カンフーやブラック・サバスや宗教というよりもラファエルとリタのラブストーリーかも…
なかなか難しい映画だった「ノベンバー」のライナル・サルネット監督です。この「エストニアの聖なるカンフーマスター」を見ますとその難しさの理由が氷解します(笑)。
明らかに見ているものが違う…
「ノベンバー」は幻想的な雰囲気を持ったクラシカルなダークファンタジーだったんですが、それはあくまでも原作であるエストニアの代表的作家アンドルス・キヴィラフクの「レヘパップ・エフク・ノベンバー(Rehepapp ehk November)」という小説のテイストであり、ライナル・サルネット監督にとってはそれは単に一つの題材であったに過ぎず、本当のサルネット監督の持ち味は、われわれ常人には理解できない思考回路を持ってしたストーリーテリングにあるということです。
それをわかりやすく言いますと「訳がわからん」ということになります(笑)。
「ノベンバー」もそうでしたが、われわれのような一般人がこの映画を見ても、これをひとつの物語として組み立てられる人はそう多くないでしょう。つまり、そういう映画ではないということです。
ライナル・サルネット監督にはこの「エストニアの聖なるカンフーマスター(Nahtamatu voitlus)」はどんなふうに見えているのでしょう。その一点において無茶苦茶興味が湧く映画ではあります。
1969年生まれですので現在55歳くらいの方です。アニメーションからスタートし、広告や出版のキャリアを経て、1998年あたりから脚本、監督で名前が出てきます。
どんな思考回路をしている人なんでしょう(笑)。
カンフー、ブラック・サバス、宗教…
この映画をわれわれが一般的に考えるような物語に当てはめようとしますと、ある時ひとりの若者がそれまで知らなかったカンフーとロックに出会ってすっかりやられちゃうわけですから、カンフーやロックの先生を探し精進するみたいなことになると思います。
でも、サルネット監督の頭の中は違うようです。
1973年ごろのソ連と中国の国境のシーンから始まります。3人のカンフーファイター(なんと言っていいのかわからない…)が理由なく現れ、ソ連兵をコテンパンにやっつけます。
この3人、中国系というわけでもなく、革ジャンにジーンズ(だったと思う…)に長髪のロッカーのようです。ブラック・サバスの曲が流れていたのかもしれません。ブラック・サバスを知りませんのでわかりません。それにこの3人、このシーンだけであとは登場しません。もったいない…(涙)。
ソ連の兵士として国境警備にあたっていたラファエルはカンフーファイターに魅了されたようです。除隊して地元(エストニア?…)に戻ったラファエルはカンフーの真似事をして気楽に暮らしています。そして、ある時、車が故障した際に不思議な修道院に迷い込み、そこの修道僧たちがカンフーを使うことを知り入門します(ってことかな…)。
ということで、この修道院でのあれこれが始まり、これが映画の7、8割を占めるわけです。
修道院は東方教会という設定のようです。ただ、エストニアはロシア正教会だと思いますのでどういう設定なのかはよくわかりません。
その修道院で修行をするという設定のようですが、いわゆる修行の経過が描かれていくような映画ではありません。何をやっているのかはよくわかりません(笑)。ただ、その修道院には主に3人の宗教者が登場しますので、あるいは「東方の三賢者」が意識されているのかもしれません。
とにかく、この修道院でのシーンの脈絡はよくわからなく、ああ、ライナル・サルネット監督は自分とは違うものを見ているんだなあと思うしかありません。
とにかく、あまり笑えはしないコメディパターンも盛り込まれたりして映画は出口を探して右往左往しながら進みます。
そして、ラファエルとリタで終わります。
ラファエルとリタのラブストーリーかも…
このリタという女性、どういう登場の仕方をしたかも忘れてしまいましたし、どういう設定の人物かもはっきりしませんが、かなり重要な扱いがされています。
きっとこの映画、ラファエルとリタのラブストーリーですね。
そんな感じがします。でも何もわからないし、わかってほしいと思っている映画ではなさそうです。
大したことを何も書けない映画でした(笑)。