ソウルメイト/七月と安生

韓国版ではシスターフッド意識を感じたが、オリジナルは青春恋愛もの…

今年2月に見た韓国でのリメイク版「ソウルメイト」のオリジナル版です。

その韓国版がわりとよくできていたことと、このオリジナル版の監督が「少年の君」のデレク・ツァン監督ということで一度見てみようと思いつつも今になってしまいました。

ソウルメイト/七月と安生 / 監督:デレク・ツァン

シスターフッド的ではなく青春恋愛もの…

オリジナルをリメイク版と比べてみても仕方ないことですが、それでもやはり韓国版はよくできていたと思います。オリジナルのストーリーを守りつつ洗練されたドラマに昇華させているといった感じです。

韓国版では、ふたりが仲良くなるきっかけを絵を描くこととして、冒頭のシーンでミソの肖像画を印象的に使っていましたが、オリジナルでは仲良くなることに特別なものはなく、また、映画の導入は安生が七月の名で書いたネット小説の映画化の話が持ち上がるということでした。そもそもこの映画がネット小説をベースにした映画ということからのようです。

そうしたこともあるのか、ナレーションでの説明がとても多く感じます。韓国版がふたりの共通項を絵を描くことにしているのはとてもうまい方法でした。物語に軸ができますし、ミソの肖像画がふたりの共同制作ということでふたりのつながりが強調されています。巨大な肖像画も印象的でした。

ストーリーの上で異なっていることはそれ以外にはあまりなく、七月と家明の結婚式の後に失踪するのが家明であること、ただこれも対して重要なことではなく、その後すぐに七月も故郷を出て安生の歩んだ道をたどりますので同じことかと思います。

ですので大きく違うと感じられるのは三人の関係です。

このオリジナル版では七月と安生と、そして家明がまさしく三角形の立ち位置に置かれています。つまり、韓国版では強く感じたシスターフッド的な意識はあまり感じられず、青春恋愛ものという印象が強い映画です。

中国映画に感じる息苦しさと自由への希求…

それにちょっとうがった見方をしますと、このオリジナルには中国映画特有の息苦しさみたいなものを感じます。息苦しさから自由になりたいといった感じでしょうか。

それもまあ、日々報道されたりする中国という国の窮屈さみたいなものからの思い込みからではありますし、この映画の時代も10年くらい前(もっと前か…)の時代が中心の話だと思いますのでそうしたことからかもしれません。

中国の現在を知っているわけではありませんが、こうした恋愛ものが受ける時代というのは社会が内向きになっている証だと思います。