三姉妹

見どころは三人の俳優の演技、物語は短絡的

三人三様という言葉があり、チェーホフにも「三人姉妹」という戯曲がありますが、この映画は「三姉妹」、性格や生活環境が異なる三姉妹が父親の誕生会に集い、心に閉ざしていた幼い頃の思いを爆発させることであらためて姉妹の絆を深めるという物語です。

監督はイ・スンウォンさん、初めて見ます。三姉妹を演じるのは「愛の不時着」のキム・ソニョンさん、「オアシス」のムン・ソリさん、「ベテラン」のチャン・ユンジュさんです。

三姉妹 / 監督:イ・スンウォン

三人三様…だが、みな過剰

長女ヒスク(キム・ソニョン)、次女ミヨン(ムン・ソリ)、三女ミオク(チャン・ユンジュ)3人の現在の生活がかなり細かく刻まれて編集されています。ミオンとミオクふたりの電話のシーンはありますが、ラストシーンをのぞいて映画の8割方3人が交わることはありません。

次女のミオンを軸に進みます。ミオンは敬虔なプロテスタントの信者です。聖歌隊の指導をしており、牧師からも執事と呼ばれていましたので、信者でもあり、また教団の教職者でもあるということだと思います。

そうした宗教心がかなり過剰に描かれています。ただ、その行いは宗教を盾にして他者に高圧的な態度をとっているようにも見えます。敬虔には見えてもあまり宗教心は感じられないという意味なんですが、なぜそうなのかはラストシーンまでわかりません。このミオンだけではなく三姉妹みな一面的な性格だけが強調されていきます。

ミオンの家族への要求は厳しいです。夫と二人の子どもと暮らしているのですが、食事の際の祈りのシーンで、下の5、6歳くらいの娘がお祈りをしないからといって食事をさせないというシーンがあります。そうしたシーンで夫がうんざりするところを見せています。

夫は大学の教授です。夫が教団の女性と浮気をします。夫がその女性に高価な指輪を贈ったことを知り、またその現場を目撃します。そして、信者たちが教団の施設に宿泊する何かのイベントの際、ミオンは横になっているその女性にシーツを被せて指輪を返せと脅し、足で顔を踏んづけて怪我をさせます。

取り返した指輪を見せられた夫は家を出ていきます。後日、ミオンは大学を訪ね、離婚するつもり? 離婚するのなら教授になるために貸したお金(高額?)、あなたの家族に貸したお金(高額?)を返してからねと言っています。

長女ヒスクは、自己主張できなく何であれすぐにごめんなさいと口から出てしまう性格が強調されています。夫とは離婚し、娘と暮らしています。小さな花屋を営んでいます。今も夫からお金をせびられているようです。ラスト近くにミオンと会うシーンがありますが、その途中で宗教の勧誘につかまり断れずにズルズルとついていってしまいます。金銭的な実害は描かれていませんが何らかの実害があるということでしょう。

この映画は現在の韓国社会を批判的に描いているんだろうと思いますが、その社会を実感していないと伝わりにくい面があります。この宗教勧誘もそうですが、人物がみな過剰に見えるのもそこに何らかの批評性があるのかも知れません。プロデューサーでもあるムン・ソリさんが、この映画には家父長制への批判があるということを語っていますが、この映画に登場する男性には、それがすでに批判的な描き方だとしても、みな権威的なところが削ぎ落とされて描かれていますので、現実の韓国社会を実感していないとこの映画から家父長制の問題意識を感じるのはかなり難しいです。

三女ミオクも粗雑さという一面が過剰に描かれていますので、そこにどんな批評性があっても、いやいやあんたがダメだろうとしかみえなくなっています。ただ、頻繁にミオンに電話をして甘えるところを見せており、またミオンもその甘えを拒むことなく自分の用を差し置いても受け入れていますので、その関係になにかわけがあるだろうことはわかります。

ミオクは劇作家でなかなか書けないのかいつもイライラしています。再婚の夫とその前妻との子どもと暮らしています。夫は従順でミオクが乱暴な口をきこうが何を言おうがとにかく一途にミオクのことを心配しているように描かれています。息子はミオクには内緒で実母を頼っており学校の保護者面談にも実母を呼んでいます。それを知ったミオクはその保護者面談に乗り込み、そこでもひと暴れします。

という三姉妹の現在が、かなり細かい編集で交錯して描かれています。

ラスト、突如登場する末っ子…

そして、時間としても映画2時間のほぼラストシーン、父親の誕生会です。三姉妹が揃うその場で幼い頃から抱えてきた問題が解決するということになります。

ですので、ドラマとしてはかなり乱暴なまとめ方です。

そもそも父親の誕生会は毎年行っているものなのか、3人が家を出てから初めてのものなのかが判然としません。シーンの描き方としては帰省のしかたが恒例のもののように見えますが、突如登場する末っ子の弟の存在を考えればそうとは思えません。

ただ、ムン・ソリさんの熱演もあって単独のシーンとしては見ごたえのあるいいシーンです。ドラマの構成として、このラスト(もうひとつラストシーンがあるが)へ持ってくるまでが一本調子であり、人物の描き方が一面的過ぎるということです。

三姉妹が実家に戻りますと、母親が誰彼が部屋から出てこないと言っています。そして父親の誕生会が始まります。誕生会に呼ばれた牧師が講話しています。父親が信者であり、必然的に家族全員が入信しているということなんでしょう。そこへ突如男が出てきて牧師か父親にか小便を引っ掛けます。男は部屋から出てこなかった三姉妹の末っ子の弟です。

弟がいたの?(匂わされていたようなところがあったかも) とドラマとしてはかなり意表をついていますが、とにかく大騒ぎの中、ミオンの長台詞とモノクロの過去映像で一家の過去が明らかになります。三姉妹と弟は幼い頃に父親からの暴力にさらされており、特にその暴力は弟とそれをかばう長女のヒスクに向いていたということです。背中が真っ赤に腫れ上がった弟を抱きしめる幼いヒスク、ヒスクの顔も腫れ上がっています。ミオンがミオクの手を引いて助けを呼びに駆けていきます。夜遅くですから灯りがついていたのでしょう、ふたりは飲み屋に駆け込みます。二人の男が飲んでいます。助けてほしいというミオンに男たちはそんなことをしたら父親が捕まってしまうぞと鼻であしらうような受け答えしかしません。

ゴン、ゴン、ゴンと大きな音がします。父親が自分の頭をガラス窓にぶつけています。血が流れています。

そして後日、入院した弟を見舞う三姉妹、そして海辺で子どもの頃のように戯れ遊ぶ三姉妹です。

まるく収めてはいけないのでは…

こういうことでしょうか。長女ヒスクは弟を父親の暴力から守るために謝ることで切り抜けようとしてきたために自己主張できず卑屈な性格になり、次女ミオンはそんな姿を見て育ってきたために強くならなくちゃいけないとの気持ちから、それが逆に父親の模倣のような行為として現れることになり、三女ミオクは子どもの頃の恐怖心のトラウマが横柄さという行為に出てしまい、しかしミオンへの依存体質は今でも続いているということであり、そして末っ子の弟はずっと引きこもっていた、とすべては幼い頃の父親の暴力に起因しているということなんでしょうか。

ドラマなんですからなにか問題を描くとすればその原因に触れないわけにはいきませんが、この結末はかなり短絡的ですし、ましてやそれがハッピーエンド的にまとめられていますのでかえってその問題が見えにくくなっています。

やはり映画はテーマそのものに考える余地を残さないといい映画にはならないと思います。