私には…)。

サンが橋の上で思い悩むシーンで終わっていましたので、あるいはなのか、去るつもりなのか、そんなところを匂わせた終わり方なのでしょう。

自らのスタイルを確立すべきでは…

という映画なんですが、あまりポイントがはっきりしていない映画です。

サンとナムのラブストーリーという点では紆余曲折がほとんどありませんし、ミミを加えた3人の生活という点にポイントを置いているようにもみえませんし、サンが社会的差別にあっているところを描いているわけでもありませんし、貧困によるミミの置かれた環境を問題にしているようにもみえません。

ひとことで言えば静謐、ゆったりと流れる時間、少ない台詞、感情的なシーンを排しているにもかかわらずにじみ出る「情」、そういう手法で描けばよかったんじゃないでしょうか。

そうすれば、また別のなにかがみえてきたように思います。