山本奈衣瑠さんの佇まいの美しさが救い…
前作の「泳ぎすぎた夜」がダミアン・マニヴェルさんとの共同監督でしたので、そのつながりで知った五十嵐耕平監督、この「SUPER HAPPY FOREVER」は単独監督になっています。
意図された曖昧さ? 中途半端の結果?…
ダミアン・マニヴェルさんとどういうつながりがあるのかはわかりませんが、どこか似たような傾向を感じる映画です。
4年前の「ダミアン・マニヴェル監督特集」のレビューです。
で、この映画ですが、なんとも表現の難しいぼんやりした映画です。ぼんやりというのは批判というわけでもないのですが、なにか核となるものはあるのに、それが全体に広がっていないみたいな曖昧さです。その曖昧さをどう取るかという映画です。
5年を隔てた過去と現在の2つの時間軸を逆にして現在から描いています。
前半が現在です。公式サイトには2023年8月19日となっています。8月19日にはそれなりの意味が持たせてあるのですが、それは物語的に意味のあることではなくやや過剰で不必要な仕込みにも感じられます。こうした過剰さを感じるところがある割に設定などはあまり説明されない映画です。
佐野(佐野弘樹)と宮田(宮田佳典)が海辺のホテルに滞在しています。熱海と言っていたように思います。何をしに、なぜ二人なのかなどもはっきりせずに進み、ただただ佐野のなぜだかわからない傍若無人さが目立ちます。
というやや苛つく前半なんですが、やがてわかってくることは、佐野が赤い帽子を探していることと、それが最近妻を亡くしたことと関連しているらしいことです。つまり、佐野の傍若無人ぶりは妻を失ったがために自暴自棄になっているということです。これがわかるまでかなり長いです。
その苛つく前半の中に(笑)、宮田が参加しているよくわからない宗教じみたセミナー絡みの女性二人と飲むシーンがあります。佐野が突然雄弁になり、ある時、携帯を持ったまま眠っている女性がいたのでじっと見ていたと話し出します。その女性は滑り落ちた携帯を眠ったまましかと掴んで落とさなかったと言い、その瞬間、あっと声が出たんだけれども、その時同時にあっと声を出した女性がいたと言います。
あっと声を出した女性が妻だと言ったかどうかは忘れましたが、その一連の話の中で妻が死んだと言っていますので自ずとわかってはきます。
赤い帽子は曖昧さの象徴…
そして後半は5年前になります。当然、佐野と妻との出会いが描かれることになります。
凪(山本奈衣瑠)が同じ海辺のホテルに滞在しています。凪は友人と二人で滞在する予定でしたが、友人から祖母が亡くなり行けなくなったと電話が入ります。そして、ホテルのロビーで、佐野が語った「あっ」の出会いのシーンがあり、二人は顔を見合わせます。
その後、クルーズに出た際に再会して親しく話すようになり、夜にはクラブへ行き、コンビニの前でカップヌードルを食べ、そしてホテルに戻り、翌日の朝食の約束をして凪の部屋 819 の前で別れます。
8月19日は凪の誕生日であり、友だちがわざわざ 819 の部屋を予約したということらしく、さらにそれをわざわざ二人で部屋の前で話すという、過剰な仕込みというのはこのことです。宮田の存在意義もそれに近いです。二人にするために待ち合わせ時に電話をさせていたり、クラブでは女性をナンパさせていました。
そうしたわざとらしい仕込み(笑)はともかくとして、赤い帽子は二人で散歩中に佐野が凪にプレゼントしたものです。後にその帽子を凪がなくすわけですが、このなくし方の描き方になにかあるようなないような奇妙な曖昧さがあります。また、その後のラストシーンでは、時がふたたび現在に戻るのですが、ここには佐野も、当然ながら凪も登場することなく、5年前にもホテルで働いていたベトナム人アンがその赤い帽子をかぶり、凪が帽子をなくしたその場所であるかも知れない場所に行くシーンで映画は終わります。
んーと唸っちゃいますね。中途半端に感じることはわかってやっているんでしょうから、面倒くさいなあ(笑)と思いつつも、なぜなんだろうと考えてしまうということです。
