「私たちの初恋の相手は自然でした」で始まるが…
映画.comの紹介文で「もしも建物が話せたら」のマルグレート・オリン監督と製作総指揮のヴィム・ベンダースさんの名前を目にして、これは見なくっちゃとポチッとしたんですが…。
「もしも建物が話せたら」は6人の監督のオムニバスだった…
ああそうでした、「もしも建物が話せたら」は6人の監督のオムニバスで、マルグレート・オリン監督はそのひとつ「オスロ・オぺラハウス」のパートの監督でした。この映画は6人の監督がそれぞれの建物をそれぞれの視点で撮っていくという映画で、ヴィム・ベンダースさんは製作総指揮でもあり、また「べルリン・フィルハーモニー」の監督でもあります。
かなりいい印象の残っている映画で、6人の監督と建物はこちらです。
「べルリン・フィルハーモニー」監督:ヴィム・ヴェンダース
「ロシア国立図書館」監督:ミハエル・グラウガー
「ハルデン刑務所」監督:マイケル・マドセン
「ソーク研究所」監督:ロバート・レッドフォード
「オスロ・オぺラハウス」監督:マルグレート・オリン
「ポンピドゥー・センター」監督:カリム・アイノズ
で、マルグレート・オリン監督のパート「オスロ・オぺラハウス」のレビューを読み返してみましたら、
建物には興味が湧いたのですが、映画は構成がやや煩雑だったように思います。もう少しパフォーマンスを活かして、人間の動きと建物みたいなものをテーマにして撮ればよかったのではと思います。
と書いています。
フィヨルドも氷河も観光地なのね…
で、この「SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース」は
息を呑むような美しい大自然に囲まれたノルウェー西部の山岳地帯「オルデダーレン」。地球上でも有数の壮大なフィヨルドを誇るこの渓谷に暮らす老夫婦の姿を、その娘でありドキュメンタリー作家のマルグレート・オリン(『もしも建物が話せたら』など)が一年をかけて密着。(公式サイト)
した映画で、オルデダーレンの春夏秋冬をドローンを使ってダイナミックに捉えたネイチャー系映画です。
そして、そのオルデダーレンで生まれ育ち(多分…)、人生をまっとうした(している?…)父と母がマルグレート・オリン監督本人に静かに自らの人生を語りかけます。
こうした映像が90分間続きます。
フィヨルドにしても、氷河にしても、漠然とした知識しかなく、温暖化で氷河が溶けているとか、この映画にもありましたが氷河が崩れ落ちる映像が浮かんでくるくらいですので、これを機にいろいろググってみたんですが、結構観光地化しているんですね。
この映画の氷河がそうであるかどうかはわかりませんが、「ブリクスダール氷河」でググりますと、上位に並ぶのは旅行代理店かツアー紹介の記事ばかりです。
なんだか人間社会が抱える矛盾の典型みたいな気がします。
私たちの初恋の相手は自然でした…
映画はオルデダーレン渓谷の風景を四季ごとに捉えていきます。かなりの割合でドローンを使っています。
たしかに美しいと言えば美しいのですが、ドローン映像というのは風景がより風景化します。人間の視覚感覚から遠ざかっていくという意味なんですが、私はこの映画を見て人間感覚を感じません。プロモーション映像にしか感じないです。
感受性の問題だなんて言わないでくださいね(笑)。
たとえば、マルグレート・オリン監督の父親が歩いているところを真上から点に見えるくらいの俯瞰で撮った映像があります。この映像からは、父親の視点には立つことは難しいですし、せいぜい人間なんてちっぽけなものと感じる(私はそれさえ感じない…)くらいだと思います。
緑色のオルデバトネット湖(らしい…)も美しいですし、滝の水が落ちる画や音もすごいですし、氷河の崩落の画も音もすごいです。
でも、それ以上のものは伝わってきません。映像そのものはすごくても、どこかで見たような(見ていないけど…)感覚から離れられません。
本当は、この映画がやるべきことは、マルグレート・オリン監督の父親がこの地で生きてきたということであれば、その父親の視点からのオルデダーレン渓谷であり、その視点からの映像であり、その視点からの物語を語ることだと思います。
この映画は「私たちの初恋の相手は自然でした」で始まっています。
ああ、いい始まりだなあと思ったんですが、それに続く画のほとんどがドローン映像ばかりです。え? マルグレート・オリン監督の両親はそんな視点(目線…)で自分たちの生活空間を見ていたの? と思います。
マルグレート・オリン監督の父親の祖父がトウヒの木を植えたというエピソードが語られます。100年を超える時間が流れていると言っているわけです。でも、画は相変わらずドローンによる風景映像ばかりです。ラストではそのトウヒをイルミネーション(ささやかだけど…)で飾って見せていましたが、あれを毎年やっているとかなんでしょうか。多分、それはないと思いますので映画的演出なんでしょう。そうだとすれば、どうなんだろうと疑問に感じる映画です(間違っていたらゴメン…)。
結局のところ、こうした風景映像はもう映画じゃなくてもネット上で見たい時に見られます(多分…)。映画が描くべき領域はこうした美しい映像ではなく、この映画で言えば、マルグレート・オリン監督の両親のオルデダーレン渓谷との関わりであり人生の物語です。
こうした映像は NHK や BBC にまかせておけばいいと思います(ゴメン…)。