この作品では評価の高さが理解できなく、疑問が多い映画だが、「鉄西区」と「鳳鳴―中国の記憶」は是非見てみたい
いろいろ疑問の多い映画でした。
映画自体は特に難しいことはなく、中国の「反右派闘争」によって、辺境の地で強制労働を強いられた人々の悲惨さをひたすら撮り続けているわけですが、何だか「悲惨」という言葉が上っ滑りしているような、見ていて居心地の悪い映画でした。
ワン・ビン監督は、山形国際ドキュメンタリー映画祭で「鉄西区」と「鳳鳴―中国の記憶」の2作がグランプリを受賞しており、世界的にもかなり評価の高い監督と紹介されています。あいにく、私は見ていませんし、ほとんど情報も持ち合わせず、この映画を見てきました。初の長編劇映画ということです。
ゴビ砂漠がロケ地らしく、見渡す限り地平線といった荒涼たる大地は、かなり視覚的にインパクトがあります。その中にぽつんぽつんと立ち尽くす人、あるいはもうもうと砂煙を上げて吹きすさぶ風にさらされる人、きっと、そういった画が撮りたかったんだろうということはよく分かります。
労働教育(でいいのかな?)の名の下に、農地とも思えない荒れた土地を耕すことを強要され、与えられる食事は、穀物が入っているとも思えないような粥が多分一日一食、寝るところは、大地に穴を掘っただけの穴蔵、当然、次々に人は亡くなっていきます。死人は、吹きさらしの大地に放置され、衣服を剥がれたり、尻の肉がそがれて食べられていると語られます。
で、何が疑問かと言いますと、
まず、どの人物も、飢餓にあえいでいるようには、あるいは死を目前にしているようには見えないのです。さすがに太ってはいませんが、皆、肉付きもしっかりして、顔色も決して悪くありません。つまり、私には健康な人間が病人を演じているようにしか見えなかったのです。
もちろん映画ですから、リアルさだけがすべてではなく、どう表現するかは様々でいいのですが、ワン・ビン監督は、私が持つ違和感は持たないのだと、その点に疑問を感じたということです。
他にも、ネズミを煮込んで(かな?)食べるシーンや人が吐いた吐瀉物を食べるシーンも何だか唐突な感じを受けましたし、夫を訪ねて妻が上海からやってきて、何の障害もなく面会しようとするのですが、そのこと自体も、え?そんなことが可能なの?と疑問がわきますし、その妻が、すでに夫が亡くなっているために延々と泣き続けるシーンにもとても違和感を感じました。
あまり論っても意味がありませんし、細かいことは忘れてしまっていますが、そういった疑問がとにかく多かったです。あえて言えば脚本が練られていない感じです。
ただ、だからといって、つまらない映画だとは思いませんし、もし見る機会があれば、「鉄西区」や「鳳鳴―中国の記憶」は是非見たいものです。