それでも夜は明ける/スティーヴ・マックイーン監督

200年も続いたアメリカの奴隷制度が単に暴力による恐怖で成立していたとは思えない

正直、たとえアカデミー賞であっても、この映画が「作品賞」というのは、ちょっとばかり首をひねらざるをえません。ましてや、「脚色賞」というのは?? 「脚本賞」じゃないというのがまだ救いでしょうか…。

何をおいても、映画として単調すぎます。

自由黒人であるソロモン・ノーサップ(キウェテル・イジョフォー)が、奴隷商人によって暴力的に奴隷の身におかれ、そこからの脱出がメインストーリーとなっているのですが、描かれているのは、主人である白人の不合理な暴力性とそれに対してなすすべのないソロモンの不自由さばかりです。その描き方はワンパターンで、鞭で脅し服従させようとする白人、恐怖に萎縮する奴隷たる黒人たち、そして、能力があるゆえに主人に認められ、それがゆえに白人の屈折した嫉妬をかうソロモン、そうした位置づけが幾度も描かれるだけで、ほとんど進展はありません。なぜなのかは分かりませんが、最も(アメリカ)映画が得意とするテーマであるはずの「自由への希求」が一向に浮かび上がってきません。

全く12年という時間が感じられません。

これも単調と同じことですが、12年ですよ、12年も自由を奪われて生きるなんてことは想像も出来ないわけですから、想像も出来ない心の葛藤もあろうかと思います。12年にわたるソロモンの変化が全く見えません。12年も自由を奪われ、奴隷として生きれば、たとえ成人であろうとも、人格障害のようなものが起きるかも知れません。そうした描写こそがこうした映画に厚みを持たせるのではないでしょうか。そうした意図はなかったということなのでしょう。2時間余りにわたって見せられるのは、ある1日を12年に引き延ばしたような2時間です。

200年も続いたアメリカの奴隷制度が単に暴力による恐怖で成立していたとは思えないのですが…。

アメリカの奴隷制度について、あれやこれや言えるほど知識もありませんが、ここに描かれている主人対奴隷の関係は恐怖心によって成立しているという一面でしかないように思います。さらに言いますと、この映画の中の白人と黒人は人間として対等にしか見えません。もちろん、そんなことは現在においてはあたりまえですが、奴隷制度が制度として成立するためには、制度を支える価値観が何の疑いもなく存在していなければ、とても200年は続かないでしょう。暴力だけではない、迷いのない価値観が主人である白人の中に見えないのがこの映画の最大の問題であり、逆に言えば、リアリティを持った人種差別的な映画が生まれなくなったというある意味好ましいことなのかも知れません。

本当のソロモンが置かれた状況は、自らの価値観が100%打ち砕かれる、想像を超えた世界だったのではないかと思います。