凪は若年性アルツハイマー?…
中途半端なのか、意図しての曖昧さなのか、結局のところ、それは軸となるプロットを膨らまし切れなかったか、あるいは膨らませて説明的になることを恐れたかのどちらかでしかなく、どちらにしても膨らんでいないということに違いはありません。
おそらく基本プロットは、携帯の話がもとかどうかまではわかりませんが、人と人との出会いには偶然なんだけれどもそれが後々必然であったかのように感じることがあるということなんだろうと思います。
言うなれば、恋愛というものはうまくいっているときは誰もがその出会いを必然的偶然と感じるものであり、その点ではこの映画は基本ラブストーリーですし、そのありきたりさを遠ざけるための限定5年の「SUPER HAPPY FOREVER」(笑)ということなんじゃないかと思います。
ですので、後半の、そのうちの前半である出会いから帽子をなくすまではありがちな日本的ラブストーリーで進みます。ただ、この後半が意外にも見られるものになっているんです。凪を演じている山本奈衣瑠さんの佇まいです。立ち姿が美しいんです。それに帽子をなくすあたりの表情がとても深いです。
二人は翌日の朝食を一緒に食べようと約束します。そして翌朝、凪は赤い帽子をかぶって海辺に散歩に出ます。柵で通行禁止となっている突堤に出ていきます。そして次のカットでは帽子をかぶっていません。凪の表情から現実感が消えています。ホテルへ戻り、フロントで帽子をなくしたと告げますと、落とし物は届いていないとともにチェックアウトの11時を過ぎていると言われます。
一般的にはかなり奇妙な展開です。朝食の約束は8時でしたので3時間も過ぎています。なのに凪はあたふたする気配もみせません。客室フロアに戻り佐野の部屋の前に行きますと清掃中のアンがそこの客はもう発ったと教えてくれます。凪は自室に戻って帰り支度をし、アンに赤い帽子を見つけたら持っていてと言い残してホテルを去っていきます。
海岸沿いの路上です。凪がぼんやりと立っています。佐野が凪の肩をぽんと叩きます。凪が帽子をなくしたと言います。佐野が一緒に探そうと言います。
凪は若年性アルツハイマーなのかもしれません。
アンが凪から託されたこと…
膨らんでいないことがたくさんあります。
前半の現在のパートで滞在中のホテルが閉館するとなっています。これ、物語的に絡んでくることではありません。わざわざ入れているということになります。なぜなんでしょう。
風呂で倒れた無関係なおじさんのこともよくわかりません。宮田を救急看護師(だったか…)にしていることも、あのセミナーの会員かなにかの女性二人との出会いもわざとらしいですし、「SUPER HAPPY FOREVER」のタイトルのことをなにか言っていたようにも聞こえましたがなんだったんでしょう。
同じく前半にアンが他の従業員に最後だねと言われています。ベトナムから技能実習生としてきていますので最長5年です。5年前の後半のパートでもバリバリに働いていたのは映画的ごまかしだとは思いますが、このアンにかなり重要な役割を担わせていることに何があるだろうと思います。
ラストシーン、ホテルでの最後の日を終えたアンが同僚のベトナム人と話しながら帰る準備をしています。アンはロッカーから赤い帽子を取り出しかぶります。そして、同僚のベトナム人にはちょっと寄るところがあると言ってひとり自転車を走らせ5年前に凪が入っていった突堤に入っていきます。物語的には5年前、アンはそこで赤い帽子を見つけたということだと思いますが、アンが凪の死を知ることはありませんので、5年後の今、アンは何をしに突堤へ行ったのでしょう。
凪はアンに帽子を持っていてと言っただけですので意味的には託したということですし、アンも問い返すことなくハイと言っていますので託されたものを受け取ったということになります。何を託したのでしょう。
映画ですので、これといった明確なものがあるわけではなく、やはり意図した曖昧さということなんでしょうか。
結局のところ、短編のプロットを無理やり伸ばしすぎたということが正解じゃないかと思います。